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進藤龍也牧師の真面目な方のブログ

元ヤクザの牧師の真面目なブログ
進藤語録、進藤節・・・メッセージや独り言をつづります。

5つの目的 5日目

2014年02月06日 | 第二回 5つの目的 熟考
5つの目的 5日目

熟考ポイント  人生は預かり物でありテスト
自分にとっての一番の預かり物とは・・・
テストとは・・・

開拓9年目の私ですが、最大の預かり物とは自分自身とその人生。
それ以外というなら教会員や求道者。・
それぞれの人生をキリストに向かって導かなければ成らない。
また、良く教え訓戒し、ほめ、励まさなければならない。
ともによろこび、共に泣く人生の伴走者として。

妻という人生のパートナーもその一人だ。共に祈るパートナーでもある。

困ったときだけ、必要に駆られて、、、様々な人がやってくる。
鼻つまみもくる。社会のはみ出し者もくる。祈りなくして生きてはいけない。
必要を見分け提供し最善を行っていくのには祈り、御言葉、神ご自身が必要である。


神からのテストと思うことは、、、
誹謗中傷、無実無根のうわさに、インターネットの書き込みに対する私の態度。
ダビデのように成りたい。
呪いを祝福に変えることができるのは御言葉にしたかったときだけ!
呪うもの、迫害するのも、侮辱するもの赦し祝福する。
実に自分というものが存在するのはこのことに尽きるかもしれない。
社会のごみだったのだ。社会からのろわれていたのだから。
あー、キリスト様の十字架と復活のなんとすばらしいことよ。

5つの目的  4日目 「人生には生活以上のものがある」

2014年01月11日 | 第二回 5つの目的 熟考
熟考
生活以上のものとは何だろう?精神分野、、、いや違う。そのもっとふかい分野。
霊的分野。ここは神の領域だ。この領域には限りがない。なぜなら神は永遠だからだ。そしてその永遠の神は愛だから限りがないのだ。

生活以上のものとは人生の目的に生きることだろう。
人生の使命といっても良い。
霊的分野で生きることを知った今、人生の目的は優雅に暮らすことではないことを知る。贅沢に暮らすことではないと知る。もちろん、それらを否定するものではない。それもついてくるだろう。しかし、それが目的ではないのだ。私の知る社長や会長はいずれも高所得者であるが金銭に縛られずいたるところで多くの教会を助けている。この原理を知っているのだと思う。

地上のものは一切天国に持っていけない。裸で生まれ裸でかえる。
この世での生活とは実にテストである。
天に国籍のあるクリスチャン(神の子)として生きることは三次元の世界にあっていかに天の国の法則に沿って生きるかである。言い換えれば聖書の神の戒めの中で生きるかが問われている。これが神が愛する存在として造られた私たちの存在価値を決める。

人生の目的、神の御思いを知ることはなんという幸い、特権だろう。
まさに一日一生。
今日死んでも良いという悔いのない日々を生きる、積み重ねていく。

今日一日であなたの人生は終わりますといわれたら「何をしますか」
キリストを知る前は、、、想像できない!!
今は唯、罪から離れ祈りに専念する。これは霊的分野に生きている私の変化だ。



今日止めるべきものとして夜九時以降のインターネット。
今日からやるべきものとしては聖徒への電話とメールのフォローアップ。

五つの目的  3日目  熟考

2013年11月16日 | 第二回 5つの目的 熟考
目的にしたがって生きる人生こそ平安の道

目的を妨げる障害は様々あるが自分自身の選択によって取り除けられるものがる。
それは怒り。傷つけられた痛みは赦すことによって手放すこともできるし、いつまでも自分を苦しめることになる怒りや恨みを抱え込むことにもなる。これは人生の目的の大きな妨げだ。

39ページ 人生に意味を感じられるとき、大抵のことは我慢できる。
アーメン。よろこんで我慢できることもあるだろう。それは誰かのための自己犠牲を伴ったときだ。この感覚はきっとキリストの血潮で救われたものしかわからない感覚かもしれない。人の役に立ったときに生きている価値を見出す。

40ページ 何のために生きているのかわからない人生ほど辛いものはない。
アーメン。キリスト者にはわかっている。キリストのように生きることが「私」であり、キリストの身の丈にまで霊的に成長することが神の御心であり「私」なのだと。

目的を知ることによって人生はシンプルになる。これは自分の持っているエネルギーと時間を目的のために効率よく配分して生きていくことを心がけていくことになる。無駄な浪費は物質的なものにとどまらず、時間の浪費を節約することができる。人生の与えられた時間は人それぞれ異なるが時間の速さは同じなのだ。短い人生の中で大きな仕事をした歴史上の人物はこれができたのだ。つまり目的のために生きて、焦点を絞って力を集中させた。幕末の鎖国、日本を変えた勤皇の志士たちはみな20代30代の若者中心で若くして散っていったものもいた。坂本竜馬に高杉晋作、数え上げたらきりが無いが命をかけた生き様には学ぶべきところがある。明治の時代に下級の武士階級に受け入れられたキリスト教だが主君を失った武士が新たに主君として忠誠を誓ったのが救い主キリストなのだ。この気持ちよくわかる。

自分の人生に、神に、隣人に神から与えられた賜物を活かして生きていきたい。それが神が望まれるものだからだ。神様にお褒めの言葉を頂ことより大きな喜びはないのだから。

五つの目的 第二日目

2013年11月14日 | 第二回 5つの目的 熟考
熟考
私は偶然の産物ではなく天地を造られる前から神ご自身がわたしという存在を計画されておられた。
そしてアダムとその子孫に与える楽園として地球を造られた。これも聖書に書いてある事実だ。
この地球は奇跡の星。地軸が傾いていて四季がある。太陽の周りを回っている。朝と夜がある。月が地球の周りを回って夜を照らす。動植物が暮らせる環境がある。この地球は神が愛するものとして造り上げた人間のために造られた。父親が息子のためにマイホームを作るように。そしてこの地球を人間に任された。

それだけすべての人間は神にとってかけがえのない存在であって造り主である。
偶然にできることがあろうか。それであったら何の価値も無いではないか。

人は親も子も選べないが神様が計画しておられる。
子を捨ててしまうような親をも。そこにも計画がある。

ビル ウィルソン牧師も捨て子だったが今は不幸な子を中心に何千人もの子供をキリストに導く偉大な人物である。
ウエイン コデイロ牧師も同性愛の人に子供のころレイプされたが「被害者のままで居なくて良い」と、2万人を導く牧師である。

人それぞれ、人口の分だけ神の計画がる。
神を知ることこそ、己を知ることができる。

五つの目的第一日

2013年11月13日 | 第二回 5つの目的 熟考
熟考
人生は自分中心ではない。それは罪である。英語の罪はsin。自分が真ん中である。
イブがサタンにそそのかされたのは、神のようになれる!であった。
善悪の木の実を食べた瞬間に神のようになってしまった。
傲慢の罪、善悪の基準が自分になってしまった自己中心、禁断の木の実を食べた不従順の罪が入って罪の縄目に縛られてしまった。
その罪の縄目を解くのは自分という主語を神という主語に変えること。
人生の目的を知るのもこの主語を変えること。
神を知ることは自分を造ったデザイナーを知りこと。それは自分を知る上でも不可欠なことだ。
自己犠牲こそが本当の自分を発見する唯一の道であり、それがわたしキリストの方法だと23頁にありましたがその通りです。

どうすればよいか。それは日々、聖書を読み祈り礼拝すること。