chuo1976

心のたねを言の葉として

光市事件 死刑確定 永山則夫 関川宗英

2012-02-21 05:57:35 | 死刑
光市事件 死刑確定
マスコミは一斉に実名報道。





永山則夫のメモ

1968年10月から1969年4月にかけて、東京、京都、函館、名古屋で4人を射殺。「連続ピストル射殺事件」を引き起こす。

1969年4月(当時19歳10ヶ月)に東京で逮捕。

1979年に東京地方裁判所で死刑判決。1981年に東京高等裁判所で無期懲役に一旦は減刑されるが、1990年に最高裁判所で「家庭環境の劣悪さは確かに同情に値するが、彼の兄弟たちは凶悪犯罪を犯していない」として死刑判決が確定する。



逮捕から最初の死刑判決まで10年かかっている。さらに、死刑が確定するまで11年。



この裁判の過程で死刑を宣告する基準(永山基準)が示された。



永山則夫の死刑は、1997年8月1日。48歳だった。




1971年、手記「無知の涙」を発表。

1983年、小説「木橋」で第19回新日本文学賞を受賞。





執行同年6月28日に逮捕された神戸連続児童殺傷事件の犯人が少年(当時14歳11ヶ月)であったことが、少なからず影響したとの見方も根強い。少年法による少年犯罪の加害者保護に対する世論の反発、厳罰化を求める声が高まる中、未成年で犯罪を起こし死刑囚となった永山を処刑する事で、その反発を和らげようとしたのではないか、とマスコミは取り上げた(Wikipedia)。





2010年11月25日、裁判員裁判で少年に対する死刑判決が初めて出た(「宮城3人殺傷事件」)。

これは、審議に5日、評議3日しかかけていない。



   

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