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進藤龍也牧師の真面目な方のブログ

元ヤクザの牧師の真面目なブログ
進藤語録、進藤節・・・メッセージや独り言をつづります。

5つの目的  10日目  私の目的について考える

2014年04月06日 | 第二回 5つの目的 熟考
5つの目的  10日目  私の目的について考える

礼拝の本質は降伏することにある

昨日のガジマセミナーの帰りに教会員とお茶をしながら恵みを分かち合った。
礼拝について一昨日ザアカイの家の礼拝で話したばかりであったせいもあって礼拝について話しあった。
1、礼拝は明け渡すことである。
2、礼拝は自分自身が供え物である。
3、礼拝は礼拝するために人は造られたので礼拝しなければ本来の自分から離れてしまう。
(教会信条の1つ)
4、礼拝が一番天国を味わえるところである。
  奇跡、預言、癒し、解放、救い、感謝、平安etc

このような話をした翌日の今日にこの10日目を読んで「降伏」この本は二度目に読むのだが、すっかり忘れていた。いい言葉だ。
そして信仰は10分の10だとも説教したばかりだ。
つまり私生活においても明け渡し人生をゆだね、ささげること。
主イエス様を信じました。しかし、あの人は赦しません。
主イエス様を信じました。しかし、10分の一献金はしません。
これは信仰とは言いがたい。
私は信じたからには全うしたい。悔いも残したくない。
自分に死ぬときの勝利も味わい、十字架の後に復活があるのを知っている。
どこまでも信仰を貫く快感をもっと味わいたい!!


私は主イエス様の奴隷です。
私は主イエス様の兵士です。
神様、ご自由にお使い下さい。

               2014.4.6 進藤龍也

5つの目的  9日目

2014年03月17日 | 第二回 5つの目的 熟考
5つの目的  9日目 私の目的について考える

熟考するポイント  私が神に信頼するときに神は微笑まれます。
日本語聖書だと「神は喜んでくださる」これもいい。けど、失敗したときには怖いイメージになってしまう。微笑んでくださる例話として我が子の寝顔を見ているときとあったがしっくりきた。そのとおりでたとえいたずらをしようが点数が低かろうがかわいいのである。そんな天の父の子とされて最高だ!


考えて見ましょう  
あなたの人生において神にもっとも信頼する必要のある領域とは?
2001年 東京拘置所で信じて
2003年 シロアムキリスト教会で洗礼を受けて
謙遜に答えさせていただくならば失敗しながらもつながり続けたことで忍耐と従順を学んできたつもりでいくらかでも成長できたと思う。
12年の信仰生活で「今」思うのは「赦す」ことは一生のテーマなのだと。
ここが一番神が必要な領域であることを認めます。
そして従順にいきたいと思っています。
シムイに向けたダビデの態度が私を励まします。

Ⅱサム
16:5 ダビデ王がバフリムまで来ると、ちょうど、サウルの家の一族のひとりが、そこから出て来た。その名はシムイといってゲラの子で、盛んにのろいのことばを吐きながら出て来た。
16:6 そしてダビデとダビデ王のすべての家来たちに向かって石を投げつけた。民と勇士たちはみな、王の右左にいた。
16:7 シムイはのろってこう言った。「出て行け、出て行け。血まみれの男、よこしまな者。
16:8 【主】がサウルの家のすべての血をおまえに報いたのだ。サウルに代わって王となったおまえに。【主】はおまえの息子アブシャロムの手に王位を渡した。今、おまえはわざわいに会うのだ。おまえは血まみれの男だから。」
16:9 すると、ツェルヤの子アビシャイが王に言った。「この死に犬めが、王さまをのろってよいものですか。行って、あの首をはねさせてください。」
16:10 王は言った。「ツェルヤの子らよ。これは私のことで、あなたがたには、かかわりのないことだ。彼がのろうのは、【主】が彼に、『ダビデをのろえ』と言われたからだ。だれが彼に、『おまえはどうしてこういうことをするのだ』と言えようか。」
16:11 ダビデはアビシャイと彼のすべての家来たちに言った。「見よ。私の身から出た私の子さえ、私のいのちをねらっている。今、このベニヤミン人としては、なおさらのことだ。ほうっておきなさい。彼にのろわせなさい。【主】が彼に命じられたのだから。
16:12 たぶん、【主】は私の心をご覧になり、【主】は、きょうの彼ののろいに代えて、私にしあわせを報いてくださるだろう。」
16:13 ダビデと彼の部下たちは道を進んで行った。シムイは、山の中腹をダビデと平行して歩きながら、のろったり、石を投げたり、ちりをかけたりしていた。
16:14 王も、王とともに行った民もみな、疲れたので、そこでひと息ついた。

5つの目的  8日目  あなたは神の喜びのために造られた

2014年03月15日 | 第二回 5つの目的 熟考
5つの目的  8日目  あなたは神の喜びのために造られた

熟考するポイント   私は神のために造られた

なんと幸いなことだろうか。この真理を知らなければ人生はむなしい。
傷つきまくった人にはこのことが困難に思うだろう。しかし、ここに希望がある。
自分を喜んでくださる神であるなら、私が悲しんでいるときには神様も悲しんでおられるのだ。


考えてみましょう
日常の生活の中で主イエスに対するようにできることはなんでしょうか

中野先生や永瀬さんや石山会長(全員70代)としゃべるようにしゃべりなさいよね!と、喧嘩になりそうになると、いや、喧嘩になったとき、、、いつも妻に注意される。ぐぐぐぐ・・・何も言えん!
まったくもって礼拝とは間逆の態度と心。
私は良く「生き様」をいう。その生き様が礼拝なのだと。その中でちょっとでも夫婦喧嘩があるということはもったいない。万事を益に変えてくれるというから倒れてもただでは起きないで成長してやるけども・・・
礼拝という生き方は人生の十分の一ではない。十分の十が礼拝それがクリスチャンの生き方である。
妻であれ、だれであれ、神の形ににせて造られたものに敬意を払いたいとおもう。



5つの目的 再考 7日目 

2014年03月09日 | 第二回 5つの目的 熟考
自分の日常生活のどの領域において、神の栄光にもっと気がつくことができでしょうか。

考えてみる。
いつも言っていることだが聖書のみことばを知っていても知識。
それを実行し態度に現せてこそ信仰。
あるとき態度の悪い、自分のことを棚にあげた、してもらったことなど微塵も感じていない人と向き合って話すときが来たとき「愛」を自分から示した。そうしたら平安に包まれた。その相手も非常に素直になった。しかし元の木阿弥と成ったが「愛」による勝利を確信した。この勝利は神の平安であると。

インターネットで悪口を言い広めた人が過去に3人謝罪に来た。
まったく唐突で私は何もしていない。これは神様の采配である。一言も文句を言わず謝罪を受けて赦して返した。このときは「いってやればよかった」との思いが後からわいてきたが翌日から直ぐ平安が来た。

このような許しの分野において神の栄光を知ることができると私は言いたい。
また、きれいな自然をみても神の栄光を見ることができる。
教会員やクリスチャン、多くの友、親兄弟、人様から受ける「愛」誠実に神の栄光を見る。
そしてなんといっても礼拝。ここにこそ天国を垣間見ることのできる最高のとき。


5つの目的 6日目 

2014年02月23日 | 第二回 5つの目的 熟考
5つの目的 6日目 

熟考ポイント 地上は故郷ではない

生まれ故郷には愛着があるが、しかし本当の故郷ではない。
私たちはまことの故郷である天のみくににかえるのだ。
この世の生涯はテスト期間といってよい。
愛着がわけば沸くほど己に目が行き自己中心になる傾向がある。
天の故郷には何ももっていけない。
もっていけるのは信仰と人格だけである。
いうなれば神はそこだけを見ておられる。
天の故郷に帰ったとき、あのときにあの人を助けたら良かったのにと後悔はしたくない。

私が母教会に住み込んだときのメンバーは刺青入れて指が短い元ヤクザが3人居た。
どこにも就職できずにくすぶっていたが妻の母が3人とも雇ってくれた。
呉服屋の営業として使い物にならない元ヤクザ・・・指は短い、指にまで刺青あって、人相も悪い、顔にまで刀傷もあるような私たち3人を雇ってくれた。JTJ入学資金は前借であった。そのうち2人は牧師になってる。母協会、妻の母、両親、多くの兄弟姉妹に支えられた信仰である。そのことを忘れずに信仰生活を送りたい。

考えてみる

この地上での生き様がテストならば、やはり合格したい。
信じて合格ではあるが、主席で合格目指したい。
そして信じただけではなくて聖書を見るとちゃんと最後まで保ち続けたのなら!と、書いてある。そのように合格してゴールテープをきりたい。