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製造年月日♪♪08.19

日々の出来事をソコハカとなく書き綴ります。。。

あれから18年。。。

2013-01-17 19:22:35 | 戯言

阪神淡路大震災から今日で18年。

震災を知らない人が40%とニュースで言ってた。

 

そうか、18年経つのか。

半数近くはその震災を知らなくなったのか。

 

ではここたろの体験をちょびっと書いてみよう。

あの地震当日、大阪の西淀川区におりました。

知り合いの家に泊まっていました。

本当は地震の前日に帰るはずでしたが、もう1泊して帰ろうという事に。

その帰る日の早朝、地震が発生しました。

 

あまりの揺れに速攻で目が覚めた。部屋全体がグルグル回ってる。

激震の為、怖くて揺れが収まるまで布団の中でひたすら耐えてた。

当時、二階部屋に居ました。一階が車庫の為、床が抜け、下に落ちるのではないかと怖かった。

起きて歩ける様な状態ではなかった。その場から一歩も動けないのです。

 

揺れが収まり、とりあえず建物は無事だし、生きているので「すごい揺れだったね」とか話していたら

救急車や消防車の音が耳に入ってきた。

いつまで経ってもやまないサイレン。どんどん増えていくサイレンの音。

なんかおかしい。

そう思ってTVを付けてみた。(その地域は停電していなかった)

画面に映った情景を見て「やばい」と思った。

 

齢十九歳のここたろ。何をしたらいいのか分からない。

取り合えず、家に電話しよう。あと、食べ物の買出しに行こう。

当時、携帯電話は持っていなかった。公衆電話は長蛇の列。

安否を伝えたいので大人しく並ぶ。

交通ルートは麻痺しているので復旧次第帰ると母親に伝える。

 

食料を買いに近くのスーパーに行くも、棚の商品はカラ。。。。。

どうやって過ごしたのか記憶が曖昧。

今思うと救援物資とか無かったな。知らなかったダケかな?

 

地震の翌日、風邪を引いたので数日間おかゆで凌いだような気がする。(電気、水道は使えたけどガスはダメ)

電車が一部復旧したので梅田から京都まで出て、そこから実家の鳥取へ帰った。

本当は高速バスを利用していたのですが、復旧の目処は未定でした。

 

 

 

その数年後にも同じ様な震度の地震に合う。

鳥取西部地震。

この時は、ヤバイ!家が壊れたら下敷きになって死ぬ!と思い玄関から逃げようとしたけど

あまりの揺れでその場に立ってるのが精一杯でした。(正確にはカベにしがみ付いていたの)

幸い、家は無事だったので助かりました。

 

無事だったのでいつか、忘れてしまう出来事かも知れない。

でも犠牲になった人の事を思うと、忘れちゃいけない、と思った。