進藤龍也牧師の真面目な方のブログ

元ヤクザの牧師の真面目なブログ
進藤語録、進藤節・・・メッセージや独り言をつづります。

五つの目的  3日目  熟考

2013年11月16日 | 第二回 5つの目的 熟考
目的にしたがって生きる人生こそ平安の道

目的を妨げる障害は様々あるが自分自身の選択によって取り除けられるものがる。
それは怒り。傷つけられた痛みは赦すことによって手放すこともできるし、いつまでも自分を苦しめることになる怒りや恨みを抱え込むことにもなる。これは人生の目的の大きな妨げだ。

39ページ 人生に意味を感じられるとき、大抵のことは我慢できる。
アーメン。よろこんで我慢できることもあるだろう。それは誰かのための自己犠牲を伴ったときだ。この感覚はきっとキリストの血潮で救われたものしかわからない感覚かもしれない。人の役に立ったときに生きている価値を見出す。

40ページ 何のために生きているのかわからない人生ほど辛いものはない。
アーメン。キリスト者にはわかっている。キリストのように生きることが「私」であり、キリストの身の丈にまで霊的に成長することが神の御心であり「私」なのだと。

目的を知ることによって人生はシンプルになる。これは自分の持っているエネルギーと時間を目的のために効率よく配分して生きていくことを心がけていくことになる。無駄な浪費は物質的なものにとどまらず、時間の浪費を節約することができる。人生の与えられた時間は人それぞれ異なるが時間の速さは同じなのだ。短い人生の中で大きな仕事をした歴史上の人物はこれができたのだ。つまり目的のために生きて、焦点を絞って力を集中させた。幕末の鎖国、日本を変えた勤皇の志士たちはみな20代30代の若者中心で若くして散っていったものもいた。坂本竜馬に高杉晋作、数え上げたらきりが無いが命をかけた生き様には学ぶべきところがある。明治の時代に下級の武士階級に受け入れられたキリスト教だが主君を失った武士が新たに主君として忠誠を誓ったのが救い主キリストなのだ。この気持ちよくわかる。

自分の人生に、神に、隣人に神から与えられた賜物を活かして生きていきたい。それが神が望まれるものだからだ。神様にお褒めの言葉を頂ことより大きな喜びはないのだから。

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