あいよっこの旅ログ:::Part2:::

「女性のひとり旅は冒険の始まり!」

光明皇后の御魂

2009-04-12 13:38:25 | 日記

                 写真:奈良ホテル前のしだれ桜はピンク色(2009/4/11)

 

南の島から帰ったら、奈良の街中に桜吹雪が舞っていました。4/5の出発までには満開が来るだろう、という予想が外れ、今年はゆっくり開花したみたいですね。でも桜もいろんな種類があり、個々の樹ではまだ楽しめそうですが・・・。

 なので今回は「ちょっと早めだけど・・・」「ああっ、もう遅かった~」という桜の写真です。<o:p> </o:p>

 

写真:桜に負けず、しっかりとポーズをとってくれるしかさん。(2009/4/4)

 

 

さて、この旅ログは基本的にノンフィクション、つまり「事実を客観的に伝える」ことが自分なりのポリシーです。でも今日の話はだいぶ昔のことでもあり記憶違いがあるかもしれず、やや主観的ともいえるでしょう。科学的に証明(これもどんな意味なのかなあ?)されたものだけが、人間の事実・真実ではない、というのがあいよっこのスタンスです。

 

 

前回の矢追日聖・大倭教の法主さまにお会いした時のことです。取材が終わったころ、数枚の写真を見せてくださいました。それは「インド古典舞踊」の世界的な舞踊家、シャクティさんがリハーサルに訪れた時のものです。神社の中庭みたいな奥まった処で撮影された写真には、ピンクや白の丸く輝くものが多数写り込んでいました。

 

 

当時はフィルムカメラであり、現像されたものです。「シャクティはとても霊性が強く、このピンク(どっちだったかな?)は光明皇后のもの、白はその妹の・・・」と説明されました。

 

 

「ちょっと変な話なので、あまり気にしないように」と知人のご主人が小さな声で言いましたが、不思議なことにあいよっこは、荒唐無稽な話とは全く思わなかったのです。

 

                    写真:浮見堂の桜もあと一歩。(2009/4/4)

この大倭拝殿に上がっていったとき、だれもいないはずの方向からなにかの気配を感じて、思わず見渡していました。こんな経験はそのときが初めてでした。だから「それもあるかもしれない」と感じていたのです。あるいはそんな気持ちが法主さまに伝わっていたかもしれません。

 

実は開祖である法主さまはもちろん霊感の強い人ですが、そのお母さんがもっと強い人だったそうで、光明皇后さまからのお告げ(?)により、戦後の奈良駅周辺で倒れたり、病気になっている人々を救い、保護する場所をここに造ったらしいのです。もともとはハンセン病の保護施設から始まったということです。だから光明皇后がここには宿っていらっしゃるのだそうです。

 

 

写真:奈良豆比古(ならづひこ)神社は能楽の源流である「翁舞」が有名。

 

 

また創作集団「えん」が編集・製作した絵本「倭伝承・長曽根日子命」は、記紀にしるされた「神武東征物語」を迎え撃つ側から伝えるもの。神武天皇は最初生駒山を越えて攻め入ろうとしたが倭軍に負け、その後熊野から北上してここ登美谷(とみたに)に入ります。歴史は勝てば官軍ですが、負けたほうの伝承がきちんと残ることは珍しいです。大倭にこういった形で、はるか昔のヒトの暮らしや気持ちが伝えられていることは本当に貴重なことです。

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☆お花ばたけさん、コメントをありがとうございます。戦争で身体を負傷しながら悲惨さを語りつぎ、たくさんの文化的・教育的な活動を続けていらっしゃいます。その好奇心や新しいことへの挑戦の姿勢に乾杯!

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