鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

5月25日、午後の9時50分。

2009-05-25 22:25:10 | 直言!
今日はクタクタ---。
朝から鶴橋の御幸森コリアタウンで取材してまた午後からこの近くの喫茶店で1人を取材して取材した人と今度は歩いて桃谷商店街に出かけた。
資料のコピーをするのに安いコピー屋さんがあるという。
コピー取ってもらってFax送信して頂くのも悪いと考えて歩いて桃谷商店街に行きこのところにあるコピー屋さんに行った。
なんと1枚5円、28枚のコピー、本の資料1枚づつして頂いた。
そして桃谷の商店街でインタビューした在日の男性と分かれた。
彼はこの近くに自宅がある。
私はすぐ近くのJR環状線の桃谷駅に向かった。
懐かしい駅である。
統一日報時代、事務所が桃谷に2年ほどあったときにここに奈良から通った。
ここから京都の現場に行きまた会社に戻ってきては原稿を書いた。日刊紙というハードな仕事を毎日こなした。
帰りはいつも9時、10時で夫の食事はそれから作っていたがいつも簡単なものだったが夫はすでに誰かとどこかで食事をしていた。
それでも何かを作らないとうるさかった。
何度も仕事をやめよといつも怒られていた。
ときにはやめたくなるときもあったが現場に入って戻ってきて記事を書く。それが活字になったときの快感がわすれられなくて夫の怒りを背中に正面にいっぱい浴びながらも仕事に出かけた。
何度も思った。
独身だったらもっと仕事が出来るのにと。
しかし諸事情で統一日報をやめることになった。
もうこれで終わってもいいと思いながらも記者の仕事にまだまだ未練があった。
しかし退職を余儀なくすることになって大学の聴講生になろうと準備をしていた。このとき初めて夫がいたからよかった。家族という支えがあったから出来たと感謝をした。結婚して本当によかったと心底思った。退職してすぐにある領事から電話が入った。
民団新聞の前身、韓国新聞関西総支社に私を入れた。1年間民団大阪本部会館に詰めた。そしてまたいろいろな事情で在宅勤務という形になった。
これがよかった。家のこともしながらも現場に行き原稿を書くということになった。
そんなこと様々に思い出す桃谷駅だった。
鶴橋駅に降りると4時、近鉄線の奈良行特急は後、50分もまたないといけない。
急行奈良行に飛び乗った。座れなかったらしょうがないと思ったが1つ空いていた。おもいきりダッシュして座った。
奈良に着くとコピー屋さんによってまた大阪でとった28枚のコピー資料をとった。編集局に送るものである。
そして鞄以外にもう1つの手提げにも資料がいっぱい。本がいっぱい。腕は痛いししんどい。
スーパーでできあいの惣菜と刺身を買って帰るが資料の入っている手提げ鞄の上に乗せて荷物を1つにした。重たい。
市内循環バス乗り場に行くとバスが来ているが高校生がいっぱいのって座っている。これは座れないと考えて1台遅らせた。
家に帰ると6時。Faxが入っている。緊急内容の取材要請、編集局に電話して打ち合わせをして電話を着ってからの着替えに荷解き、それからすぐシャワーを浴びてもって帰ってきた資料整理していると夫が帰ってきた。
6時半過ぎたところ。テレビを見ながら夕食、そして9時前になってパソコンを開けた。受信メールの処理に時間をとる。ブログを書く頃は時計が10時前になっている。
夫は私の顔を見て「しんどいのか」という。
ものすごくつかれきった顔をしていたようだ。早く寝よう。
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