chuo1976

心のたねを言の葉として

『鳳鳴 ― 中国の記憶』(2007 中国 王兵 183分)  関川宗英

2019-11-02 06:17:41 | 映画
『鳳鳴 ― 中国の記憶』(2007 中国 王兵 183分)      関川宗英
 
 
 1957年、鳳鳴と夫は、右派分子として反右派闘争に巻き込まれる。そして、再教育農場で夫は死亡。1960年代の文化大革命で再び右派分子のレッテルを張られ、批判にさらされ、今度は母を失う。
 反右派闘争から50年、鳳鳴は自分の半生を本にまとめた。そんな彼女が自分の50年をカメラの前に座り、語る。フィックスのカメラ。鳳鳴がトイレに立ってもカットされることはない。外がすっかり暗くなり、スタッフに灯りを点けてと促されるまでその暗さに気づかなかったまま、話し続けた鳳鳴。カメラはパンすることなく、鳳鳴を捉え続ける。
 反右派闘争の歴史的な資料映像や、右派分子が批判にさらされるスチール写真など一切なく、鳳鳴の話だけが延々と約3時間続く。編集の際、鳳鳴のインタビューのカットは30分だけだったという。
 日本人である私は、鳳鳴の話す中国語は勿論分からない。180分もの映画のうち、その2/3以上はひたすら日本語字幕を見ていたことになる。これは「映画」なのだろうか。70歳は越えているだろう鳳鳴の声、よどみなく自らの半生を語る彼女の理知的な言葉、あるいは夫への愛を語る抒情的な言葉を聞くことは映画的な体験といえるだろうか。字幕を見ているだけなら、本を読んでいることと同じではないか。
 鳳鳴は語り続ける。一冊の本を読むように、彼女は語り続けた。私は180分もの間、隣に座る男の姿勢の悪さや体臭に辟易しながら、何を見ていたのか。
 王兵は上映後の質疑の中、「なぜ、再教育農場の写真を入れなかったのか」と問われて答えた。「彼女を撮りたかった。(反右派闘争の歴史ではなく)彼女が歴史をどう捉え、今どのように考え、生きているのかを撮りたかった」。緊張気味にスクリーンの前に立ち、時々顔を赤らめながら質問に答える王兵が、真顔になって「彼女を撮りたかった」と答えている時、鬼気迫るものを感じた。
 2007年、山形IDFFで出会った王兵。これは新しい表現なのか。一人の老女の昔語りを聞くのと同じことなのか。まだ未消化だが、夫との愛を語る言葉には泣かされた。
 
 2007/10/07  山形国際ドキュメンタリー映画祭にて
 
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