鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

大阪の現場を終えて奈良に戻ってきた。

2007-09-01 22:48:30 | 直言!
急いで自宅に戻ろうとしたらかつて奈良で雑誌記者をしていころの懐かしい知人にあった。久しぶりだった。もう何年も自分のことは話さないでたまに道端でお会いしても世間話だけだった。
今日は時間が遅いのに行儀菩薩の噴水横にある石の腰掛に並んで座った。横にお連れさんがおられた。
ふと愚痴をこぼしたくなった。
こぼしたところで別にもれても困らない話だったので話した。
このごろ韓国のイベントでよくかつて奈良で活動していた人の話しを愚痴った。
このごろ大阪の韓国のイベントの中に出没していると話した。
そしたら奈良で活動していたころの昔話を言ってくれた。
どの会合もみんな虫の穴みたいに穴だらけにしてみんなたいへんな目にあったといってくれた。活動できないところもあると言った。それほどひどい人なのである。口の上手さ、嘘八百は天下1品であるとも言った。
「そうそう」と私も頷いていた。

奈良でかつて地方紙で活躍していた人のところまでいって食いつぶしていったとも話してくれた。
「あれはもう性格、もうなおらへんわ」とも言っていた。
奈良はこうして批判の言葉が飛び交うのに大阪は何もなくいっているのだろうか。
しかし私の性格をよく知っておられて「相手にせんこっちゃ」とアドバイスしてくれた。それで私は「相手にする気もなれへん。顔もみたくない。話もしたくないので無視している」と話した。
そして知人は「私もあんな性格の人は苦手やから面とむかって話しをするのは避けてきたわ」とも言ってくれた。
私はもう年を重ねてくるともう摩擦はしたくないのでかつて好きで作ったペングループにも顔を出さなくなったと話したら「あの会合もまだいろいろありそうよ」とも言ってくれた。
なんか話しているといろいろ愚痴がでてくる。雑誌記者時代の友人・知己の関係がでてくる。そうすると彼女の携帯がなったので「また」と言って石の腰掛から立った。

久しぶりに行儀菩薩の噴水側の石の腰かけに座った。
夕暮れのたそがれ時、足早に家路に向かう人々の暮らしにほっとした気分になった。
そういえばなんとこんな気持ちになぜだろうと思った。
心がほっと落ち着いてこの風景はどこで見たのだろうかとふと思った。
地下鉄コスモスクエアから生駒に向かって電車に乗った。
吉田から新石切に向かう途中の景色、ところどころに高いビルがあるが黒い瓦をのせた日本家屋の家がトンネル入る寸前に瓦の甍が四方に広がっていた。黒光りする瓦の甍、なんと心が落ち着くのだろう。
こんな景色どこかで見たことがあったとふと思った。
どこだろう。
実家の木津だったのだろうか。
いや、もっと田舎だったかな。
ふと笠置の木津川のほとりに並ぶ家屋だったのだろうか。

いや違う。思い出した。
高校が内田山の小高い山にあった。校門から降りて坂道を降りて行くと日本家屋が広がっていた。黒々とした瓦屋根がひろがっていた。
あの光景に似ていた。
そして気がついた。日本家屋の家は瓦屋根で甍の広がりと屋根の線に人の心をほっとさせる何かの精神的作用があるのではないかと思った。
そんなことを考えていると電車は暗闇のトンネルに入っていった。「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」という文章を書いた川端康成の言葉を思い出したがそこは雪でもなく繁華街だった。
デパートの建物大きくそびえひっきりなしに通っている車に雑踏の騒音に紛れ込んだ。

瓦屋根、人間が手作りで作った瓦は心の温かさを伝えているのだろうか。
瓦屋根に愛しさを覚えた。
先人たちの考えた瓦屋根が今も受け継がれて日本家屋に見られる。
長年培った技術の息吹きが入っているのだろう。
ほっとした不思議な気持ちに懐かしさと愛しさを覚えた。
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