あいよっこの旅ログ:::Part2:::

「女性のひとり旅は冒険の始まり!」

「平良(ぴさら)綾道(あやんつ)には古来の信仰心が息づく」

2008-02-28 01:13:27 | あいよっこの島々模様

 

沖縄本島から宮古島に向かうJTA便で、機内にある「Coralway20081-2月号」を読んでいました。巻頭の「今月の風:沖縄の人にしか表現できない沖縄がある」で紹介されていたのは、うちなー噺家・藤木勇人さんです。藤木さんは「沖縄が本土のメディアに一方的に消費されているような気もして仕方ない。なんだか、沖縄が食われているみたいでさあ」と話し、「沖縄の人間ももっと積極的に発信したほうがいい」という想いから活動しているそうです。

 

写真:平良港の端で空き缶を蹴って遊んでいた元気一杯の子どもたち。「ねえ、そこに並んでみて」とお願いしたら並んでくれたけど、ちっともじっとしていない。

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そして活動の中から「本土の人はギリギリまで沖縄に迫ってくるけれど、どうしても入り込めない領域というのがあるような気がする。たとえば、スピリチュアルな魅力を求めて沖縄に来る人たちがいる。御願所(ウガンジュ)ツアーなんていうのもあるって聞くからねぇ。だけどスピリチュアルなことは、外からは入ってこられない世界だと思うんだよ」とわかってきたという。そんな部分を自ら踏み込んでいって表現したいと考えているのです。<o:p></o:p>

 

写真:平良市が企画して製作したマップの案内板。ホテルで聞くとビニールコーティングしてあるりっぱなマップを出してくれました。

 

なんだかお咎めを受けた気持ちです。まさにあいよっこもその1人なんだなあ、と首をすくめ身体を小さく(気持ちだけ)してしまいます。でもなぜたった一人で御願所(ウガンジュ)ツアーをしているのか、自分でもよくわからないのですが・・・。たぶん宗教心というものの素朴な形をそこに感じるのかもしれません。自分や自分の周囲では、あるいは失ってしまったかもしれない、人間の神に対する原始的な気持ちが伝わってくるのです。本当のところはその土地に住んで、暮らして、受けついでいる人にしか、もちろんわからないのでしょうけれど。

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今回の宮古島の旅では、でもそんなスピリチュアルなことを期待していませんでした。通常のガイドブックにはそんな情報は載っていないし、そのたぐいの所を探したり見ようとすることに、やはり抵抗感や躊躇する気持ちもあるのです。

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しか~~し「念ずれば通ず」ということが実際にあるのですね。まあ、そんなに強く心に念じていたわけではなく、なんとなくこころにかけている、という程度のことなのですが。島に着いて最初に行った「仲宗根豊見親(とぅゆみゃ)の墓」の案内板に「平良(ぴさら)綾道(あやんつ)マップ」というのを発見! これは「美しい道」という意味の、遺跡やウタキが連なる歴史と文化のコースだったのです。<o:p></o:p>

遠慮しないで訪ねてもいいのね?なんだか嬉しくなってしまいました。次回はその道をたどります。

 

写真:漲水(はりみず)石畳道。漲水ウタキから祥雲寺に続く石畳。戦火や道路拡張などで三分の1ほどが残っている。

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