鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

4月29日、昭和の日です。

2008-04-29 23:13:35 | 直言!
私の子どもの頃は天皇の誕生日でした。そして昭和天皇がなくなられて今の天皇は12月22日だったか23日だったのか。さてこの日の祝日を失くすのもゴルデンウイークからはずすと黄金の日でなくなる。さてどうしたらいいものか。
国は悩みました。
「緑の日」という提案もあった。
しかし国民はなんの記念日かどうでもいいのか。記念日の名前は忘れるほど祝日が多くなった。第何曜日が敬老の日になったり体育の日になったり、もう私には覚えられません。
私の子どもの頃からのはちゃんと覚えています。
建国記念日、なぜ建国記念日だったのか。休みになりました。これも私が大分大きくなってからだったので----。
春分の日、そして4月29日、5月3日の憲法記念日、5日の子どもの日、8月15日は日本の終戦記念日とか、夏休みでした。
9月の秋分の日、11月3日の文化の日、23日の勤労感謝の日、これ位しかなかった。東京オリンピックが終わって10月10日は体育の日が作られた。これも祝日が最近変わった。ころころよく変わるのです。
なんかこの頃は祝日が多くなった。こうしてみると私たちの世代の親は本当に休まず働いてきたものだ。私たちもそうだった。ほんの少ししか休日がなかった世代の私はなんか今はあまりにも休みが多すぎる。
これでは大人も子どももだらけてしまう。
どちらがいいのかわからないが-----。
今日、テレビ番組でNHKは「昭和の日」としてチャリテイコンサートをしていた。昭和の名曲を披露していた。だがまてよ。昭和の名曲ならなぜ日本の歌にしないのか。洋画の挿入名曲の聴きたいがなんか「昭和の日」にしてはちぐはぐである。長崎の交響楽団のオーケストラで歌う日本の歌手にも違和感があったがそれはそれでまたこれも新しい文化の取り入れだろう。しかし「昭和の日」とつけば日本の歌に絞ってほしかった。
でなかったらタイトルを変えるとか------。なんかこそばい感じだった。とってつけた内容だった。
「昭和」は激動だった。日本の昭和は半世紀が戦争していた。他の国は侵略したりされたりという時代だった。「昭和の日」ときいて私の世代はそう違和感はないが「昭和」と言う言葉に違和感を持つ人も多くおられるだろう。
戦争と言う時代、様々な思いがある。

ここから話しは少し違うが私は雑誌記者から在日韓国人の新聞社に転職して在日コリアンの間を取材していた。奈良県内に住んでいる在日韓国人の商工人が作る「昭和会」があった。在日韓国人の2世から3世で活躍する人の連載が企画されて毎日紙面に左肩トップで記事を連載していた。当時、私は猛烈に働いていたのでこの連載も多く担当した。あちらこちらに電話をして対象者を探した。その中で民団奈良県本部の関係者が教えてくれたのが商工人の集まり「昭和会」だった。当時の会長は後に団長をされたが斑鳩在住の人だった。
取材して記事にした。
活動の内容は良かった。
しかし当時の編集局長からクレームがついた。
「昭和会」の名称では記事にできない。「何か違う名前にしてもらいたい」という。またその意向を伝えるが「昭和会が1番いいので変える気がない」と言う。
そしてその記事は編集局が「保留にすると伝えて下さい」ということになった。
その記事は掲載されなかった。そしていつのまにそのコーナーは終わった。
奈良県の在日韓国人は狭い地域で暮している。地元の人とも親しくして暮してきたので「昭和」と言っても違和感がなかったのだろう。
しかし在日韓国人の新聞社は違った。
日本植民地支配から解放された。言論の自由も得た。知識人たちは発言をして活動した。しかし南北分断国家になって言論の自由はなくなった。何も発言ができなくなった。日本に多くの人が密航してきた。日本に渡った。言論の自由を求めて新聞社を起こした人が韓国政府の元役人だった。
日本植民地時代に生まれ成長し大学をでて崩壊した国づくりに励む時に南北分断になった。言論を阻まれた役員たちの多くが日本に渡ってきた。
こうした時代を生きた人は「昭和」と聞いただけで身震いをするのだろう。
「昭和」と言う言葉には日本人にはいろいろな思いがある。戦争を挟んで平和国家をめざした。経済大国になった日本にはいろんな思いがあるのだろう。
朝鮮半島は日本植民地支配されて戦争末期になると徴用に強制連行そしてそのまえには創始改名という残酷な体験は「昭和」だった。
私は日本に生まれて田舎で育ちまわりは純朴な人ばかりの中で暮してきた。
「昭和」の響きに違和感がないが「昭和」と言う意味にそれぞれに生きた人たちの思いがあることを雑誌記者時代、掲載されなかった記事で気がついた。
その「昭和」も遠くなっていく。平成20年という。2008年である。
そういえば今日は「昭和の日」だった。
あまりにも休みが多くなっていつ休みなのかわからない。
唯一の手がかりはカレンダーをみるしかない。私の世代である。



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1 コメント

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”4月29日、昭和の日”に共感! (スッチ・ジェーラ)
2008-04-30 04:19:31
 ”4月29日、昭和の日です。 ”読ませて頂いて共感するところが多かったです。有難うございました。

 大正生まれの両親も日本という天皇制の国の犠牲者だと思います。青春も戦争の時代で、ずたずた、苦労の連続。昭和は平和の意味でしょうが、ベトナム戦争が終わってからようやく平和と呼べるというべきかもしれませんね。

 祖父は日清・日露戦争に参戦、金鵄勲章受賞で、皇居に向かって毎朝遥拝(年金をもらえたからかもしれません)。父母とは大分違います。

 母:幼少時、釜山の富裕な日本人家庭で行儀見習いのご奉公の経験のある母は父を戦争で何度も取られて、”国”とは何なんだと疑問に感じたそうです。

 余談:母が覚えていた唯一の韓国語は”オプソヨ”で、間に合っているという断りの意だそうです。

 父母は大分前になくなりました。
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