鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

木津小学校の同窓会があった。

2007-09-30 22:17:15 | 直言!
「い」「ろ」「は」組みの3クラス、40人学級としておよそ120人、
戦後も戦前のクラス名称である。
もう金持ちも勉強も差もない。みんな一緒になって話している。
6年間の担任2人が来て下さった。
私は1年の担任教師に記憶がないが私の記憶していることは入学してから10日ほど学校に行かないと言っては泣いていたことは覚えている。
そのことを話すと担任教師は覚えておられて頷いて笑っておられた。
そして担任教師がこれまで健康にこられたこと。
そしてこれからも健康に留意して暮らしていくと話された。とても80歳過ぎたとは見えない。
若々しい。
そして担任教師の5つの大事なことを教えて下さった。
なんか小学生の子どもに戻っている。
その5つの大事なことは
1、 快食
2、 快汗
3、 快笑
4、 快便
5、 快眠

快汗は勤労、つまり汗をかくこと、汗はウォーキングをして汗をかく
快笑は日々の生活に笑うのある生活をすること

なるほど久しぶりにいいことを聞いた。
思わずまたメモノートを出してメモッている。
同級生は「職業病や」と言って笑っている。
ほんま、ついメモる癖がある。
それもあるがこの言葉はみんなに教えたいと思ってさっそく今日のブログ
書き込んだ。

みんなよくしゃべった。
そして2次会はまたカラオケにいった。
今回は奈良市内で私の家の近く夕方6時半まで遊んだ。
彼ら同級生たち、また何人か木津にもどってどこかに行くとか、言っているが私はもう帰ってきた。
楽しい同窓会だった。

だけど私の母親はそうとう有名だったことがまた改めて分かった。
女の私もいつも「母親と同じことはできない。ようがんばって生きてこられた」と思っている。
だから父親の威厳のある家庭構造にどこかで父親に反発していた。
家では絶対的に厳格で家長だった。

それが同級生の男子たちは言う。
「おとうさんの蔭は薄かったがお母さんはすごい人やった。わしらはお母さんの真似はできひんわ」と生き様を認めて無学な母だったのに母親のことをすごいと尊敬の眼で話してくれた。
だから町のホームヘルパーさんも母親の生き様をみんな知っていて最後までホームヘルパーさんは大事にして下さったということがまた分かった。
同級生の1人が町の福祉協議会の役員をしていたので今日も来ていたが彼女にも感謝の言葉を話した。
それでも母親がリヤカー1台で始めた廃品回収業だった。
それを倉庫用の土地を2つも購入して息子に後を継がせて今は車を動かしての商いになった。
男性でも大変な仕事をして息子つまり私の弟に継がせたということは町の誰もが認める働き者の母親だった。
父親は蔭が薄いといっていた同級生がいたが長い間、日本の会社で会社員をしていて京都に勤めていた。朝は1番列車、夜は最終列車で帰ってくるそんな仕事をしていた。町の人には目につかなかった。
しかし家では家長で威張り散らしていた。
厳格でわがままな父親に母親はよくしていたと娘の私はそう思っている。

同級生は「まだ仕事をしているの」と聞く。
「している」と答えると「できることはいいことやで」とみんな言ってくれる。
それでも私は「若いときの半分しか仕事できなくなった。もう体がついていかへんわ」と話したら働いている同級生も「もう10歳若かったらもっと働くけれどあかん。体がついていかへん」という。
みんなそんな年になったのか-----。

母親の存在は町でものすごく大きかったことがまたみんなの会話で知ることになった。
それでも父親は母親に最後まで威張り散らしていたな----。

参加された教師に自分の職業をずっと言ってこなかったが今日は、県警に勤めていた同級生もいるので思わず名刺交換をしていたら担任教師が前にいたので渡した。
本名の名刺に裏に旧姓の通名を書いた。
そしたら1人の教師は言った。
「ヒラカワさんは苦労したと聞いている」と話された。
やはり小学校を卒業しても中学1年で弟ができてその子守と家事をしていたのは知っておられたようだ。
前にも男性教師は「長女のヒラカワさんが1番苦労したことを知っている」と言ってくれた。
それほど私の母親は長女の私をこきつかったことである。
この話を在日同胞の中で話すと「そんな苦労、みんながしてきた」という。
しかし周りが日本人の多い集落で育った私、日本人にはよほど私は大変な目にあっていると思っていたのだろう。
だから前の同窓会の時に誰か女子の同級生が「ヒラカワさん継母」と聞かれたことも会った。
それが違う。本当の母親である。
1世の母親は娘が嫁に行っても嫁ぎ先から追い出されないように家事をしつけるために何でもさせた。家族の朝ごはんも炊かせた。夫の家での女子はみんなそうして学校に行ったという。

しかし私は朝ごはんの支度はしなかった。
1度、母親が私にさせた日があった。
それを見て父親は母親に注意をした。
「朝は子どもにさせるな。それは母親をしないといけない。子どもは学校にいくことが大事やから」と言って朝はずっと母親がしてきた。
嫌いだった父親だったがこのことには父親にはありがたいと思っている。

いろんなことを思い出した同窓会になった。




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