何の話と思ったら表に出て見たらという。
今日のお月さん、ものすごく綺麗から見たほうがいいという。
私はさっき6時5分に気がついてカメラで撮影したがうまく撮れなかったと話した。
夫は「今だったら綺麗に撮れる」と話したが撮ったけれどあたりが暗いから綺麗にとれへんかった。私の技術がたりない」と言った。
今、6時19分、もうあたりは暗闇になってきている。
キンキラキンの真ん丸いお月様が東の空にくっきりと浮かんでいる。
夜のとばりにフラッシュをたいて撮った写真が月だけが撮れた。フラッシュをたかなかったらぶれて綺麗に撮れない。
キンキラキンキラしている真ん丸いお月様、
韓国ではこの月を見て南北会談はどうした行方になるのか多くの人は心の中でハラハラしてみているだろう。
長い年月、分断国家で対峙してきた。そう簡単にいかない。
いったとしたら相手の言いなりになってしまう。
韓国政府の安定を願うなら言うべきことはきちんと言ってもらいたいと韓国の多くの国民はそう願っているのだろう。
あまりにも長すぎた分断国家、思考も変わり打ち解けていくのにまた同じぐらいの時間がかかるだろう。
韓半島の統一を願うがはたして統一というのは出来るのだろうか。
「板門店」を歩く。前に銃を構えている兵士の姿を見ないでいつ歩いていけるのだろうか。
世界中に同じ月を照らす今日の満月、海外同胞はどんな気持ちでこの月を眺めているのだろうか。
月よ月、動乱も知っているならいつ統一することが分かるのだか。
ベルリンの壁が崩壊したようにいつ「板門店」を越えて自由に往来できるのだろうか。
今はとても歩いていくことができない。
同じ言葉を話す民族のDNAが双方、銃をもって構えている兵士の監視にある。
なんと嘆かわしい民族の悲劇だろうか。
他国によって分断された韓半島、人々の恨の思いは日本の広島原爆被害と違ってまた違う恨を持っている。
広島の原爆被害が理解できるなら韓半島の分断国家の恨は理解してもらえるだろうか。
暗闇にでる満月、人の心をどんな思いにもさせる。
月に願いたい。平和的に統一する日を願っている。誰も犠牲のでない平和統一を願っている。
この月の写真は8月26日、午後6時5分に撮影。フラッシュをたくとぶれるもののまだ取れる時間だった。このあと2・3分後にフラッシユを炊くと夜空に月だけが写っている。その写真を載せるのに気持ちがはばかる。屋根に上って月の写真を撮った月と何も変わらない。変わらないのに、おおはしゃぎしていた地方紙の元カメラマン、故Mさんのことを思い出してどこで撮ったのかわからない月の写真が載せられない。心で納得していればそれでいいのかもしれないが私は写真技術がないのでぶれているが建物が写っている写真を入れておくことにする。
今日のお月さん、ものすごく綺麗から見たほうがいいという。
私はさっき6時5分に気がついてカメラで撮影したがうまく撮れなかったと話した。
夫は「今だったら綺麗に撮れる」と話したが撮ったけれどあたりが暗いから綺麗にとれへんかった。私の技術がたりない」と言った。
今、6時19分、もうあたりは暗闇になってきている。
キンキラキンの真ん丸いお月様が東の空にくっきりと浮かんでいる。
夜のとばりにフラッシュをたいて撮った写真が月だけが撮れた。フラッシュをたかなかったらぶれて綺麗に撮れない。
キンキラキンキラしている真ん丸いお月様、
韓国ではこの月を見て南北会談はどうした行方になるのか多くの人は心の中でハラハラしてみているだろう。
長い年月、分断国家で対峙してきた。そう簡単にいかない。
いったとしたら相手の言いなりになってしまう。
韓国政府の安定を願うなら言うべきことはきちんと言ってもらいたいと韓国の多くの国民はそう願っているのだろう。
あまりにも長すぎた分断国家、思考も変わり打ち解けていくのにまた同じぐらいの時間がかかるだろう。
韓半島の統一を願うがはたして統一というのは出来るのだろうか。
「板門店」を歩く。前に銃を構えている兵士の姿を見ないでいつ歩いていけるのだろうか。
世界中に同じ月を照らす今日の満月、海外同胞はどんな気持ちでこの月を眺めているのだろうか。
月よ月、動乱も知っているならいつ統一することが分かるのだか。
ベルリンの壁が崩壊したようにいつ「板門店」を越えて自由に往来できるのだろうか。
今はとても歩いていくことができない。
同じ言葉を話す民族のDNAが双方、銃をもって構えている兵士の監視にある。
なんと嘆かわしい民族の悲劇だろうか。
他国によって分断された韓半島、人々の恨の思いは日本の広島原爆被害と違ってまた違う恨を持っている。
広島の原爆被害が理解できるなら韓半島の分断国家の恨は理解してもらえるだろうか。
暗闇にでる満月、人の心をどんな思いにもさせる。
月に願いたい。平和的に統一する日を願っている。誰も犠牲のでない平和統一を願っている。
この月の写真は8月26日、午後6時5分に撮影。フラッシュをたくとぶれるもののまだ取れる時間だった。このあと2・3分後にフラッシユを炊くと夜空に月だけが写っている。その写真を載せるのに気持ちがはばかる。屋根に上って月の写真を撮った月と何も変わらない。変わらないのに、おおはしゃぎしていた地方紙の元カメラマン、故Mさんのことを思い出してどこで撮ったのかわからない月の写真が載せられない。心で納得していればそれでいいのかもしれないが私は写真技術がないのでぶれているが建物が写っている写真を入れておくことにする。
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