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鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

同窓会で久しぶりに気を使わないで話してきたのだろうか。

2007-10-01 08:05:11 | 直言!
みんな、それぞれにいろんなことを話した。
小学校の2年のときいじめに会った人ともすっかり仲良くなった。
前の同窓会の時に向こうから歩みよってきてくれた。
それでも後1歩というところでまだ私の心の扉が開かなかった。
しかし今年も彼女から歩みよってくれた。
思わず私は前に「大人げないことを言ってごめん」といったら彼女もそのことを話したらすぐに話題を変えてみんなとうちとけるようにしてくれた。
これで私の心はもうわだかまりがなくなってしまった。
私も大人にならなければならない。
彼女の歩み寄りに反省した。

そんなことでみんな打ち解けて同級生は小学校時代に戻った。
そろそろ木津の祭りも近づいてきた。
祭の話題になると本町で御輿がいきよくよく練る場面を思い出して話しは盛り上った。「僕はあそこで太鼓叩いていた」など昔の記憶が甦ってきた。
12基の御輿が夜、提灯をつけて帰ってくる。そして本町でそれぞれの町内に帰っていく最後のクライマックス、本町で練って観客の最後の祭の余韻を残した。

今は担ぎ手がいないので20・21日に儀式を行って担ぐのは第3土曜・日曜日とか言っていた。そしたらまた横から水を差す。
「そんな儀式だけするのもおかしいやんか」となるほど----。
と、思って聞いていた。

気を使わないで思いきり話してきた。
他府県で市議会を何期もしてきた人、
私との同じ誕生日の人は1浪して京大に入っている。
同じ高校だったが彼は一生懸命に勉強していた。
父親は学校教師だったという。
そして彼の子息は医者---どこが私と違うのか、いつも彼と会うたびに私は「どこがちがうの」と言うとまわりは「頭が違う」ということでまたここで大笑いである。
年を重ねてきて同窓生、それも小学校時代は大事にしないと行けないと近年、思うようになってきた。
私の小学生時代は会話ができない。友たちも作れない。どこにいるのか分からないが大人になってみるとその時代背景が汲み取れてあのころはみんな一生懸命に生きてきた。

さすが戦後のどさくさに教育をうけた世代である。
校歌なんてあったのかと参加したものがみんな驚いた。
それが私たち卒業した後にできた校歌なのだろうか。
長いこと木津小に勤務した教師も私たちの担任でもあった教師がその校歌の歌詞を持って来て下さった。
そして皆で一緒に練習して歌った。
なるほど。いかに私たちの世代は昭和26年(1951年)に入学してアメリカの゛指導した教育の中にはめ込まれた世代だったのか。
教師たちも右往左往しながら私たちを教えていた。
こんなに世の中、繁栄した。
それでも地方格差社会が生まれまた。物価の値上げが予測されている。
子どもたちに何を語り何を残していくのか。
私たちにも責任がある。



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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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僕でも簡単だった (忠弘)
2007-10-01 16:42:47
受身でいいから僕でも簡単だったよ。受け身エoチ生本番って気持ちいいな☆お礼の7万で何買おうかなhttp://rex-kvm.net/dl2/971
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