ソウル市庁前に広場がある。そこは真冬になるとスケートができるように市民の広場になっている。そして夏が近づいてくるとスケート場は噴水広場に変っている。噴水の中に入って子どもたちや若い人がはしゃいで姿が写真になって掲載されている。
ソウル市庁前は拠点のようでここから有名なロッテホテルもロッテ百貨店、そして先日焼失した南大門その側には有名な南大門市場がある。また近辺は明洞というソウルの町きっての繁華街、最新のファッションがブテックに並んでいる。この近くには私が以前宿泊していた世宗ホテルがある。世宗ホテルのすぐ側に明洞の地下鉄の駅がある。若いときはここからよく地下鉄に乗って二村洞に住んでいた在日韓国人出身の女性を訪ねていった。
近年はソウル市庁のすぐ側にあるニュー国際ホテルに泊まっている。
4月25日は在日韓国人出身の人たちばかりが集まる会合がある。
今年は7月のあるイベントにあわせて訪韓する予定なので今回の誘いに現地での取材ができなくて韓国に住んでいる在日韓国人の女性にメモを頼んだ。ネットで「韓国に暮らして」に登場した人である。
7月の訪韓の折は京都出身の女性が経営している韓国レストランで一緒に食事をしてこようと思っている。
そしてもう1つ行きたい店がある。日本の寿しで有名なところがある。
ここも行きたいが独りでは行かれない。知人夫婦にお願いして連れてもらいたいと考えているが-------。
それが韓国に着くと自分の取材の仕事でソウルの町をタクシーで走り回っているので夕方になるとクタクタになってホテルに帰るとバタンキューになっている。コンビニでバンを買って来てそれですませていることもある。
若いときは遅くまであちらこちらに行ってもなんともなかったのに今はそういうことはしんどい。
韓国クラブに韓国の釜飯、野菜専門の店に日本料理店そしてカラオケなどなど40代はそんなことしてもなんともなかったのに今は自分のことを昼間に済ませてホテルに戻るともうそのままベッドに寝ながらテレビをみたりしてゆっくり過ごしたいと思ってしまう。
もうソウルの町の桜も葉桜に近くなっているだろう。
これからアカシアの木に花がいっぱい咲く頃になる。
つつじも咲く。レンギョウの黄色、アカシアのピンク、ショッピングピンクのつつじ、厳しい寒さの後は1度に山々は花が咲く。菜の花と麦畑も圧巻である。
そして韓国の新聞にもう1つの記事が掲載されていた。
慶尚北道で日本慶尚北道民会の皆さんが韓国慶州に訪問して苗木の植樹をしているところがニュースになっていた。
韓国は6・25動乱で山と言う山は焼かれて禿山になった。1965年、韓日国交正常化で故郷に帰れるようになった1世たちが故郷の山々は見るも無残な禿山になっていた。山に木々を多くしょうと植樹に寄与した。1世たちは当時の大統領が作った「植樹の日」にあわせて訪韓、植樹祭に参加して多くの苗木を植えてきた。当時の大統領は木々の伐採の禁止令も出した。それほど山々の木々は自然の中で重要な役割をしている。それでオンドルは練炭に変ったが一酸化中毒の事故もたくさんあった。
1世たちは故郷のぬかるみの道もアスファルトにした。学校も建てた。
青々と立ち並ぶ木々の並木、韓国の山々は緑多い町になった。陰には在日韓国人1・2世の汗と涙の尽力があることを日本の人も本国韓国人も知ってもらいたい。
1世の背中を見た2世は日本の定住の運命に次世代が生きやすいように地域の共生を主眼にして活動している。「1世が韓国の故郷にお金を運んでいなかったら日本の各地に在日コリア文化会館がいくつも出来ていた」という言葉もときにはでるが1世と2世の思考は違う。1世は生まれたところが韓国である。日本は客地だった。私の父親の考えもそうだった。もし故郷に帰れるものなら帰国をしたかっただろう。生活基盤ができていたら帰国していただろう。
日本である程度の生活構築ができて韓国に帰国してからの経済構築は果たして成功できるのか。そんな思いがあって帰国しなかったが故郷は韓国だった。
2世は日本で生まれて日本で教育を受けている。韓国に行くことはあっても永久に帰りたいとは思わない。日本が故郷だと思っている。韓国は親の祖国でルーツなのである。
こんなことを書いているとまた1世の生き様になり動乱で国が荒れて政変があれて南北分断になった当時の話しになってしまう。
ソウル市庁前の広場は市民の広場になった。現大統領がソウル市庁時代に改造されてソウル市庁前の広場は地下道に入らなくても横断歩道で明洞の繁華街、南大門、徳寿宮、景福宮にいけるようになった。歩いていけるようになった。
そして清渓川(チョンゲッチョン)の清流に心が安らぐ。
韓国が経済発展をして余裕ができたからこんなふうになってきた。
1987年のとき在日韓国人の新聞社に転職した。ついこの間まで1日2食だったという。そして1週間に1回は粉物、うどんなど食べたという。また麦御飯も普通に食べていたという。
それで京都であるところで麦御飯がメインの店で一緒に食事したことがあったが私は麦御飯が食べられなくて残した。
子どものころはよく食べていたのに白いご飯を食べるようになって麦の中に入った黒い筋で見ただけで食べられなかった。
しかし一緒に行った韓国からこられている人は美味しく食べておられた。
それが今は韓国が日本を追い越すほどの経済発展になっている。
みんな汗をかいて涙を流して豊かな国を目指して働き詰めに働いてきた。そんな歴史の流れをるソウルの町である。
海を隔てた韓国の人たちは豊かになる日本を見る目はまぶしくうらやましかった。
そうした思いを胸に秘めて働いた。知恵をだして工夫をした。外貨獲得のためにされた海外派遣事業、海外派遣にチャレンジした建設会社が20日訪日する現大統領が勤務した建設会社である。チャレンジ精神をフルに活用して韓国の建設にとりくんできた。
ソウルと釜山の京釜高速道路は当時の大統領の発案で作られた。難関な箇所はいくつもあった。それをやり遂げたのは現大統領が勤務していた建設会社である。みんな意欲と前向きチャレンジ精神でひたすら努力してこられた。
この時代のドラマが2年前に放映されたが途中で放映が中止になった。
当時の大統領の英雄物語になるという風評があったと聞いている。夫とその歴史史実を興味深く韓国テレビで見ていた。放映中止になってとても残念だった。
このテレビのドラマの中に詳細に脚本が書かれている。
海外派遣の様子もドラマに出てくる。海外派遣の中で出てくる人物に現大統領も出てくる。日本植民地支配から解放されそして次いでの動乱、動乱は南北分断を決定的なものにした。暗中模索した韓国の国づくりだった。
日本で生まれたということはそう話しがたらないとある人から聞いた。
日本の土に様々な思いがあるだろう。
国会議員時代はよく大阪にこられたと聞いている。私も1度お会いしている。名刺交換だけをした記憶がある。普通の控えめな印象だった。
すごいパワーが秘めているとは見えなかった。
「能ある鷹は爪を隠す」こんな言葉が当時の私見た印象になった。
在日韓国人の地方参政権付与に良い方向に決着つけてもらいたいと願うばかりである。
ソウルの町は今頃、田園では梨の花も咲いているだろう。
レンギョウの咲き乱れは圧巻だろう。
見たいな。と思うが7月の訪韓になりそうだ。
「暑いのによく行くわ」と言う人がいた。
ほんま。私も暑い訪韓は苦手だが仕方がない。イベントにあわせての訪韓である。
ソウル市庁前は拠点のようでここから有名なロッテホテルもロッテ百貨店、そして先日焼失した南大門その側には有名な南大門市場がある。また近辺は明洞というソウルの町きっての繁華街、最新のファッションがブテックに並んでいる。この近くには私が以前宿泊していた世宗ホテルがある。世宗ホテルのすぐ側に明洞の地下鉄の駅がある。若いときはここからよく地下鉄に乗って二村洞に住んでいた在日韓国人出身の女性を訪ねていった。
近年はソウル市庁のすぐ側にあるニュー国際ホテルに泊まっている。
4月25日は在日韓国人出身の人たちばかりが集まる会合がある。
今年は7月のあるイベントにあわせて訪韓する予定なので今回の誘いに現地での取材ができなくて韓国に住んでいる在日韓国人の女性にメモを頼んだ。ネットで「韓国に暮らして」に登場した人である。
7月の訪韓の折は京都出身の女性が経営している韓国レストランで一緒に食事をしてこようと思っている。
そしてもう1つ行きたい店がある。日本の寿しで有名なところがある。
ここも行きたいが独りでは行かれない。知人夫婦にお願いして連れてもらいたいと考えているが-------。
それが韓国に着くと自分の取材の仕事でソウルの町をタクシーで走り回っているので夕方になるとクタクタになってホテルに帰るとバタンキューになっている。コンビニでバンを買って来てそれですませていることもある。
若いときは遅くまであちらこちらに行ってもなんともなかったのに今はそういうことはしんどい。
韓国クラブに韓国の釜飯、野菜専門の店に日本料理店そしてカラオケなどなど40代はそんなことしてもなんともなかったのに今は自分のことを昼間に済ませてホテルに戻るともうそのままベッドに寝ながらテレビをみたりしてゆっくり過ごしたいと思ってしまう。
もうソウルの町の桜も葉桜に近くなっているだろう。
これからアカシアの木に花がいっぱい咲く頃になる。
つつじも咲く。レンギョウの黄色、アカシアのピンク、ショッピングピンクのつつじ、厳しい寒さの後は1度に山々は花が咲く。菜の花と麦畑も圧巻である。
そして韓国の新聞にもう1つの記事が掲載されていた。
慶尚北道で日本慶尚北道民会の皆さんが韓国慶州に訪問して苗木の植樹をしているところがニュースになっていた。
韓国は6・25動乱で山と言う山は焼かれて禿山になった。1965年、韓日国交正常化で故郷に帰れるようになった1世たちが故郷の山々は見るも無残な禿山になっていた。山に木々を多くしょうと植樹に寄与した。1世たちは当時の大統領が作った「植樹の日」にあわせて訪韓、植樹祭に参加して多くの苗木を植えてきた。当時の大統領は木々の伐採の禁止令も出した。それほど山々の木々は自然の中で重要な役割をしている。それでオンドルは練炭に変ったが一酸化中毒の事故もたくさんあった。
1世たちは故郷のぬかるみの道もアスファルトにした。学校も建てた。
青々と立ち並ぶ木々の並木、韓国の山々は緑多い町になった。陰には在日韓国人1・2世の汗と涙の尽力があることを日本の人も本国韓国人も知ってもらいたい。
1世の背中を見た2世は日本の定住の運命に次世代が生きやすいように地域の共生を主眼にして活動している。「1世が韓国の故郷にお金を運んでいなかったら日本の各地に在日コリア文化会館がいくつも出来ていた」という言葉もときにはでるが1世と2世の思考は違う。1世は生まれたところが韓国である。日本は客地だった。私の父親の考えもそうだった。もし故郷に帰れるものなら帰国をしたかっただろう。生活基盤ができていたら帰国していただろう。
日本である程度の生活構築ができて韓国に帰国してからの経済構築は果たして成功できるのか。そんな思いがあって帰国しなかったが故郷は韓国だった。
2世は日本で生まれて日本で教育を受けている。韓国に行くことはあっても永久に帰りたいとは思わない。日本が故郷だと思っている。韓国は親の祖国でルーツなのである。
こんなことを書いているとまた1世の生き様になり動乱で国が荒れて政変があれて南北分断になった当時の話しになってしまう。
ソウル市庁前の広場は市民の広場になった。現大統領がソウル市庁時代に改造されてソウル市庁前の広場は地下道に入らなくても横断歩道で明洞の繁華街、南大門、徳寿宮、景福宮にいけるようになった。歩いていけるようになった。
そして清渓川(チョンゲッチョン)の清流に心が安らぐ。
韓国が経済発展をして余裕ができたからこんなふうになってきた。
1987年のとき在日韓国人の新聞社に転職した。ついこの間まで1日2食だったという。そして1週間に1回は粉物、うどんなど食べたという。また麦御飯も普通に食べていたという。
それで京都であるところで麦御飯がメインの店で一緒に食事したことがあったが私は麦御飯が食べられなくて残した。
子どものころはよく食べていたのに白いご飯を食べるようになって麦の中に入った黒い筋で見ただけで食べられなかった。
しかし一緒に行った韓国からこられている人は美味しく食べておられた。
それが今は韓国が日本を追い越すほどの経済発展になっている。
みんな汗をかいて涙を流して豊かな国を目指して働き詰めに働いてきた。そんな歴史の流れをるソウルの町である。
海を隔てた韓国の人たちは豊かになる日本を見る目はまぶしくうらやましかった。
そうした思いを胸に秘めて働いた。知恵をだして工夫をした。外貨獲得のためにされた海外派遣事業、海外派遣にチャレンジした建設会社が20日訪日する現大統領が勤務した建設会社である。チャレンジ精神をフルに活用して韓国の建設にとりくんできた。
ソウルと釜山の京釜高速道路は当時の大統領の発案で作られた。難関な箇所はいくつもあった。それをやり遂げたのは現大統領が勤務していた建設会社である。みんな意欲と前向きチャレンジ精神でひたすら努力してこられた。
この時代のドラマが2年前に放映されたが途中で放映が中止になった。
当時の大統領の英雄物語になるという風評があったと聞いている。夫とその歴史史実を興味深く韓国テレビで見ていた。放映中止になってとても残念だった。
このテレビのドラマの中に詳細に脚本が書かれている。
海外派遣の様子もドラマに出てくる。海外派遣の中で出てくる人物に現大統領も出てくる。日本植民地支配から解放されそして次いでの動乱、動乱は南北分断を決定的なものにした。暗中模索した韓国の国づくりだった。
日本で生まれたということはそう話しがたらないとある人から聞いた。
日本の土に様々な思いがあるだろう。
国会議員時代はよく大阪にこられたと聞いている。私も1度お会いしている。名刺交換だけをした記憶がある。普通の控えめな印象だった。
すごいパワーが秘めているとは見えなかった。
「能ある鷹は爪を隠す」こんな言葉が当時の私見た印象になった。
在日韓国人の地方参政権付与に良い方向に決着つけてもらいたいと願うばかりである。
ソウルの町は今頃、田園では梨の花も咲いているだろう。
レンギョウの咲き乱れは圧巻だろう。
見たいな。と思うが7月の訪韓になりそうだ。
「暑いのによく行くわ」と言う人がいた。
ほんま。私も暑い訪韓は苦手だが仕方がない。イベントにあわせての訪韓である。
昨年10月、訪韓したとき世宋ホテルから一番
近い地下鉄明洞駅階段入り口前に回転寿司店が
できていましたヨ。
世宗ホテルは場所的に便利なところなのですがソウルにいる知人(ヨボセヨさんもよくご存知のハラボジ)がソウル市庁の前のホテルが安心するのでこの近くのホテルがいいということで決まりました)それでニュー国際ホテルの宿泊を拠点にしてあちらこちらと走り回っています。ヨボセヨさん。先日の韓国王仁楼の旅はいかがでしたか。ここにはかけないこともあるようですね。壁紙これでよかったですか。K氏に叱られそうですが-----。