昨秋の時分から、僕の周りではゴタゴタや苦労事が起きており、今に至るまでその影響と対処に日々を追われています。自分や家族の恥を曝す文章ですが、自分自身の整理のためにも記そうと思う。
・妹夫婦と子供達に関すること
一つに家族内における問題。これは妹家族の離婚問題にまつわるものです。
(この28歳の妹とは日干支が同じです)
同居しているがゆえの問題とも言えますが、母親である妹自身の態度や子供の世話面倒などで、僕や僕の両親はずっと振り回されっぱなしです。昨秋、妹夫婦は長年の間に積もり積もった不平不満をぶつけ合い、ある日、夫が酒に酔った勢いで子供の前で妹に暴力を振るったことで別居となり、それ以来、離婚と親権とお金の問題で揉めています。
(以前から衝突は度々あったが、この一件が決定打となった。当初はその夫がDV的なことで悪者扱いされていたが、後に妹自身の言動にも問題があったことが分かり、客観的にはどちらも悪い。)
それからというもの、妹の態度の悪化は目に余るものとなっています。(逆に外面は体裁を異常に気にするので人当たりは良く見せる)
・子供に対する関心の低下による育児放棄(小学三年生の女の子と、3歳の保育園児がいるが、食事は作らない、食費もほとんど出さない、保育園には送っていかない、見送りもせず自分の化粧をしている、オムツも替えない、お風呂にも入れない、一緒に寝ない、きつく当たる)
・自分だけで飯を食べたり、子供を置いて勝手に飲みに出かける。勝手わがままし放題。
・通販を多用する。化粧品などの買い物ばかりする(美容にはこだわる)
・ごみを散らかしても片付けや掃除さえしない(もう何ヶ月も自分では掃除してないだろう)
・朝の忙しい時間にわざとか知らないがシャワーを浴びる(風呂場と洗濯場&洗面台が同じドアの中にあるので困る)
・居間の出入り口に横たわって寝る(何度注意しても耳を貸さない)
・部屋や通路のそこかしこに自分が食べたり飲んだりしたものを捨て置く。
・子供が声をかけても無視するか四六時中携帯サイトばかりみている。自分がそんななので、子供達も夜遅くまでゲームやテレビを見て起きていても咎めない、気にする様子がない。しつけの拒否。代わりに僕らが叱るが、当の親がだらけているので、子供もそれを真似てしまう。
・あげく子供が風邪を引いたり熱を出しても、心配もせず、病院にも連れて行こうともしない。
・学校からの連絡プリントを読まないので、子供に必要なものを把握していない。
・そろばん&学習塾の学費を払うのを拒み、あろうことか子供のお年玉を使わせた(僕はこのことを姪っ子から聞いてビックリした)。
・近所迷惑な音量でカーステを鳴らす。
・すぐ横で家の電話が鳴っていても出ない(自分はこの家の者ではないとでも言うつもりか)。
・実家は古い家なので30アンペアしかないにも関わらず、その半分から3分の2も消費する暖房を勝手に購入して使い、何度も懲りずにブレーカを落とした上、それを諌めたら、「私だけが悪いのか?!」と逆切れ。
・同居する人間に対する辛らつな発言や嘘、暴言、悪態。挙句の果てに発狂して母親への殺人未遂、自分が精神的に参っていることは認めていながら正常でないことは認めず、その態度を改めない(「私はマトモ!」と主張するばかり)、等。
・社会に出て仕事をしていることをさも偉そうに語り、人間の優劣を付けたがる。(僕を含めた家人がどんな思いで子供達の心のケアやサポートをしてきたかも知らずに、よく言うわ)
また、お金の問題では、元々自分の嘘が発端だったにもかかわらず、親戚にまで同情をもちかけて大金を借りようとし、結果的に嘘が発覚して迷惑を掛けるなど枚挙に暇がない状態でした。親権問題では、自分は悪くない、私の気持ちはどうなのよ!の一点張りで、エゴイスティックで品性を疑われても仕方ない発言を連発。さらに、お金さえあれば、すぐにでも子供を夫に引き渡したいと主張する始末。もはや母親の顔ではない・・・
いま、「子育て真っ最中で愛情を一杯注いでいます」という人がこれを読んでいる人の中にいるかもしれません。まさかそんなことと思われるかもしれませんが、現実に起きていることです。おそらくネグレクトというやつです。
こうした状況で、僕や母親は自分の仕事もままならず、多くの時間を子供達の世話や家事、身の回りの対処に奔走せざるを得なくなり、生活スタイルが一変してしまいました。そして、ずっとストレスと疲労、そして心労とが重なってきています。(ちなみに実家は農家。僕は去年の秋にも別に仕事を見つける予定だったが、現状、とても働きに出られる状態じゃない・・・)
そして、これらに対する感謝もなければ、謝る気持ちさえ見られず、僕らはすっかり妹の人間性に対して信を喪失してしまいました。本人に反省の色が見えないために、僕だけでなく性格の丸かった母親までもが、いつもイライラしては不平や小言を漏らすことが自然と多くなり、今では口を利くのも嫌だと言っている。まあ、殺されかけたので当然といえば当然ですが(衝動的にカッとなった妹が首を絞めようとした。その時、小学生の子供もその場に居たのにも関わらず!)。
こうした異常事態に際しても、父親は力なし。逆に、妹から罵詈雑言を浴びせられてうろたえる有様。今は、親父の権威が失墜している時代とは言いますが、うちの親父も問題が生じれば、いつも母親任せで、自分は立ち入ろうとはしてこなかった。こうした態度を取り続けてきた結果が、これだ。
僕がその場に居ない時に、妹夫婦が食事中に喧嘩を始めても、止めもせずにただTVを見ているだけだったらしい。別居の原因になった暴力沙汰の時もそうだったようで、しかもそこには従兄妹の子供達も居合わせていて相当に怯えていたと聞いた。情けなさ過ぎて悲しいです。
一方、僕はといえば、こうしてブログの更新をしたり、メールの返信をしたり、何かソフトの更新を考えたりすることが、ある意味で逃避というか、自らの気分を落ち着かせて平静を保つ役割を果たしてきたようにも思います。
しかし、それでも事あるごとに怒りがこみ上げ、むしゃくしゃして言い争いをしてしまうこともあり、その度に僕は自責の念に駆られては、気持ちを抑えるのに苦労しています。正月の時点での抱負に書きましたが、「憎しみを表したり、非難や中傷をしないこと」としたのは、ほとんどはこの問題に関してです。別にネット上での誰かとか、そういうことは全くありません。
この頃、その妹は(というか、もう僕は妹を妹と見れない、家族とも思えないような心情なのですが。これはこれで悲しいんですけども)、ようやく秋や冬のような酷さは成りを潜めてきて家族や子供達を避けることは減ってきました。
しかしそれでも時折、子供を盾にして自分を守るような言動をしたり、相変わらずどこにいても携帯サイトばかりを見ている始末(懸賞とかツイッターとか買い物サイトとかか?)。どうにも反省の気が感じられず、人としての信用を欠いています。で、苛立って文句を言えば、衝動的に取り乱す。何をしでかすか分からない「爆弾」のような存在・・・とでも言うか(それは今に始まったことじゃなくて子供の頃からそうでしたが)。
更生する気持ちとか、そうした態度の一片でも見えてくれば、もっと僕らも寛容になれそうなのに・・・。まだまだ「おさるのジョージ」の黄色いおじさんには、僕は程遠い。改めて実感しているけれど、人間にとって大事なのは「ありがとう」と「ごめんなさい」の二つだというのは本当だと思う。
・超高齢犬になったマイケルのこと
そして、この問題に加え、同じく昨秋か昨冬頃から、実家で飼っている老犬マイケル(今春で18才)の体調が急速に悪くなり、関節炎や腰の痛みからかゴハンもあまり食べなくなって体重も激減。散歩(運動)にも支障が出るようになってしまいました。
歩くスピードは、その頃でも秒速30~50センチほどで、もうかつてのように1キロも2キロも歩けず、せいぜい調子が良い時でも数百メートルといった状態でした。その頃から、目や鼻や耳など五官も随分と悪くなり、反応が鈍くなってしまいました。(いきなり目の前に行くとビックリしたり、怖がったりするようになった)
その後、西暦の新年を迎える頃には、夏に15キロほどあったのが10キロを下回るようになり、食事どころか、水さえあまり飲まないので(痛みや熱の影響だと思う)、飼い主として非常に心配で、そして見ていて非常に心苦しい毎日を送っています。
今日(9日)もまた、母親が病院に連れて行って消炎剤と抗生物質と点滴を打ってもらいましたが、対処療法なので一時的なものです。
関節炎が進行したためか、あるいはヘルニアやリウマチなのか、もはや掛かりつけの獣医さんもこの年齢となってはお手上げらしいですが、今はもう横になるのも立ち上がるのも大変で痛がり、歩くにしても前傾姿勢で、鼻が地面につきそうな状態です。前傾なので涎も垂れやすく、ふき取ってもとめどなく溢れてきます。そして、しばしば痛みのためか立ち止まります。
そして1月後半から2月に入る頃から、寒さや老衰の影響だと思いますが、急激に症状が悪化し、移動可能範囲を徘徊しては狭いところに首を突っ込んで動けなくなって助けを求めたり、ウンチを寝床周辺にしてしまったり、痛みからか夜中に泣き叫ぶようになりました。
これが始まって以来、僕は家族が寝ている中、赤ちゃんの夜鳴きを鎮めるかのように、夜11時頃から約1時間おきくらいに起きては、朝方まで介護する状態が続いています。
当然、寝る時間もロクに確保できず、今日病院へ同行できなかったのは、連日連夜の疲労が祟って熱が出てダウンしてしまっていたからです。今は、長いこと寝て、そして解熱剤を飲んだことで、だいぶ回復しました。(でも、今日もこれから夜鳴きが始まるかもしれません)
で、この問題でも、妹を含め、親父も「我、関せず」を貫いて無視していることで、僕や母親の苛立ちの原因になっています。なぜ17年以上も家族として愛し、一緒に過ごしてきた愛犬に対して、老衰して病気を抱えてしまった途端に、こうも接し方を変貌させてしまうのか。僕は理解できません。
すぐ近くでワンワンキャンキャンと大声で助けを求めているのに、気がつかない振りして無視を決め込んでいる。どうせ僕か母親が駆けつけるだろうとでも思ってるのだろうか? 薄情すぎる。目の前で苦しんでいる生き物に手を差し伸べることができなくて、何が大人だ! 見殺しにするつもりか。
父親に至っては、「もう犬小屋を壊せ」だの、電話の近くに「犬のことは保健衛生所へ 電話番号○○○」と書いた陰湿な張り紙をしたり・・・。信じられない。これは早く死ね(殺せ)と言っているようなものだ。
確かに、ペットのことで僕や母親が自分自身の本来すべきこと(仕事など)を疎かにして、それで迷惑を掛けているということもあるとは思う。でも、だからと言って、そんな言動は容認できないし、人としてさすがにどうかと考えてしまう。
そして今月8日、そんな憤りや疲労感や熱が綯い交ぜになった状態での妹との喧嘩(殴りあったわけじゃないですけど)。そして、その夜も朝までワンコの介護。元々、血圧の高いこともあって寝込んでしまいました。とりあえず今は良くなってますが、こんな記事を書いていることを思うと、僕自身の人間性も低下しているのかもしれません。参ったな。
暦を見ると、今は庚寅月で、8日と9日は甲午と乙未で、天干に限れば木行の日でした。この月、僕と妹の通変が傷官という見方もできますが、五行的には皆に共通して木(憤怒⇔慈愛)の日だったのかもなぁ、と。これを期に、改めて五行の本質とその付帯する意味を熟慮してみる必要がありそうだなとも思っています。
我が家のワンコについては、もう寿命が近いだろうことは予期しているし、最近の状態悪化への対処の中で、だいぶ「その時」の覚悟も出来てきています。たぶん母親にしてもそうだろうと思う。
ただ、もう一方の前半に書いた妹家族の問題に関しては、当事者(両家)が互いを毛嫌いして話し合うこともなく来ており、なかなか解決に踏み切らないでいる状況なので、まだしばらく難航しそうな雰囲気です。自分自身、いつまでもこの状態に耐えられるほど強くはないので、どうにか早く決着を見て欲しいのですが、一体どうなることやら。
「占いを研究しているんだから分かるんじゃないの?」と言われそうですが、僕はこういう時には占いを使いません。見たってしょうがないと思っているからです。また、下手に占いでの開運策を打とうとかも考えたこともないです。それはたぶん無駄に終わるか、「何を余計なことを」と反感を食らうだけだろうと思います。
事は人間同士の心理的・感情的な問題もはらんでいるわけで、そこに占いを持ち出して逆撫でするようなことなどできません。できることなら、常識的に話し合いで解決されるのがベストなんですけどね。
っと、今、お呼びが掛かりました。(今日もまた夜鳴きが始まりました。行ってきます。)
・・・・・・・・・
この記事を書き始めた時は9日の23時を回った頃だったはずですが、今はもう日付も変わって1時を過ぎています。
書き忘れましたが、家のワンコは外飼いです。昔からそうだったので、家の中には入りたがりません。ただし、年を食ってからは暑さや寒さは老体に堪えるだろうと、車庫兼倉庫の土間を自由に使わせています。
で、そこは母屋とは少し離れているので、完全に寝入ってしまうと悲痛の叫びも家族には聞こえません。でも、なぜか最も物理的な距離があるにも関わらず僕には声が届くため、反射的に目が覚めます。もちろん、今では夜鳴きする可能性があると分かっているので、こんな時間でも起きていたりするのですが。今さっきもマットから外れて寝ていたので、抱きかかえて寝かしつけてきました。でも、まだ何度か呼ばれるかもしれません。
母親は「献身的な介護」と労ってはくれますが、母親自身も、子供を顧みない妹の代わりに、食事を作ったり、洗濯したり、お風呂に入れたり、オムツを替えたりと大変なので、お互い様です(これらの幾つかは僕も時々やる)。僕自身もできる範囲でですが、掃除や皿洗い、時に料理、そして両親が面倒を見れない時の世話係として家事などを手伝っています。でも、これらは本来、まあすべてとは言わないにしても、妹が「母親」としてやるべきことじゃないのか。
・・・ああ、またマイケルが吠えてる。なんだろう?
・・・・・・
帰ってきました。1時半を過ぎました。
時々、寝床に横たわったままで、何が原因で吠えているのか分からないこともあります。今もそうでした。考えられることは幾つかありますが、どれとも分からずに困惑してしまいます。心が読めたらいいのにと、いつも思う。以下、僕が考え付く原因を列挙。
1.トイレに行きたい。(おっしっこかウンチかにもよるが、時々、間に合わずに寝床に洩らしてしまう。近頃、真夜中に小1時間、ウンチ掃除したり洗濯する自分がいる)
2.体が痛い。(老齢による関節炎などが原因と思われる。)
3.獣医や家族が気がついていない体内の病気に苦しんでいる。
4.死への恐怖に一人戦っている。
5.夢魔に怯えている。(人間でも血流の流れが悪くなると、怖い夢を見ることがある)
6.一人なのが寂しく、泣けば僕が何事かと飛んでいくので、つい召喚してしまう。
7.喉が渇いているか、お腹が空いている。・・・が、立ち上がれないか、熱や痛みのために飲めない、食べれない(夜中にゴハンはあげないけど)。
8.寒さで寝付けない。もしくは、ヒーターが逆に熱い。(2や5とも関係すると思うけど、時々、体の体勢を変えようとしてか、マットから外れて直にコンクリの上で寝ていることがある。起き上がったはいいが、体を支えきれずに倒れて、そのまま仕方なく横になってしまうのかも)
9.睡魔もしくは朦朧とした意識のまま徘徊してどこかに突っかかり、自分ではどうしようもない状態になって吠える。(後ろ足が関節炎で使えないため、どうしても前足に体重を乗せてしまい、重心移動で前進してしまう。自分ではバックできず、結果的にどこかに嵌ると自力では抜け出せない。)
10.薬の副作用で幻覚を見ている。(抗生物質などで)
11.その他、想定外の問題を抱えている。
ともかく、なんにしても、本人(本犬)が辛そうにしていることは確かで、何とかしてあげたいという気持ちは強いんですが、どうしたら良いのかがその時々で違うので(または判断がつかないので)難しいです。苦慮苦悶の連続の日々。本当に、テレパシーでも使えたらどんなにいいことかって思います。
あ、もう2時をとっくに過ぎています。昨日は朝方まで――正確にはわからないけど、僕が耐え切れずに寝てしまうまで数十分から1時間ほど置きにないていました。今日はもう大丈夫なのかな? そうだと嬉しいけど。
とりあえず、少しでも寝ることにします。自分が倒れたらダメだと改めて思ったし。
・・・
と思ったら、あー、また吠えてるーー。
・・・様子見に言ってきたけど、何で吠えてるのか、また分からなかった。
「どうした?」と声をかけたら泣き止み、僕をチラ見しただけ。しばらく傍に寄り添ってから戻ってきました。
もうすぐ3時だ。さすがに眠くなってきた。もう、寝たら吠えてても気がつかないかもしれない。
どうか寝床にウンチしちゃうのだけは勘弁してね。自分も嫌だろうし。ああ、せめて痛みをなくしてあげられたら、と思うのですが、注射や薬はその時だけのこと。やりきれません。
実は、母親は何度か安楽死させることを考えていて相談も受けましたが、僕は拒みました。
犬は自殺を考えるだろうか? 痛みや苦しみに耐えかねて、自分から死を求めるだろうか?
それは僕には分からないけれど、でも、懸命に生きている姿を見ると、人間の都合(勝手な思惑)で死なせてしまう、いや殺してしまうのは、どうしてもできません。
こういう事情を抱えているからかな、狂牛病や口蹄疫、鳥インフルの問題で大量の殺処分が起きている現状を鑑みると、無性に胸が詰まる思いになるのは。今の自分の無力さにホトホト吐き気がしますが、なんとかできないものかと痛切に感じます。
3時を過ぎてしまった。もう寝ようと思う。
追伸:今日の日運
あれから、5時過ぎ、6時過ぎにまたワオンワオン吠える声に呼ばれて、再びあやしてきました。結局、今日もあまり寝れなかった。
それはそうと、こうして恥さらしな記事を書いた後で、今日の易での日運を調べてみると、山水蒙および天風女后の九二でした。納得すると同時に、なんだか自分の愚かさに悲しくもなりました。また、記事にしてはいけなかったのかもしれない、とも。特に妹に関することは。
ただ、どうにも自分の胸に収めきれなくなってしまったので、とにかく溢れてきたものを綴ることで、自分の感情をなだめて気持ちを整理したかったのです。
妹や親父を悪く書きたいわけじゃない。同情を買って「大変だね」とか言って欲しいわけじゃないのです。僕自身、批判されても仕方ない点は多々ある。兄として尊敬できるものは何もないだろうし、言い争いばかりで嫌な感情がほとんどかもしれない。
僕自身、散々な思いをさせられていることで憎しみはある。呆れてもいる。当初は、僕が子供達を引き取ろうかとも考えた。それぐらい酷かった。もっとも今でも少しは思ってるが。
だけど、立ち直るものならそうなって欲しい。もっと子供達の将来を考えて向き合おうとするのなら、改めて支えてあげたいとも思う。自分を優先することばかりを考えるんじゃなくて、親としての自覚と、一人の良識ある人間として周りと関わってくれたらとも願っている。頑ななプライドを拭って「ごめんなさい」の一言でも口にしてくれれば、ずっと僕や両親の心は軽くなるだろう。
きっと携帯ばっかりやってるのは、どこかの誰かに相談を持ちかけたり、僕や親の悪口を書いたり(つぶやいたり?)、似た境遇の人同士で傷口を舐め合っているのかもしれない。あるいは、自分の身の上を理解してくれる人を探しているのかもしれない。でも、自分自身の心が変わらない限り、それは徒労に終わるだけ。
僕は、もう少し、いやできるだけ寛容(穏便)になるよ。だから、妹よ、お前もそれに答えてくれないかな。そして、自分がしてきたことを回顧反省して謙虚になって欲しい。それから、再び親として立ち直り、子供と真剣に向き合ってください。
どうかお願いします。
僕が映画で一番好きなシーンは、人の考えが変わる瞬間や誤解が解け仲直りする瞬間です。
友だち曰く、「人が変わるなんて映画や小説だけだよ。」
僕「でも俺自身は、映画や小説、そして人と会い、その都度変わったと思うけど」
友だち「変わる人もいれば、変わらない人もいるんだよ」
妹さんには、自分自身の心を見る鏡が必要ですね。外見を気にするようなので、他人からみて自分の心がどのように見えるのか、気づけば変わるかも。
愛や憎しみなど二極化している面もひっくるめて存在しているからこそ、苦しみもあるけど、気づきや精神的な学びも得られると思うから。
まあペットなど、食物連鎖や弱肉強食の動物社会から外れた生き物については、また考え方も違ってくるんでしょうけども。それでも、同じ生態系の一つとして、人間を含めた大きな共同体で考えるといいのかな、と僕は考えています。
近代~現代は自然を超克するとか支配するという発想が強かったので、それが行き過ぎた結果、色んな問題が出てきてしまい、今、必死になってその対策に追われている…。易では地風升の上九みたいな感じ。
最近のブログにも書きましたが、今の僕は「共生」という概念について、より深く理解したいと思っています。そして、いずれそれを実践の場で生かせるようになりたいとも。
人間は自ら死を選ぶこともできますが、できればそうならない内に、自身の志を果たせる生き方に移行したいものです^^;