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進歩を阻む「所有」意識と「お金」の話

2011-07-10 18:29:49 | 社会全般

人が何かを所有するという、これまで当たり前に使われてきた概念。

――それを乗り越えることができるかどうかが、現代人が進歩できるかどうかの物理的な意味での最後の関門だと、僕は思っています。(精神的には“愛”とか“謙虚さ”といった条件もあるんでしょうけど。)

別にそうした意識を捨てろとか放棄しろと主張しているわけではなくて、とらわれないで済むような生き方ができないか、そういう環境や社会づくりができないか、というのが今日の記事の趣旨です。

既にインターネット上でのファイルシェアなどを含め、実生活においても自分の「持ち物」という意識を外して、皆で共有する生き方をする人達が増えてきています。

こうした動きは、かつては仏僧として出家する際に一切の財産を放棄したり(出家先に寄進するか公共に還元する)、単純な必要性から物々交換で流通させるという形はありました。

しかし、現代のように様々なものが溢れかえって、一人一人が有り余るモノを所有する時代となってしまい、むしろ多すぎる物の処分に困っている始末。

大量消費を前提とした大量生産の世の中(経済)の仕組みが続いてきたために、本来必要になる以上に作りすぎてしまっています。そして、リサイクル(リユース・リデュース)も追いつかず、目に余るゴミの山が堆くなり続けるばかり。どこも処分方法や処分場所にも難儀している状態です。

今も、原発から出た汚染水をどこへ運ぶかという大問題が出ているように、先進各国の社会システムは根本的なところから過ちを犯してきたと言えるんじゃないかと思います。

ところで、どうしてこんな記事を書こうかと思ったかというと、実は次のような夢を見たからです。

内容は、今でいう図書館みたいなシステムで社会が成り立っている、というものです。

図書館というと例えとしては規模が小さくて説明不足なのですが、要するに、今僕らが本を借りて読むように、必要な時にあらゆるものを無料でレンタルできる仕組みのようでした。大きなものから小さなものまで、それこそ、車でも何でも。また、有形無形に限らずです(つまり、サービスとかもフリー)。

いえ、正しく言えば、「無料」ではなく、「所有」や「お金」という概念そのものがなかった。
誰も所有していないので、誰からも盗んだり奪ったりできないし、そもそもそういうことを考える動機も出てこない環境にあるようでした。

ちょっと昼寝中に見たものだったので、細かいディテールまでは分からず、是非また続きを見たいのですが、とにかく「こんな社会だったら、犯罪も自殺もないだろうなぁ」と思ったのを覚えています。

この間、増税論に関しての記事も書きましたが、本音を言えば、そもそも税制自体が不可解な代物です。どうしても納得できません。本当に人を幸せにするために存在するものなのでしょうか。複雑な話は分かりませんが、根本的なところを考えると、どうしてもオカシイと思えてくるのです。

経済や金融についての僕の知識不足、理解不足は否めませんが、実感として思うのは、今の経済システムや金融制度および税制というのは、それが作られる最初の段階で目算を誤っていたんじゃないか、ということです。

かのドイツの童話作家、ミヒャエル・エンデさんも、今の世界の「お金」のあり方に疑問を持たれ、晩年はそうしたことも語っていました。本も出ています。「エンデの遺言―「根源からお金を問うこと」」また、Youtubeでも見つけました。「Ende`s Last Will」(1~6)

とにかく、資本主義だ、自由主義だと聞こえはいいですが、それが幅を利かせたことで世界の人々が幸せになったかどうかを考えれば、現実的にそんなことはないわけですよね。(全くない、と言い切ってしまっていいものかは分かりませんが。幸福感というのは人によりけりなのも確かなので)

確かに物が溢れるようになって、生活に便利なものも多く発明され、こうして個人発信できるパソコンやインターネットなるものも世界中に普及しました。

しかし、所詮、主義は主義。豊かさとは名ばかりです。

結果論として資本主義経済とは、「ホンの一握りの人だけが市民感覚からはズレまくった額のお金を玩び、それに当てはまらない人から搾取する錬金構造」ということみたい・・・。競争に勝利した者達による世界観、という風に僕には思えます。

金持ちや、国の大事を預かる人間が、いわゆるマネーゲームに興じてきたせいで、一般の人間が不当な扱いを受けるような理不尽なシステム、と言ったら言いすぎでしょうか。でも、仮に仕事があっても、そのことで忙しくなりすぎて家族との接点を失ったり、お金に振り回されるようになったのは事実ではないでしょうか?

さらに、そうした構造の中で権力が横行し、権益を貪る人達が長い間、政治を牛耳ってきた。
そして経済や金融(税とか借金)という統治システムを敷設して、「お金が世界を回しており、お金がなければ生活する権利がありません」とでも言っているかのような体制を作り上げた。

そのことによって世界の国々のそれぞれの社会に酷い格差が生まれ、本来は必要のないはずのことで苦悩を抱え込む人が増大してしまった。

貧困によって飢餓に陥り、適切な医療を受けられずに死んでしまう子供達・・・
生産ラインのオートメーション化によって失業し、次の仕事が得られず一家心中・・・
多重債務や借金、過度な支払いに追い立てられ、生きる意味を見失って自殺・・・
食べるものにも困る過酷な生活苦から窃盗などの犯罪行為に及んでの逮捕・・・
大量消費によって利潤を生み出すため、わざと劣化を組み込む(耐用年数を短くする)害悪な企業戦略・・・
国民のお金を、不明瞭な目的のために搾り取っていく税金制度・・・
さらには、多額のお金を動かすために多くの犠牲を伴った意図的戦争・・・

利益追求型の社会が何十年も、あるいは何百年にも渡って繰り広げられてきたことで、時代に流されるままに生きてきた人々の感覚は麻痺してしまった。経済や金融だけでなく、各国の教育や歴史も歪められた形で教えられたり、真相を隠されてきた。

特に、権力構造の裏側で何が起きているのかといった社会の真実の姿が見えない間は、何が行われていても一般人は知る由もありません。仮に、腐敗に気が付いた人間(内部にいた人など)が良心から暴露しようとしたり実際に抗議しても、圧倒的な力で封じ込まれ、時には殺されもした。

今も、目に見えるような戦争が起きていないだけで、平和な世界とは名ばかりの国が沢山あるだろうと思います。おそらく日本もその一つ・・・

権力者の都合によって情報が制限され、あるいは封殺され、あるいは偽装され、騙される――もうそんな世の中は嫌です。皆さんは変えたくありませんか? 僕は変えたい。

僕はずっと、ずっーとそういう社会に虚無感を抱いて生きてきました。あまりに馴染めず、いつも苦しんで、それでもとにかく生きてきた。今の社会に適応できるかと言われれば、無理すればできます。でも、そこまでして適応したいとも思わないというのが本音です。

でも、それにも関わらず、人は生きていかなくちゃならない。
そして生きるためには、食べなくちゃならないし、住む場所もいるし、着るものも必要。
このことは死ぬまで続くのだから、いついつまでなんていう期限などありません。

「お金」で動いている世の中では、農家で自給自足の生活をしようとしても、何かしらお金を常に要求されます。特に税金で首を絞められる。これは、ものすごい矛盾です。僕には様々な税金や支払のために死を選んでしまう人の気持ちが分かります。もし分かるという表現がオコガマシイのならば、”時々、同じ気持ちになる”と言えばいいでしょうか。

冒頭で書いた夢は、「人として最低限の生活が絶対的に保障されている」という内容でしたが、なぜあれを実現できないのか、不思議に思うばかりです。もしかしたら、できないのではなく、させまいと阻む人達でもいるのでしょうか、何かの陰謀論みたいに。

しかし、陰謀論を持ち出すまでもなく、この近代から現代に至るまでの社会が何によって動いてきたかを考えれば、それは明白です。支配と被支配の上下関係と、それを円滑に行うための経済および金融システムです。これを狡猾かつ巧妙に行うことで世界の動向に意図的な方向性を作り出してきた。

そして、人々が本質的なことを考えて反逆(理論的転覆)などを企てないように、ありとあらゆる方法で思考停止、判断不能状態に陥るように導いてきた。報道や教育、娯楽などを通じて。

人間の知的活動、特に創造性というのは、本当の貧困の中からは生まれてきません。

今日を生きることに精一杯の精神状態では、宇宙の真理がどうとか、科学的大発見がどうとか、世界の実態がどうとか、遠い外国の人がどう、なんてことを気にしている余裕はないからです。いつもお金や生活(家族をどう養うかなど)のことが気がかりで、それだけに連綿と日々が費やされてしまう。

そして、いつの間にか年をとってしまい、病気にでもなれば、そこでも高い医療費や入院費用を請求される。保険に入っているから安く済む・・・? 社会保障が充実しているから少額? いや、だけど、そもそも保険制度の大本も、やっぱり「お金」です。貨幣制度。

皆で援助しあうという精神は、もちろんいい。これは未来の社会構想でも採用できるでしょう。ただし、そこに通貨や何らかの所有(権利)の概念を引っ提げてくると、とたんにややこしくなってしまう。

確かに、キューバのように社会保障の最大化によって、自国民の医療費が無料になっているところもあると聞きます。しかし、社会保障は一体何によって維持されているのかを考えると・・・・・・「あれれー、なにかがおかしいぞー(コナン風)」。

お金を作り出すための”姿を変えた別のお金”が流通し、変な錯覚の中で人々は生きている、今はそう思えて仕方ありません。

利益を出すとは、一体何を言っているのでしょうか。社員に給与を支払うため、会社や組織を維持するため、国家を存続させるため・・・ふーむ、どれも人間の視点からの話です。人間が「利益」なるものを得ている裏で、何が「損害」を受けているかは、長い間、考慮されてこなかった。つまり、見方を変えれば、人間の利益とは自然界からの搾取そのもの。

それだけじゃなく、「お金」を稼ぐために人々は、自分の貴重な時間を削り、健康を害することもストレスを溜め込むことも受け入れて働き続ける。こんな生き方のどこに幸福感や生きがいが芽生えるというのか、僕にはいまいち分かりません。

今の若者が冷めてしまうのも、ある意味で当然じゃないかとも思います。
ん、若者が悪い?
まあ、僕もだらけてますし、人によってはそういう面もあるでしょう。

だけど、ちょっと待ってください。人は環境に大きく作用される生き物です。カルチャーショックを受けるほどの社会構造の異なる国に放り込まれたら、否応なしに人は変わるものです。適切な時と場さえ得られれば、誰でも活躍することはできるのです。周りの人や社会に貢献し、生きる意味合いを見つけることもできたりする。

また、そもそも胎児期を含め、大人になるまでの育った環境や人間関係によっても、人格形成に大きな影響を与えます。幼い頃からどんな教育を受けてきたか、どんな情報を社会から取り込んできたかというような外部刺激を抜きにして、単に見た目のひ弱さなどを挙げて批判しないで下さい。

彼らの感情の根っこにあるものを考えてください。何を本質的に求めているのかを考えてください。価値観の違いを感じるならば、その違和感の原因になっているものが何なのか考えてみてください。

ちょっと話が逸れてしまいました。

ともかく、一刻も早くこの虚構の世界から脱却して、ある意味、一から再構築したほうがいいのではないか、そのためにはどうすればいいのだろうか、気が付くとそんなことを思い浮かべている自分がいます。

これを人によっては、「現実逃避だ」と言う人もいると思います。実際、こういう話をすると大抵そう言われますし、自分としても全く異論はありません。まさしく、これは現実逃避です。しかも明確な意図を持った現実逃避です。

だから、僕のミクシーなどのコミュニティサイトの名前は、「ON=OFF(おのふ)」なのです。
現実に向き合うことと逃避することとが同時存在している、そういう状態なのが今の自分だからです。
(ちょっと前までは「ON/OFF」としていましたが、同じ名前の双子のミュージシャンがいると知ったことに加え、自分の中で「ONとOFF」は実は同じものじゃないかという直感があったことから、「ON=OFF」に変えました。)

ただ、これは個人としての逃避で終わってはいけない大事な問題です。
世界の統治システムに不備があることが明確になってきている今、僕らは世界の人々と連携して、後世に称えられるような新しいシステムを築いていかなくてはなりません。

このまま世界の国々、特に先進国の多くが、今と同じ生活を続けていくことは無理でしょう。仮に地球資源的に可能になったとしても、やがて人々の総意として、「こんな馬鹿げた仕組みの世の中は続けられない。転換すべきだ」と考え、あるいは権力者達に決断を迫る日が来るだろうと思います。

まずは、人にとって必要最低限のものを誰もが確保できるようにするためには、どうしたらいいのかを考える。続いて、そこから派生する諸々の生きる活力となる事柄を考え直す。

ただしそれは、これまで書いてきたように「お金のシステム」そのものを根幹から考え直した上で、です。できるならば、原発のように撤廃したほうがいい、とは僕は思いますが、それが今すぐには無理そうなので、とりあえずはそこまでの繋ぎとしての代替案でもいい。

手始めに物々交換の精神を見直すことから考える、というのはどうでしょうか。先にリンクを張ったミヒャエル・エンデさんの番組で出てきたように、利子で儲けるなんて野暮な発想は捨てて、純粋に相手との信頼関係を築くことを意図する。

もし生活のための利潤が必要な間は、実際的に見積もった人件費くらいを頂戴すればいいじゃないですか。手数料とかまで欲張っても仕方ない。

当たり前のことですが、関係性の最小単位は自分と他者という相対概念で、この横軸を補完する形で縦軸となる事柄――衣食住に関わるようなライフライン(世の中のインフラストラクチャー)と統治システムのあり方を考え直す。

と言っても、インフラについては既に今回の東日本大震災や原発事故で愛する人々や生活基盤を失い、さらには住む街(土地)自体さえも破壊されてしまったことを受けて、必然的に本質的なところから考え直されていることと思います。また、政府や国のあり方、他国との協力関係のあり方に付いても、この度の大震災を教訓として、強制的ではありましたが学ぶことになりました。

これらのシンプルな横軸と縦軸に加え、次に各自の活動エネルギーの源となるような、例えば余暇を楽しく過ごすための趣味や娯楽というもののあり方を考え直す。いま、巷に溢れているものが、実際にどれだけ人々の幸せに貢献しているのか考えるのは難儀なことですが、でもやらなくては前には進めないと思います。

その作業をするためには、人々の心の状態が今よりも明晰で、感性豊かなものになっている必要があります。でなければ、せっかく立て直しても、また今のような荒廃した社会に逆戻りしていってしまいます。

それから、情報や資源をどのように扱うか(共有・共生の概念)ということや、水や食料をどのように調達したり作り出すか(農法や食事内容についての研究など)、その持続可能なヴィジョンを構築しなくてはなりません。

また、人間性そのものに関すること――例えば哲学や心理・精神面の探求、自然への畏敬の念、精神的な支えとなるような考え方や信仰(特定の人物への崇拝というよりは、宇宙法則などの普遍的概念に対する理解)といったことについて。

学問体系と教育のあり方、真正の歴史の研究と作成、子供達に未来の夢を想起させるための社会環境づくりや大人としての振る舞い、人が集まって何かを組織したり企図する際のグループとしてのあり方、またそれらをまとめるための法整備や制度、それから科学技術をどのように使えば、本当の意味で人々の幸せに寄与できるか、同時に地球や宇宙への恩返しができるかを考えること。

動物や自然(生態系)との関係もこれまでの反省に基づき再考されなくてはならないし、人間活動と地球環境との関わり方も見直しが絶対的に必要です。それから、人と人とが深く結びついた先にある、男女の関係や結婚、性のあり方についても。

生活必需品などの生産工場のあり方(本当に必要な量がどのくらいか、長持ちする製品の作り方の研究、壊れたら捨てるのではなく、部分的な修理で再利用できるような構造にするなど)。今盛んに言われている、エネルギー問題にどう対処するのか。国同士の協力で今ある問題を解決できないか。場所場所で、どんな発電方法が最も有効なのか。

それから、社会福祉というのは、本当のところは何なのか。医療とは何なのか。そういうことを、もう一度、あるいは何度でも根本的に見つめ返す必要があると思います。また、仕事(職業)の意味。何のために働くのか、その目的や使命のあり方と働き方について。

立法・行政・司法に対する国民の関わり方についてや、それぞれの地域の活性化と社会全体との調和の図り方(スムーズな連帯)、個人が社会的な重責を担う場合の責任のあり方など、元の構造からして議論が求められる面もあると思う。

そして、今回の記事でもくどいほどに書いてきた、所有や権利の問題と、お金(経済や金融システム)についての本質的・根本的な見直しと転換。あるいは変革。あるいは廃絶。これらは絶対的に求められていることです。

あと、この記事ではお金のことを多く書きましたが、「所有概念」そのものに関して最も波紋を呼びそうなのは、個人や企業が所有する知的所有権(財産権)を開放したり自由化することかな、と思います。これは、必然的に「お金」とか「利益」のシステムから抜け出さない限りは実現が難しそうなので。

おもちゃの奪い合いを諌め、譲渡することを教える子供用の教育ビデオのように、「貸して!」「どうぞ!」「ありがとう!」とスムーズにいくようになると理想的なんですけどね。

もっとも、家や先祖代々の土地を守りたい気持ちと、社会全体としての必要性との折り合いをどうつけたらいいのか(私有地を手放すことを受諾するようになるには、かなり長い年月が掛かるかもしれませんが)。

今、こうして文章でバラバラに羅列して書きましたが、これらは占星術の12のシステムを意識しています。もっと簡素には易の8つや9つでも大枠的な概要は作れるかもしれません(船中八策のように)。

これは僕が占星術を学んできたから、その理論を引っ張ってきたわけですが、おそらく、こうした体系的に統合されたものが未来の社会システムとしては、わりかしスマートと言うか、簡明で理解されやすいのではないかと思います。

ごちゃごちゃした複雑な構造の世の中になると、また不透明な部分が沢山出てくるので、まずはそれぞれのテーマ別に分類されていくと良いのではないかと(この記事では抽象論ばかりで申し訳なかったのですが)

それから、中身として具体化させていく形を取ることで、焦点を外さすに議論したり、アイデアを肉付けできるんじゃないかという気がします。

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