鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

6月4日(日)朝の7時半です。

2012-06-03 08:52:14 | 直言!
私は9時にパソコンを閉めて現場取材のため身支度です。
JR神戸駅の直ぐそばが会場です。
2時から5時まで。また適当な時間を見て会場を出て阪神三宮駅に戻ってこないといけない。

昨日は私のミスなのか。
関係者のミスなのか。
6月1日に取材要請があって急遽、また編集局と打ち合わせをしている。
夕方、メールを見て了解を取ると関係者に電話で出席の連絡を入れている。
そのときにただ会場は「ホテルグランビア」という。
私の認識不足でホテルグランビアは大阪のホテルグランビアと思い込んでいた。
まさか京都にホテルグランビアがあると思っていなかった。
近年、京都の現場はとてつもなく少なくなった。
民団関係者が取材して記事にしてくれる職員が京都にはおられる。大変助かっていて私が現場に入ることは1年に何度か数えるほどになった。
若い時の私だったらそんなことにも負けず嫌いがでてまた自分で企画を探して現場によく入っていた。
けれど近年は取材要請のあったところや必要とする企画取材だけ追いかけている私になった。もちろん報酬も目減りしてアルバイトなみかそれ以下である。私は欲もなくただ書くということにこだわってきたので加齢とともに負けず嫌いはどこかに飛んでいって淡々といわれたことだけ仕事をしている。

昨日、3時40分、大阪ホテルグランビアに入った。
宴会のある20階に行く。
関係者にある出版記念と兼ねた総会の団体を聞くが会場の予約が入っていない。
関係者に電話すると留守電になっている。
そして在日韓国人のある記者に携帯電話で聞くとなんと「京都グランビアホテル」だった。大阪グランビアホテルの関係者はホッとされていた。
そして「なんだ----。京都だったのか」と思っていたのか笑っておられた。
記者は「4時から講演会で総会は5時からだから今からでも間にあう」という。若い時の私だったらそのまま新大阪に出て新幹線で京都に出たがもうそんな気力もなくそこまでしなくてもいいと考えてそのまま奈良に戻ることにした。来た交通を使ってJR大阪駅から鶴橋駅に戻って鶴橋から4時40分の奈良行き特急に乗って奈良に戻った。近鉄奈良駅構内で簡単な寿司を買って自宅に戻った。夫は家にいたのでもうビール飲んで肴を食べてテレビを見ていた。
私は家事をしてシャワーをしていく。
ちなみにホテルグランビア大阪はJR大阪駅から直ぐ、思い出した。何年か前まではよくこのホテルの喫茶を利用して取材したものでJR大阪駅のほうが近いとわかった。地下鉄御堂筋線梅田からはかなり歩かないといけない。
夕食を済ませてパソコンを開きながら知人が送ってくれた本を開き少し読んだ。
カバンに中に入れて電車の中で読むことにしよう。
礼状をパソコンでハガキを作った。
そして取材ができなかった出版記念会の関係者に文書を作成してFAX送信をした。お詫びと後日取材なのか資料は郵送なのか。そんな文書を送信してほっとした。時計はもう8時半になっている。

パソコンを閉めてプロ野球中継、阪神対日本ハム、1対1である。しかし試合のテレビ中継は9時前に終わった。夜のスポーツニュースで阪神は負けていた。
そして何気なしに韓国テレビを見ているとドラマをしている。
ドラマの中の台詞に「夜間通行禁止」が入っている。
かなり古い時代の設定である。
1980年代半ばまで韓国はまだ「夜間通行禁止」だった。
「家に帰れなくなったときはどうしていたのか」
と、かつて私がまだ若い40代の半ばにある領事に聞いたことがあった。
「よし、話してやるから1度いらっしゃい」と----。
残念ながら聞くことができなかった。
若かった私は仕事以外に領事を訪ねて行くことに恐れをなしていてそんなことができなかった。もちろん今もできないが若い時はもっとできなかった。
分断国家の恐怖があって何かしら思い切った行動ができなかった。
恐い者知らずだったら出来たかもしれないが------。

ある韓国の知人は話していたことがあった。
「飲んでいて夜間通行禁止」に会うとそのままそこに居座って飲んでいるか花札をして遊ぶかマージャンをして遊んでいたという。
私は心の中で「それほんまかな」と話半分にして聞いていた。
韓国の「夜間通行禁止」には様々な人間たちのドラマがあっただろうと思っている。
経済発展した今の韓国だが1987年当時に赴任して来られた駐在員たちが話していた。1週間に1度は粉物を食べる。うどんなど麺類を食べる日があったと------。当時の男性たちは働き蜂になって韓国経済を繁栄してこられた。
領事や駐在員がよくいっていた。
「韓国は国力がまだまだ弱い。国力をつけないといけない」と口癖にして夜、昼となく働いておられた。日本の赴任は人と会うことが多く食事会も多く胃を壊している領事もたまに見かけていた。
さまざまな事柄を思いだす。
そうして苦労して韓国に戻られると次のポストについてまた昇格していかれる領事たちである。日本勤務はかなりハードである。
まして昔、在日韓国人たちは1世も多く韓国語を話せたのに現在は2世から3世、韓国語を理解できたない同胞たちに領事たちが日本語を収得して赴任してこられる。その苦労も並大抵ではない。
そうして日本・在日韓国人たちと交流して駐在の仕事をしておられる。
1960年前後に生まれた駐在員、分断国家と6・25動乱を乗り越えてきた人たちである。表面はおだやかだがまた違う側面に日本と違う歴史、文化があると思って私はそばで見ている。経済大国になった韓国の裏側を見るようである。「国力をつけた」韓国にかつて働き蜂で働いた韓国の逞しい男性たちがいる。兵役をくぐり抜けた韓国の男性たちはそれぞれに思いの覚悟をもって生きている。ここが日本の男性と違う。
だから韓国の俳優たち、しなやかだが身のこなしが違う、このへん日本の女性を虜にしている。しかし何処も同じ、結婚するまで優しいが結婚するとどこも同じ、日本と同じです。

それにしも昨日のドラマ「夜間通行禁止」のとき、男女は終電車に乗れなくなって夜行列車に乗って夜を明かしていた。
こういうこともあったのかと思って見ていた。

とりとめないことを書いていると8時21分です。
そういえば「夜間通行禁止」があった時代、韓国に赴任していた同級生がいた。今度会った時はどうしていたのか聞いて見たいものだ。
「もう忘れた」といわれそうだがそんなはずがないほど成績優秀な人だったからきっと覚えているはず----と、昨日のドラマの内容にそんなことを思っていた。
さてこれから神戸に行く身支度です。

写真は昨日、鶴橋駅から大阪行きの大和路快速に乗車した。
大和路快速はマナーが大変悪い。
飲食する人はもちろん、化粧する人も多く電車の中は匂いで吐き気がする。
それで奈良からよほどの理由がない限り大阪に行く時でも乗らない。
近鉄も化粧する。飲食する人が多いが大和路快速よりまだ少しましである。それで近鉄電車を利用している。
大和路快速はまた騒がしい人が多いのだろう。
「騒がしい」に関する広告が出ていた。
他に「化粧のマナー」「飲食のマナー」をしてほしいと思って写真に撮った。
座っている座席から撮ったのできれいに取れていないが----。
2012年6月2日午後3時過ぎに撮影。
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