With the I Ching

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エゾシカが別れを告げに・・・?

2011-02-12 21:39:46 | 日記/随筆

最近、動物の「生命」に関する事件が相次いでいることと、自分自身が連日、愛犬の介護に多くの時間を当てているためか、かなり命に関してセンシティブになっています。

一昨日の夜、甲野善紀さんのTwitterを読んでいたんですが、その中に、山口のとある公園で多くの白鳥が鳥インフルの疑いで殺処分されたという、心の痛む事件がありました。

そんな憤りと人間社会への失望を感じつつ、この日も、ずっと徹夜でマイケルの世話をしていました。幸い、病院で打ってもらった消炎剤と抗生物質、ブドウ糖の注射が効いたのか、少し落ち着いた様子を見せており、食事もできるようになりました。こちらもホッと胸を撫で下ろしていたところです。

少し休もう・・・と、4時ぐらいから2時間ほど寝ていた時に、珍しい夢を見ました。
ここ最近は、すぐ傍にいるマイケルの影響か、一緒にあちこち散歩している夢を見たり、他の動物が出てくることもあるのですが、そんな中でも昨日は初めて会う動物が出てきました。

――鹿です。

僕とマイケルが夢の中を逡巡した後、家の庭に帰ってきた時です。
何の種類の鹿かは詳しくないため分からなかったのですが、体格は人間と同じくらいか、もっと大きく見え、角はなく(メスだからかな)、きれいな模様をした鹿でした。

今まで鹿が夢に出てきたことはおそらくなく、また今の僕とは何の関係も、また脈絡もなかったため、いきなりの登場は非常に印象的に感じました。

そして、僕が近づくと、その鹿も近寄ってきて、すっと顔を寄せてきました。それと同時に、僕は手を伸ばして彼女(?)の頬を優しく撫で擦りました。そして、その繊細な感覚を残したまま、僕は夢から目覚めたのです。

辺りはもう明るく、時刻は6時を回っていました。

マイケルは、うつらうつらとしていましたが、起きているようです。おなかが空き始めたのかもしれない。そんなことを思いつつしばらく眺めていると、母親が様子を見にやってきたので、自分は母屋へ戻り、朝食を採ることにしました。

そして、何気なくラジオを聞きながら食事をしていた時、衝撃的なニュースが流れてきました。

それは、「北海道で自衛隊を動員したエゾシカの駆除が三日間に亘って行われ、計28頭のエゾシカが捕獲、駆除された」というものでした。実際には、100頭を目標にしていたということなのですが(北海道新聞の該当記事)、僕はその淡々と原稿を読み進めるキャスターの「駆除」「成功」の言葉に唖然としてしまい、口の中の物を飲み込めなくなっていました。

ふと我に返って、ついさっき見た夢を思い出すと、「ああ、もしかしたら、動物の命に対して敏感になっている今の僕に、死に際に一つ、メッセージを託しにきたのかもしれない」と感じました。エゾシカによる被害は「災害並み」とする記事も読みましたが、それにしても・・・と悲しみが先行します。

ちょうど母親も台所に戻ってきたので、10分くらい動物愛護に関する議論というか、人間中心主義に対する憤りの吐露というか、そういう話をやりとりしてました。

確か一昨日のNHKラジオへ、どなたかが「一匹の小魚は多くのプランクトンの犠牲の上に生かされ、大きな魚は多くの小さな魚の命の上に生かされ、そして人間はそうした無数の魚の命の上に生かされている」というような内容の投書をされていました。それを聞いて、じゃあ、果たして人間は何のために生きているのか、と考えさせられました。

その話を母親にすると、「それなら、人間はそれらの魚が気持ちよく生きられる環境を作ってあげることじゃないの? 循環するように」と言っていました。僕は少し黙りこくった後で、「・・・そうなれば、いいんだけど」と言葉を濁しただけでした。

今の高度文明(?)を築いてきた人間の地球環境や生態系への所業を思うと、どうにも信が置けなくなっているせいです。それで、つい「今の社会の中じゃ、あまり長生きしたくなくなるよ」と苦笑いしてしまったのですが、さすがにそれは引かれました。でも、実際の気持ちとしては嘘ではありません。

正直なところ、このまま人間のご都合主義の中に埋もれて生きていくのは耐えられないし、根本的なところから考え方や行いを直さない限り、この日本だけでなく、世界の多くの国がダメになるだろうなと思います。現代は特に、とても心ある人間とは思えない、冷酷で非情な事件が多すぎます。

動植物などの生態系をただの「モノ」と見て、まるで「ゴミ」扱いしたり、”畜生”は下等生物なのだから人間のために捕って食われるのも当然だとばかりに考えている人って、一体どんな神経の持ち主なんだろうか。

以前、生きた魚を何匹か手掴みして、一瞬ですり身にできる機械にポイッポイッと投げ込んでいる映像をお昼の番組で見たことがありますが、僕にはその仕事をする人の心理が分からない。もしかしたら始めは可哀想に感じていたが、仕事と割り切って非情に徹している内に無感情になってしまったのかもしれない。淡々とした作業で、数え切れない生き物の命が商品となって喪われていく・・・

効率優先・利益追求の社会ができてしまって長い年月が立ちますが、さすがにそれではダメだと考える人達があちこちで出てきていることもあり、もし失望から早死にを選ばなければ、いずれ僕もそうした活動の一端に関わって地球と共に生きる道を歩みたいと思っています。

 

ところで、僕は今でもそうですが、昔から一日二食か、調子がよければ一食の生活をしています。中学か高校の頃より、菜食主義とまではいかないけれど、日常生活の中ではほとんど肉や魚を食べなくなりました。

なので、動物性の脂質や栄養素を採らないと人は生きていけないと述べている学者を見かけると、「ああ、また人間の業が深まるな」と思うことがあります。確かに、特定の動物からしか採れない栄養素もあるでしょうけど、それは本当に必要なものなのかとも思います。

ちなみに、現在は幾らか「糖断ち」をしようと考えています。砂糖(白糖)をあまり取らなくなると、体感的に疲れにくくなるからです。そういえば砂糖は脳のエネルギー源です、と嘯いている商品を見たことがありますが、それはブドウ糖の間違いでは?

多くの場合、人は、巷に溢れる無遠慮とも言える情報によって価値を判断しがちです。そして、実際には何が真実かとか、そういうことは自分ではあまり考えずに選択をして、どんどん取り入れてしまいます。

自分自身、あまりよく知らない分野に関しては、誰かの話を鵜呑みにしてしまって、後で思い直すということも度々ありますから、単純な批判はできません。ただ、商売目的で情報を歪めたり、誇大広告をしている企業などがあると、そんなことをしていて良心が痛まないのかと、いつも思います。

僕の祖父は生前、度々「共生」ということを言っていました。人間も動物も、植物も、そして地球そのものも、共に生きるものとしての一つの大きな生命体と見るような考え方です。子供や学生の頃はなんとなく聞いていただけでしたが、今になって、ようやくその言葉の重みと深みを認識し始めてきた気がします。

 

追伸:

冒頭に書いた、甲野善紀さんのツイッターに関することですが、先生ご自身が当日分のツイートを随感録にまとめられていました。関心のある方は是非ご覧下さい。

 



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