chuo1976

心のたねを言の葉として

日本の学校には朝鮮人も中国人もいる    一歩

2012-02-05 06:39:27 | 教育
日本の学校には朝鮮人も中国人もいる    一歩



 卒業する生徒から、「先生、これからも言葉の美しさを生徒に伝えていってください」というお礼の手紙をもらったことがあります。
 それは、在日三世の朝鮮の女子生徒からでした。
 私は彼女が朝鮮人だということを知りませんでした。在日朝鮮人であるという事実は、その手紙に書かれてあったのです。
 私は中学校で国語を教えていますので、彼女が「言葉の美しさ」に触れてくれたことはとてもうれしく感じました。しかしそれ以上に、彼女が朝鮮人であることを卒業の手紙で教えてくれたことがショックでした。
 朝鮮人であることを隠しながらこの日本に生きていて、日の丸や君が代を前に日本の学校を卒業することはどんな気持ちだったのだろうと、複雑な気持ちにさせられたものです。


 私は、中国人の生徒を受け持ったこともあります。ある日の技術家庭科の授業で起きたトラブルも忘れられません。
 その生徒はエプロンを忘れてきてしまいました。その日は調理実習の授業でした。各自がエプロンと三角巾を用意してくることになっていたのですが、エプロンを忘れてきてしまったのです。調理の授業では、エプロンなどを忘れたときのペナルティも決まっていました。五分間ほど正座をして、反省の言葉を言う、というものでした。
 その日、エプロンと三角巾を忘れたものは数人いましたが、中国人のその生徒もふくめていつものようにそのペナルティを課せられました。ところが、その日の夜、その生徒の父親からクレームの電話が入りました。罰として「正座」をさせたことが問題だというのです。中国人とはいっても、日本語は堪能でした。父親は冷静でしたが、静かな言葉の中に怒りは伝わってきました。
 後日、父親に来校を仰ぎ、技術家庭科の先生とも会っていただきました。詳しい話を聞いていただくことで理解を得ることができましたが、「正座をさせられた」ことが許せなかったのは、中国人としての憤りなのだろうと思いました。


 子どもたちに罪はありません。どこの国籍であろうと、日本にいる子どもたちを、歴史や政治の隘路に陥らせてはなりません。教室で芭蕉を学ぶことも、英語を学ぶことも大切なことです。国際社会の中の日本が、世界の果実となる子どもたちに対して、国籍によって差別するようなことはあってはなりません。


 最後に中国人の生徒が中学三年生の時に、芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」について、書いた感想文を載せます。

 例えば「夏草や」の「や」の切れ字。夏草をただ想いうかべると、ただの草だけど、その夏草の草原の上をサーと風が通りすぎてゆくと、草の白く反射した部分がきれいに横一列に移っていくのは誰でも見たことはあるはずです。最初に光っていた草もすぐに光を失い、次の草、次の草へと移っていきます。そして、その間の時間はほんの一瞬の出来事です。もしかしたら(本当にもしかしたら)夏草にはこんな意味があったのかもしれません。
 地球から見たら、こんなに小さい草原(夏草)、この長い歴史から見たらこんなに小さい藤原三代の出来事、だけどそのどちらもこんなにも感動を与え、人々を圧倒させる。ただ人の世のはかなさに涙を流したのではなく、この小さな物、事がこんなにも長く、大きく人を感動させていたことに感心し、この句を詠んだのではないだろうかと思います。
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