goo blog サービス終了のお知らせ 

くうねるあそぶ

お散歩好きの四方山話

金沢検定受験対策 坂道散歩(3)

2013-10-03 08:30:00 | 金沢の坂

波着寺から、小立野大通りに出て、お散歩は続きます。

本多の森ホールの向かい側、駐車場の脇に小道があります。

その先が、「大乗寺坂」です。

「慶長から元禄年間に曹洞宗の古寺、大乗寺が坂下にあったのでこの名で呼ばれている。

同寺はのち長坂へ移転した」そうです。

だから、街の中心部に大乗寺の名がついた坂があるのですね。

坂の下には、大乗寺跡の石標も立っています。

 

 

この先、少し歩けば、鈴木大拙館があります。

この日は館内見学はしませんでしたが、外回りを歩くことができます。

街中の喧騒とは別の静かな空間。

落ち着きますね。

 

昨年から、無料見学ができるようになった松風閣庭園(旧本多家庭園)が裏手にあります。

松風閣庭園は約2000坪の広さがあり、江戸時代初期に加賀百万石の家老本多家の庭として

造られたそうです。松風閣庭園は2003年に国の登録有形文化財に指定されたそうですよ。

MROの社屋の裏手になりますが、見事な庭園は必見です。

この散策路は、本多の森、中村記念館までつながっています。

緑の中の散歩は気持ちが良いものです。

 

 

歌劇座の通って、「金沢ふるさと偉人館」へ

ここも館内見学はしませんが、以前は北陸学院付属第一幼稚園があったところです。

高峰譲吉氏の銅像もあります。

日本とアメリカの懸け橋になり、タカジアスターゼとアドレナリンの二つの薬を発明した化学者です。

 

この後は、香林坊から鞍月用水に沿って武蔵が辻方面までお散歩。

鞍月用水

「犀川の上菊橋上流右岸から取水する用水で、藩政初期に改修されたという。

一部区間は金沢城の外堀に利用され、精米、精油などの水車をまわし、灌漑用水に使われた。

鞍月地区を通ったのでこの名がついた。倉月用水とも書かれ、上流は玄蕃川、源兵衛川の別名もあった。」

尾張町の裏手の筋

町家が立ち並んだ通りで風情があります。

この道を下ると久保市乙剣宮、暗がり坂、あかり坂、主計町茶屋街にいたります。

 

まだまだ、見所は多いのですが、今回はここまで。

12キロ、3時間半くらいのお散歩でした。

 

 

 

 

 

 

 


金沢検定受験対策 坂道散歩(2)

2013-10-01 17:15:00 | 金沢の坂

金沢五社のひとつ「椿原神社」

この神社の脇に小立野に繋がる坂が「天神坂」です。

「椿原神社の旧社名、田井天神の横にあるのでこの名で呼ばれている。昔坂の上部は三つに分かれていた」

と石標に書かれています。

 

牡丹臭木

金木犀

秋の花が咲いている小道を歩いて行くと、

旭用水

「浅野川左岸から取水している唯一の用水で、旭町に通じていることでこの名がついた。

かつては一帯が牛坂村だったことから牛坂用水の別名もあった。」そうです。

 

旭用水の先に「鶴間坂」があります。

「坂の上からの眺望がよく、加賀藩時代から詩歌を好む人が訪れ、ここを鶴舞谷と称したのでこの名がついた」

車が通行できない坂は、とても静かでお散歩には最適な場所です。

 

鶴間坂を登ると、校舎が新しくなった「金沢商業高校」があります。

毎年たくさんの来客がある「金商デパート」の案内板もありました。

旧上弓ノ町

「天和のころから足軽弓組の組地で、如来寺組、経王寺組と射場があり、小立野弓ノ町と呼ばれた。

如来寺組は上弓ノ町、経王寺組は中弓ノ町に、また、横山同心組の組地が下弓ノ町となった。」

 

小立野小学校は温かい木のぬくもりを感じる建てものに、建て替わりました。

 

天徳院の脇を抜けて、大通りを渡ると、「亀坂」があります。

「加賀藩初期、この付近は深い谷であったが、戸室石を運ぶため埋めて次第に坂の勾配をゆるくした。

がめ坂の名の由来は明らかでない。」そうです。

 

名もない坂を下りて・・・

次は、白山坂を登ります。

旧白山町

「藩政時代、波着寺門前と呼ばれていたが、波着寺の山号が白山であるところから

明治4年、この名に改められた」そうです。

 

まだまだ散歩は続きます。

 

 


金沢検定受験対策 坂道散歩

2013-09-30 17:09:50 | 金沢の坂

金沢検定の試験が近づいてきました。

試験問題には歴史や文学なども出題されますが、金沢の坂、旧町名なども問題に出ます。

ある、先生は合格のコツについて「いっぱい散歩すること」と話していました。

石標が建っているところをチェックしながら歩くことも、いい勉強になるそうです。

受験した数年前を思い出し、改めて坂道散歩に出かけてきました。

 

 

最初の写真は、医療センターの脇の坂「八坂」と言います。

「昔、付近にきこりが通う八つの坂があったので、この名が付いた。のち、宝憧寺さか、伊予殿坂と

呼ばれた」そうです。

坂の下には松山寺です。

ここは、加賀八家の横山家の菩提寺です。

 

この先には、鶴林寺、雲龍寺、安楽寺とお寺が並びます。

ここから、小立野金沢大学病院へ登る途中、

「木曽坂」のがあります。

「木曽路を思わせるような幽谷であったことから、この名が付いた。その一部は宝円寺の裏門

の坂なので、裏門坂ともいわれていた」そうです。

 

この坂を登りきったところが「旧 百々女木町」

「藩政時代、木曽谷に注ぎ込む川の流れが急で、高い音をたてていたところから、

ここに架けられた橋をどどめき橋と呼び、この名が町名になったという。」

たくさんの女の人が集まるとうるさいということでしょうか・・・・。

宝円寺

前田家代々の菩提寺です。

ここは覚えておきたい寺の一つです。

 

宝円寺の先は細い坂になっています。

ここが「馬坂」

この坂の途中には不動尊があります。

とても特徴的な坂なので、出題率は高いと思われます。

曲がりくねった坂の途中からは金沢城が見えるのです。

見晴らしがいいところです。

坂の主のような猫がのんびり休憩中。

でも私は、まだまだ歩きますよ!

 

次に続く

 

 


金沢の坂 ~帰厚坂・観音坂・子来坂~

2012-07-03 08:30:00 | 金沢の坂

卯辰山の花菖蒲園を見物に行ったのですが、この時期は駐車場が満車の時が多くて

先日も残念ながら通過する羽目になっていました。

今回は、間違いなく見物できるように歩いて登りました。

14代藩主前田慶寧が1867年卯辰山を開拓したときにできた坂です。
長さ250メートル、斜度10度。

この坂の上が花菖蒲園です。

沿道には紫陽花がきれいに咲いていて、急坂を登る人を励ましているようです。

花菖蒲園を見物して、帰りは観音坂の女坂を下りました。

上の写真は観音坂の男坂。

観音院の参道になっています。

四万六千日にはたくさんの人がここを参拝して、トウキビを買って帰ります。

 

と、ここまで散歩したら、もう一息歩いて・・・・・

子来坂に寄ってみましょう。

慶応三年卯辰山が開拓されたとき、作業に来た住民大勢が子供が来るように賑やかに登ったので

この名がついたようです。

東山の宇多須神社脇に上り口があります。

坂上の宝泉寺に続く急坂は斜度が15度。

金沢で車が通る坂の中では一番の急坂らしいですよ。

確かに、運転すると怖いです。

この日は坂を登らず、東山の観光散歩を。

昔の商店の構えも味がありますね。

ここは経田屋米店です。

昔はモダンな窓の建物だったのでしょうね。

木町緑地は大変整備された庭園になっています。

金沢検定には石碑も参考になりました。

橋場町緑地にある火の見櫓。

明治中期ごろまであったものを小さく再現したものです。

この辺り、散歩しても見所はたっぷりです。

ほんの1時間弱でもたくさんの写真を撮ることができました。

 

 

 


金沢の坂 あかり坂②

2012-05-15 20:46:30 | 金沢の坂

主計町の坂といえば、「暗がり坂」が有名ですが、

この「あかり坂」は、五木寛之が名づけた坂として有名です。

以前はこのような石碑はありませんでしたよ。

狭い裏道を歩いていると、時の迷路に迷い込んだように不思議な空間が広がります。

子どものころのかくれんぼの思い出や、お囃子の音、雑多なものがみんな詰まっているような通りです。

 

雑誌に載っていたたこ焼き屋さんに立ち寄りました。

たこ焼きとたい焼きを注文。

飲み物は、テキーラ、日本酒、ビール、ソフトドリンクなどいろいろありました。

このたい焼きは「カレーたい焼き」。

カレーにウインナーが入ったたい焼きでした。

でも、意外に美味しかったですよ。

 

 

 


鶴間坂

2011-06-18 14:53:29 | 金沢の坂
久しぶりに「金沢の坂」散策

小立野の金沢商業高校の裏から旭町に続く坂です。

坂の上からの眺望がよく、加賀藩時代から詩歌を好む人が訪れ、ここを鶴舞台と称していたのでこの名がついたそうです。

対面の卯辰山を見ながら、長い坂を降りていくとかわいい野草が花を咲かせています。
この辺りは学生の街なので、若い人ともすれ違います。






金沢の坂 天神坂

2009-11-28 10:00:00 | 金沢の坂
椿原神社の旧社名、田井天神の横にあるのでこの名で呼ばれています。

子供も頃は、この坂が小立野と鈴見とつなぐ幹線道路だったので、バスは通るし、交通量もかなりありましたが、近年小立野トンネルが開通してからというものは静かな通りになってしまいました。

天神町も、昼間歩いている人影もなく静か過ぎて淋しいばかりです。

お祭りの頃には、賑やかな露天商が並ぶので、氏子ではないのに出掛けていたのですが・・・。
今はどうなっているのでしょうか。

金沢の坂 八坂

2009-10-31 11:04:25 | 金沢の坂
この坂は以前も登場していますので、説明は省略しますね。

この辺りの坂は子供の頃から歩く機会が多い身近な坂ばかりです。
いかに辛くなく坂の上(小立野)にたどり着けるか、選択に苦慮しました。

八坂は下りる為の坂でした。
斜度がきつく、登るには辛いけど、下りは早いから私には下り専用です。

しかし、この写真撮影の時、小さな娘さんをおんぶしたお父さんが坂を上っていました。
娘さんは「歩こうか?」とお父さんを気遣い、お父さんは大丈夫だと、良いところを見せていました。

お父さんもたいへんですね!


金沢の坂 小尻谷坂

2009-10-30 10:00:00 | 金沢の坂
兼六坂(尻垂坂)がメインストリートならば、
この小尻谷坂はバイパスのような坂です。
兼六坂が尻垂や汁垂、尻谷などと呼ばれたが、それよりも小さい坂なので、
このように名が付いたのではないかといわれています。

坂の上の兼見御亭の横から、小将町に下りる坂です。
メインの兼六坂とは違い、静かな通りです。
昔はこのあたりは小尻谷町でしたが、昭和41年に東兼六町に町名変更されました。

子供の頃には、兼六坂は車通りも激しく危ないからと、この小尻谷坂をよく利用したものでした。

それ以来かなぁ・・・。
たいへん久しぶりにここを歩きました。
息が切れるほどの急坂。
子供の頃は、体力があったのですね。

金沢の坂 尻垂坂

2009-10-29 10:00:00 | 金沢の坂
長い急坂で尻を垂れて上るから「尻垂坂」と呼ばれたのでしょうか。
「汁垂れ」が「汁谷坂」となり、「尻垂坂」に変化したのか。
由来については諸説あるようです。
昭和33年までは、この名で呼ばれていましたが、天下の名園の隣の坂の名前にはふさわしくないと呼び名が変わりました。
現在は、「兼六坂」と呼ばれています。

長く広い坂で、斜度から言うと急坂とは言いにくいのですが、歩いて上ると
かなり疲れます。

今回はこの坂をスタートに小立野を散策していきます。
小立野坂めぐり、出発です。