鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

夕方、ベランダに洗濯物を取り入れに行った。

2007-09-23 23:36:57 | 直言!
夕方の空は月に雲がかかっているのが見える。
ほぼ円くなりかけているのだろうか。
25日は旧暦の8月15日、旧盆である。
そして仲秋の名月である。
仲秋の名月に自棄酒を飲んで手紙を書いてよこしてくれた男性がいた。まだ20歳前後だった。
残念ながら日本人の男性だったので何もおこらなかった。それで終わった。
それでもこんな年になっても自棄酒を飲んで手紙を書いてくれた同じ年の人のことを仲秋の名月になると記憶に甦ってくる。
あれからずいぶん長い人生を歩いてきたのに------。

そして韓国では今日から明日から祝日である。25日は旧暦の8月15日、民族大移動がそろそろ昨日あたりからはじまっているだろう。
故郷に帰り先祖の祭祀を行なう。
こうして家族、親戚がつながっていく。
このあたりになると在日韓国人関係の行事は中断する。
韓国に行く人もたくさんいた。
今はどうかわからない。
1980年代の後半は婦人会の関係機関にもよく入って取材していたのでけっこう韓国の故郷に帰る在日韓国人もいたが今は行くことが少なくなったのでわからない。

韓国の親戚のつながりは深いので名節(ミョンジョル=正月と盆のことを言う)は家族にとって大事な行事である。
在日同胞もかつて私の子どもの頃はそうだったが1世がなくなって家族・親戚が集まることも少なくなった。
集るとその分もいいことも悪いこともいろんなことがあった。しかし今から振り返るとあれが家族の基本構造だったと考えその構築が崩れていく在日同胞社会でもある。
帰化が増えて帰化する人、しない人という同胞の中にも目に見えない境界が出来てきた。ここからまた家族や親戚は崩れていった。
同じルーツを持つのに帰化した親戚からは帰化しない人をさげすむということも出てきた。
私は本名で在日韓国人の中で仕事をしているが20年前に帰化した親戚の心の変わりに偏頭痛を何度も起こした。
帰化した親戚の子弟が結婚する。私にも着物着用を要請し式場では韓国人と言わないでほしいと頼んでくる。
私は「なぜ在日韓国人が悪い」と夫にくってかかって抗議した。
そして私は結婚式に参加しなかった。
こんな私の胸の痛みを理解しているだろうか。
夫は帰化するつもりだったが私はある日、民族のほころびにあって帰化することから遠ざかった。
このことには何も後悔していない。
ありのままに生きることの大切さを知ったからだ。
こんな切ないことも乗り越えて人生長いこと歩いてきた。

今日は墓参りをしてきてほっとした。親は墓場から仲秋の名月を見ているだろう。1世の親は韓国のどこでこの仲秋の名月を見ていただろうか。
日本文化の中で生きた父親だったが帰化することだけは反対した。息子のために帰化すると言った。
そしたら父は私に言った。
「そんな弱い子供に育てたのか。この日本でそんな弱い子どもではどうして生きていくのか」と言った。
この言葉を聞いて父はまだ恵まれて日本の会社で長年働き定年退職をしてあの高齢で厚生年金受給者だった。てっきり日本が好きと思っていたらそうではなかった。生きるために選んだ道でそこには口には言えない差別と偏見に会いながらも歯を食いしばって生きてきた父の人生を垣間みた。そして私は目からうろこだった。息子の人生では止められないが私は帰化するのはやめようと思ったときでもあった。

こんなつぶやき、墓場で親は聞いているだろうか。
仲秋の名月が近づいてきた。いろんなことを思った。

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