鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

12月31日、2008年最後の日です。

2008-12-31 10:34:01 | 直言!
しかし私の生活は何もかわらず動いている。
慌しい中にも仕事関係のメール作業、送受信は26日で終わり27日からのメールの受信は迷惑メールばかりである。
削除するのにもすぐ削除ができる。
仕事のメールがあるとそれを除いて削除していくが何日か前に残したはずの受信メールの1件を消してしまった。
もうゴミ箱にもない。
後で電話があったのでその内容がわかってほっとした。
夫は近所の散髪屋に出かけた。
30分もすればもどってくる。
私は外出の支度をしないといけない。
これから大型スーパーに出かけて正月の食材を購入しないといけない。
それにしても12月31日も過ぎていく。
今年は何かと問題の多かった年だった。
老舗の料亭が使いまわしをしていた。
それでこんな事件になって思い出した。
もう10年ぐらいに前になるだろうか。
駐大阪韓国総領事館のあるトップの領事が私に聞いたことがあった。
京都の伊勢丹ビルなど京都駅が新駅ターミナルになってこの中のビルの中で講演がされることで私は取材に駆けつけた。
たまたまトップの領事とこのビルの中で一緒になって目的の会場まで一緒に歩いた。そして高級レストランや料亭の前を通った。
ふと1つの料亭に立ち止まった。
そしてトップの領事が私に言った。
「この料亭はどう思いますか。美味しいですか」と。
私はそんな高級料亭に1度も行ったことがなかったのでそのままありのままに言った。
「私はこの料亭に行ったことがありませんのでわかりません。私は庶民の普通の生活をしていますのでこんな高級な店に行ったことがありません」と言った。
そしたらトップの領事は「そうですか」と言って何もそれから言わなかった。
何を言おうとしていたのか私はそれからも深く考えなかった。
そして今年初めに料理使いまわしの問題が浮上してさてはあの時の話しはこのことだったのかと気がついた。
韓国の総領事館は西心斎橋にある。御堂筋を挟んで向こう側は東心斎橋、けっこう高級料亭が建ち並ぶ。領事たちは多くの日本人たちと会い話して懇親をして日韓親善をしておられる。
そんなときにすでにもうこの料亭の使い回しが噂にあがっていたのだろとやっと気がついた。
もうすでに帰国されて今頃は定年退職されて悠々自適の生活をしておられるだろう。
そういえばこの領事は和食党だった。
たいてい記者懇親会は韓国料理店で行われたがこのトップの領事の記者懇親会は和食の店でずっと開かれていた。
たぶんこの頃からこんな噂が周辺で言われていたのだろうか。
そんなずっと前のことを思い出したものだった。
今年1年も様々のところの現場に入った。
昨年は金剛学園の新校舎竣工式の現場に入って感慨深いものを感じた。大阪市都市計画開発で校舎の1棟が道路になることから立退きになった。
代替地を求めて大阪市との折衝。不動産関係が絡んだ土地折衝、様々に事柄が始まった。2000年に入ると学校関係者は様々な苦しみ立ち向かっていた。
そしてもう1校ある韓国系民族学校と統合にして金剛学園を廃校にしようとするその人たちの私利私欲にふりまわされることになった。
しかし毅然としたのが金剛学園の卒業生のOBたちの役員とPTA役員と保護者だった。
保護者たちは子どもたちの「金剛学園が大好きで他の学校に転校したくない」という子どもたちの声に動かされた。
また教師たちは生徒募集にあたって夏休みもなく朝から夜遅くまで在日韓国人の子どものいる家の家庭訪問を繰り返し学校にも日参した。
ようやくおさまりかけてきたのは韓国政府の舵取りだった。
「一条校を絶対に廃校にしてはいけない」という心意気だった。
1世が苦労して取った一条校認可、絶対に廃校にして一条校認可を減らしてはいけないという気持が学校と1つになった。
学校関係者の地道な血の吐くような苦労のすえにやっと学校建設が始まり昨年9月1日に竣工式にこぎつけた。
もう感動としかいいよようがない竣工式だった。
98年から2002年までここで校長を務めた教師は韓国に傷心のままに帰国した。
未だに大阪に足を踏み入れたくないくらいにまだ心が傷をついているという。
学校関係者は竣工式まで日本におるべきだったとまわりはいうが私は帰国してよかったと思っている。
苦悩しておられた顔を見るのは嫌だった。自分の国、ホームグランドで帰って伸び伸びと過ごしてほしいと思った。定年退職後まで勤務することがないと思い「国に帰ったほうがいい」と私は言っていた。
韓国に帰国してもそのとき無理をして痛めた体調は1年間ぐらい苦労されたが今は元気になってボランテイア活動をしておられる。
英語圏の外国人に韓国語を教えている。
そして小学生の英語の作文指導にも当たっておられる。
日本の物を見たくなったときはソウル市内の安国洞、地下鉄の駅の上にある日本大使館の文化院に行って新聞や本を読んだり映画を見たりしているという。
しかし新校舎になった現在の金剛学園、大阪湾に面した南港の校舎には1度もこられていない。1度は訪れて苦労の賜物の新校舎を見てもらいたいと思っている。生徒も増えて教室を増やさないといけない嬉しい悲鳴になっている。
これも学校関係者の努力の賜物である。
私は側で一部始終をみてきたのでその苦労が手にとるようにわかる。

今年の現場で印象に残っているのはやはり12月の初めに取材した脱北者の懇親会だった。日本で生まれて親に連れられて北朝鮮に行ったが船が北朝鮮の港につくとこれは日本で言っていたこととは違う。嘘だったと気がついた。
しかし後に戻れない。
北朝鮮で一生懸命に生きて行こうと心に決めたと話した人もいた。
しかしやがて日本に帰りたい気持になり結婚したが子どもを作らないできた。
離婚する時も楽だからということで。そして脱北して中国で長い間の潜伏生活。日本に帰りたい一心が天に通じたのか日本に帰れるように事が運んでいって今日本で暮らしている。日本は言論の自由がある。「今が1番しあわせです」と言った言葉が今年の暮れの31日になってもその言葉がよみがえってくる。
皆さんの強い心に触れて私の方が元気をもらった。

2008年、1年が過ぎていく。
脱北した人たちそれでも人知れず自分を隠して生きておられることにまだまだ様々な問題を抱えていることを日本の皆さんも在日コリアンも理解してもらいたい。
そう念じて今年の12月31日の言葉にしたい。


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