星月夜縄文土器にある指紋 矢野玲奈
夏がくると
一本の木を思いだす
木は隣りの目立屋の屋根に細い枝をのばし
小さい実をぶらさげていた
その木を
棗だと教えたのは
父であったか
兄たちだったろうか
ふるさとの
たった一つ実をつける木
びくびくしながら登る細い木だ
ぼくはもう何十年とその実に出会っていないのに
夏になると
ぼくは木の下に住んで
いつはてるともなく
甘くも酸っぱくもない実を噛じっている
朝から暑さをかきたてる蝉が鳴いている
高原の夏は
今年で幾度目になるのか
今年もまた
ぼくは蝉の声から
棗の実をもぎ取っていた
共同墓地の前で 加藤三郎
可愛い
オカッパの幸子が
私の脳裏に浮ぶ
私は抱きたい衝動になって 幸子・・・お前はなぜ生きていて呉れなかったんだ。
あの時は貧乏のドン底で 南瓜と豆腐のオカラばかり食べた時だから お前は栄養失調で死ななければならなかったんだ。
母ちゃんも乳が出なくなって お前もつらかったろ。だが お前は豆腐のオカラをうまいうまいと食ったんだってなア。
お前の母ちゃんは四人の子供を育てるために、朝の二時頃から夜の十時か十一時までも豆腐作りしなければならなかった。
借金があった。
病棟にいる父ちゃんのところに お前を背負った母ちゃんは まだ夜の明けないうちにマラリヤと癩病で入院している私を病棟の裏の下駄工場の軒下まで呼び出して
「いくら働いても生きていけそうでない、どうせ死ぬなら一緒に死にましょう」と云った。
父ちゃんは母ちゃんと泣けるだけ泣いて語った。
お父ちゃんもお母ちゃんも お前の兄ちゃん姉ちゃんを親無子にして 社会に残して死ぬ気にはなれなかったのだ。
生きれるだけ生きようと思った。
私は何のためらいもなく泣かせて貰った。
今は こう こんなに涙でビショビショだ。
療養所ではどんなに悲しくても 寄合所帯だから
思いきって泣けもしないんだよ。
幸 幸 お前は死んではいない。
身体はここに埋っているが、幸子 お前は死んではいない。
お前の霊は生きている。
私の心に生きている。
かえって来た視力 武内慎之助
ああ、
全身が戦慄する
私は開眼手術を受けた
繃帯がとれた
時が流れた
新しい生命の芽ばえを知った
ある日油絵が送りとどけられてきた
私は夢中で油絵に触れてみた
みえる、見えてきたのだ
グリーンの密柑(みかん)
赤茶色のりんごがみえてきたのだ
白色の風呂敷に
暖かい人の手がかかっている
続いてシクラメンの絵が
とどいた
赤い花と緑の葉っぱがみえる
手術した網膜に現映してきた
絵に描かれたりんごと密柑が
宇宙を飛び廻る
人工衛星にも見えてくるのだ
手術した網膜に
秋の陽光が強く差す
青いシクラメンの葉っぱは
星が流れるようにもみえる
人のまごころが
シクラメンの一枚一枚の葉に光っている
私は絵を
顔すりよせて眺め続けた
(1963年・2月)
妻はこんきよく洗濯している
わたしのシャツ ズボン
知覚のない手に石鹸袋をくくりつけてもらい
洗濯する盲妻の姿 私にも見えない
あわの中からきこえる音だけ
軽症の頃の妻は
ふっくらとした柔かい手をしていた
包丁のさばき 針仕事も上手だった
いまでは十本の指がみんな曲がり
それでも妻は
ほがらかに愚痴をこぼさない
洗濯の音がさわやかにきこえる
私は田舎廻りの役者にすぎない
高原の野外劇場に抱えられてより二十有余年
真剣に舞台に取り組んで来た
ヘレンケラーの三重苦の稽古した
数々の芝居の美しさも稽古した
知覚のない両手に点字書を抱えて
舌端で読む稽古を続けながら
今はレプラの盲目の果てを
静かに稽古している
夏の夜も
秋の夜も
冬の白夜も
昨日も今日も
懸命になって台詞の稽古をしてゆく
洗濯の音がさわやかに聞える