進藤龍也牧師の真面目な方のブログ

元ヤクザの牧師の真面目なブログ
進藤語録、進藤節・・・メッセージや独り言をつづります。

重大犯罪で服役後、3割が再犯

2012年07月06日 | 刑務所伝道
重大犯罪で服役後、3割が再犯
塀の中、刑を務めるだけ 
(平成22年11月12日、朝日新聞夕刊)

重大な犯罪で服役を終えた後、10年の間に約3割が再犯をしている実態が、法務省が発表した犯罪白書で明らかになった。
「刑務所は字の通り、刑を務めるだけのところだった」。強盗殺人罪で無期懲役を受け、約38年服役して今年に出所した60歳代の男性はそう語り、再犯を防ぐ取り組みが足りないと指摘した。
 
法務省は「職業訓練などの取り組みには数の限りがある。刑務所ごとに受刑者の能力を見て対象者を決めるため、希望が必ずしもかなうわけではない」というが、この男性は「重大犯罪で長く服役しているほど、社会復帰のための職業訓練を刑務所に希望しても受けられないと感じた」と話す。
 「何も身につかずに出て行く不安は大きい。服役中に失効した運転免許の学科試験だけでも受けられれば大きな自信になるのに……」
 
男性は出所後に免許を取り直し、刑務所内で教誨(きょうかい)師として出会った熊本市の牧師(51)の勧めで、今月10日にはホームヘルパー2級の資格も取得した。今は教会に住み込んで清掃や洗濯の仕事をしながら、介護施設などの就職先を探しており、自立するのが夢だという。
 男性も服役して十数年間は、「規律を破ったとして懲罰を受け、けんかっ早く、心が腐っていた」という。だが懲罰を受けて座っているうちに、「このままでは自分の人生がダメになる」と思うようになった。夢中でお経を唱えている中で、家族や自分がした罪のことも考えられるようになったという。
 長い服役中には、出所しても住居や仕事が定まらず、すぐに再犯をして刑務所に戻ってくる受刑者を何人も見た。「自分を認めて欲しいという気持ちや虚栄、優しさへの飢えがあったと思う。継続して話を聞けば、自分を見つめ直して、再犯しなくなる人も出てくる」

さきたま明社塾 第5回研鑽会報告

2012年07月06日 | 南三陸町支援活動
明るい社会づくり埼玉
さきたま明社塾 第5回研鑽会報告
「宮城県南三陸町志津川・石巻市視察研鑽会」
(10月22日~23日)

 明るい社会づくり運動埼玉県協議会は、この度、「東日本大震災の被災者は何を必要としているか? 我々にできることは何か?」をテーマに被災地視察研鑽会を実施致しました。

■19名で研鑽の旅をスタート
10月22日午前7時15分予定通り、「さきたま明社塾 宮城県南三陸町志津川・石巻視察研鑽会」のバスが、大宮駅前を元気に出発しました。塾生5名、一般参加5名、スタッフ5名、総勢19名の研鑽の旅の始まりです。
今回の研鑽会には残念ながら「埼玉県明社と志津川の縁結び役」の進藤牧師と中澤牧師ご両人とも已む無く不参加でしたが、「罪友教会」を代表してプロカメラマン白井さんが参加してくださり、素晴らしい写真を沢山撮ってくださいました。

■研鑽会開催の経緯
往きの車中は、7月25日~27日に2泊3日で実施した「志津川高校避難者埼玉いやしのツア-」から始まる志津川の皆さんとの出会いから今日に至るまでの経緯、今回研鑽会の現地コーディネーター及び「語り部」を快く引き受けていただいた、佐々木光之さん(旧志津川高校避難所代表)と佐藤秀昭さん(その補佐役)のお二人のブログ「被災前の美しい故郷と被災後の悲惨な状況」を刻銘にまとめた生々しい資料を参考に全員で学習しました。現地の視察時間を少しでも多く取るため途中の休憩も節約。お陰様で予定時間より早く午後1時20分に現地に到着。

■仮設住宅を見学
現地、志津川山間のお二人がお住まいの仮設住宅前で合流、早速、仮設住宅内の生活ぶりを視察。外国産材建築で、厳しい冬の寒さが思いやられる印象を強く受けました。
次いで志津川中学校仮設住宅自治会主催、宮城県明社、中澤牧師の教会等協賛の「山形風芋煮会」に立寄り美味しく芋煮汁を頂きました。見知らぬ人達の集まる仮設住宅で、志津川高校避難所スタッフだった鈴木さんが自治会を立上げ、「多くの人が集え顔見知りになる」ことを目的に進藤牧師が提案し実現したものです。

■高台から見る市街の惨状
中学校の高台からは壊滅した市街を見下ろし、事前学習資料をもとに津波襲来の状況説明。
次にお二人が避難生活をされた志津川高校の高台に登り、佐々木さんの自宅が津波に流される様子や高台下の介護施設の2.5mの津波来襲時の悲惨な状況を伺う。
                   
■防災対策庁舎の悲劇
次に市街地へ下り鉄骨だけになった、あの「防災対策庁舎」付近で佐藤さんの生々しい語りで説明を受けました。佐藤さんの家は隣の町役場とは道を隔てた直ぐ横の自転車店で、「大津波が来ます早く高台に逃げて下さい!!」と遠藤未希さんが津波に飲込まれる最後まで何度も呼びかけ続けた防災対策庁舎も役場の隣です。防災庁舎の屋上に避難した37名中、助かった10名の一人である町役場の総務課長は佐々木さん、佐藤さんとも家族ぐるみの付き合いで直ぐ真下の自家の2階に避難した奥様が津波に流されるのを目撃されたと悲惨な状況も伺いました。

■地盤沈下とまだ片付かないガレキの山
次に中心街から海岸へ向かう。震災前は活気溢れた商店街や商業施設も建物は皆無で残っているのは土台とガレキだけ。特に海岸沿いは7ヶ月たってもまだガレキが撤去されず、水門脇の堤防は決壊したまま、地盤沈下も激しく一帯は水びたし状態。
志津川市街を後に一行は同市内歌津地区の宿泊先「ニュー泊崎荘」に向かいました。

■志津川の皆さんの声を聴く
旅館に到着早々、旧志津川高校避難所の16名の方、ボランティア支援の4名の牧師さんと約40名の懇談会を開催しました。
被災された方々の「困っていること、これからしたいこと、これからの夢」など語っていただき我々として「何ができるか」を考える機会にしたいと企画しましたが、「まだまだ不安のほうが大きく、将来に向けての前向きな計画が立たない状況」と、ほとんどの被災者の方々からの訴えがありました。

■志津川版「短足おじさん」
またご母堂が急逝され已む無く欠席となった中澤牧師からのメッセ-ジ「キリスト教の仲間たちと、子供たちと将来を共に歩く足長おじさんならぬ“志津川短足おじさん”の設立を計画している」との紹介が、全国明社の竹嶋塾生からあり、これからも継続して支援を続ける必要を強く感じた次第です。

■懇親会、進藤牧師メッセージ
懇談会は少々消化不良気味でしたが、それを補うに余りある懇親会になりました。
懇親会は6時半に開会。最初にお祈りに替えて野口牧師が「アメイジング-グレイス」を得意の尺八で演奏して乾杯の音頭をとり、続いて「旧志津川高校避難所は“志津川村”。埼玉から駆けつけると故郷に戻ったような気持ちになった。今後も皆さんと共に歩んでいきたい」と、罪友教会の白井さんに託された進藤牧師のメッセ-ジが読上げられると、多くの志津川の方々の頷く姿が見られました。

■和気藹々、やがて感動的なフィナーレ
宴が進むにつれ、何を語っているのか和やかに酒を酌み交わしている双方の参加者が宴席のあちこちでは車座になっていました。また音楽伝道師のエステル渡辺(あき子)さんはプロの美しい声を披露されアンコ-ルの嵐を呼んだのが切っ掛けで双方の喉自慢がカラオケで歌いました。
震災発生以来カラオケマイクを握る気になれなかったコーディネーターの佐藤さんも青春に返って熱唱。最後は皆で「北国の春」をいつしか肩を組みながら合唱、そして、さきたま明社塾恒例の「今日の日はさようなら また会う日まで…」を全員で輪になって手をつなぎながら合唱。8時半に感動的なエンディング・終宴となり、それぞれの仮設住宅へ帰る志津川の皆さんを宿の玄関で埼玉の全員でお見送りしました。

■2日目、先ず志津川小学校へ
二日目は、朝早く7時30分に旅館を出発、志津川仮設役場、診療所を視察し市街地を一望に見渡せる志津川小学校の高台に行き、津波来襲時の佐藤さんの避難状況を語って頂きました。なぜ佐藤さんは助かり、なぜ隣の5人家族3階建ての中華料理屋さんが全員亡くなったのか? 佐藤さんの生の声を聞きました。51年前のチリ地震津波の記憶「まさかここまで津波は来ない」との思い込みではないかとのことでした。
佐々木さん、佐藤さんの「命が一番最初、命を大切に、命がなければ何も出来ない!!」という重いアドバイスに全員言葉もありませんでした。

■石巻を視察
お二人とは道すがらお住まいの仮設住宅下でお別れして、国道398号線、三陸自動車道の登米東和IC、石巻河南IC経由で次の視察地 石巻に入りました。
石巻明社齋藤会長の出迎えを受け、萩谷みやぎ県明社事務局長と合流、DVDで石巻や周辺を襲った津波や被害状況の映像学習の提供を受けました。
そして進藤牧師から視察先に推薦された場所、避難してきた車が津波で校舎に激しく衝突し校舎ともども3日間も全焼炎上し続けた門脇小学校と周辺地区の無残な姿を視察しました。この時には石巻の人達は、激しい火事の何か暖かい空気を感じたとのことです。全員言話がありませんでした。その後、テレビなどの中継でなじみになった日和山公園の山頂から津波襲来時の説明を受けました。
志津川に比べて、町の復旧度合いは進んでいるとは言え、北上川の中洲は石ノ森萬画館を残すだけで他は全て流出、信号も復旧してるのは幹線道路のみ。
石巻明社相沢さんご自身は津波の被害に合われ3日間水没した自宅の屋根で過ごされたとのこと。家族のこと、知人のことを考えながら、その時一番困ったことは排泄のことだったそうです。
 
■帰途車中、参加者全員で感想発表
石巻の視察を終え、斉藤会長さん等の現地スタッフと昼食後、午後1時に帰路に着きました。 
早速帰路の車中で今回の研鑽会通して、参加者それぞれの思いを発表してもらいました。参加者は、それぞれ深く印象に残る旅になったようです。
「こんな形のボランティア活動もあるんだ」と、従来にない活動企画に 深い理解をして示して頂きました。志津川の佐々木さん、佐藤さん、石巻の萩谷さん、相沢さんの「経験された方しか伝え切れない、心から湧き出る生々しい語り」があってこそ、参加したものの心にズシ-ンと感じる何かが伝わったものと思います。
また、懇談会・懇親会を通して志津川の人達の生の訴え、声が聞こえ濃密な交流が出来たことも重要な要因と思います。

■全員一致:今後も継続して支援を!
「こんな深い良縁で結ばれた、志津川、石巻の皆さんと埼玉との関係を今回だけで終わるのはもったいない、今後とも続けていきたい」との参加者全員一致の確認が取れ、次回最終研鑽会(1月15日)で取り纏めることになりました。どういう形でその関係を続けていくか、今後の課題になりますがワンステップ上った関係になったことは間違いなく、 今後に期待できる研鑽会になったと確信します。
 途中、東北高速道路は秋の週末の行楽で渋滞に巻き込まれましたが、参加者全員充実感を感じながら、午後8時半無事大宮駅前に到着しました。皆さん、長旅お疲れ様でした。
志津川、石巻のコーディネーターと語り部の皆さんが時間をかけ、きめ細かい所まで心配りをして綿密な視察スケジュ-ルを立てて下さった事に深く感謝いたします。有難うございました!

《編集後記》 
東日本大震災発生から220日余り経っての被災地訪問でしたが、昨年10月に進藤牧師を「さ
きたま明社塾」の講師に招いたのが切っ掛けでした。3月11日の震災発生により進藤牧師との縁が西仙台教会の中澤牧師、更に両牧師がサポートする志津川高校避難所の皆さんにまで繋がり、7月末に埼玉いやしのツアーを実施し、志津川高校避難所の親子と2泊3日の親交を結び、今回更に佐々木・佐藤両氏の思いの籠もったコーディネートで素晴らしく意義深い感動的な研鑽会にして頂きました。
こうした出会いが埼玉県明社と現地の絆を更に強め今後の新たな展開に結びつくことを確信しています。全国明社、宮城県明社、そして埼玉県の地区明社・サポーターの皆さんほか多くの皆様の支援に幾重にも深く感謝申し上げます。
 それにしても、画竜点睛を欠き何としても心残りであったのは、進藤牧師・中澤牧師が已む無く不参加だったことです。改めて次の機会の早からんことを切に願っています。
               
明るい社会づくり埼玉 さきたま明社塾実行委員会