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鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

午後6時14分、三連休の最後が暮れていく。

2011-01-10 19:18:09 | 直言!
普通の生活に戻していかないといけない。
私は明日、膝の治療で病院行き、12時の予約になている。
夫は午後に自宅に戻ってくる。

今朝は2本の仕事をして昼食をしたのはもう1時まわっていた。
無性にお好み焼きが食べたくなった。
キャベツを切って小麦粉を入れる。長芋も少しすって入れた。
フライパンで焼いていく。豚肉をのせていく。
夫の分も焼いた。
キャベツがたくさん入っていて美味しい。
後片付けをすると2時前です。
横になって新聞1紙は読んだが2紙目は読めない。
眠たい。良く寝た。
1度目が覚めると3時、またウトウトと寝た。
起きると4時前です。
風呂に湯を入れながら家事をしていく。
湯が入ると私は風呂に入った。
すっとした。さっぱりした。
風呂から上がると夫がこの間、福山のホテルで買ったラーメンを湯がいた。
私はインスタントラーメンを食べるがこうしたラーメンは食べられない。
なんとか小鉢に入れて少し食べたが汁が飲めない。
何が入っているか分からないので飲めない。
ご飯を少し食べた。冷蔵庫にあるもので食べた。
それから5時、5時過ぎると阪神の金本選手のインタビユーが放映されていた。
つい面白いので見てしまった。
それからまだ食卓に夫の食べた後が残っている。
後片付けをすると6時過ぎている。
6時過ぎてやっとパソコンの前に座った。

三連休の最後の私、午前中は仕事に追われた。
神経のはる仕事をすると後は無性に眠たい。
寝た。起きるとすっきりしている。
明日から平常の生活に戻していかないといけない。

昨日は在阪韓国人の新成人の成人式だった。
長いこと記者生活をしていると「私は金剛学園卒業です。学校で何度か見たことあります」と言う。また建国学校の卒業生も「何度かお目にかかっています」と言う。子どもたちの記憶力はすごい。私はすっかり顔を忘れている。
また面白かったのは大阪市立生野中学校の卒業生も大勢かけつけた。
民団大阪本部会館に入ったのも初めてという。「会館の建物の大きさにびっくりした」と話すが彼らたちは「朝文研」のクラブ活動で韓国の歴史や文化を学んでいた。卒業してもどこかで民族気質が培われているのだろう。彼らたちが参加していたことも私たちは将来、決して在日韓国人社会も捨てたものではないと思った。
そして私が在日韓国人社会の中で記者をするようになってから23年の月日が流れた。1980年代後半の在阪韓国人の成人式、500数人の参加者に圧倒された。私の知っている在日コリアンは親戚だけだった。
私が育った実家、木津川市木津町(前は京都府相楽郡木津町)には10数件の在日コリアンがいたがほとんど親しく付き合っていなかった。
私の友人はほとんど日本人だった。それが大阪の在日韓国人の成人式の現場にはいると500数人、女性が半分しめるとしたらほとんどが民族衣装を着ていた。それは圧巻だった。
1990年代の後半になると日本人と結婚した子どもが20歳を迎えた。
その子たちの母親が日本人なのだろうか。ちらほらと着物で参加する姿が見えた。最初は違和感を持ったが近年はもう感じなくなった。
これが在日韓国人の現実と見ている。
しかし韓流で民族衣装が気安くなったのか2000年の後半から日本人と結婚した子息も民族衣装を着て参加している。
時代の変化がここにもきている。
それと在日韓国人の生活状態がよくなったとつくづく思っている。
みんな良い顔している。今にもテレビの画面から出てきそうないい顔をしている。肌もきれい。化粧も上手い。食べ物もよくなって在日韓国人の生活のバロメーターが見えてくる。そして一様にお坊ちゃん、お嬢さんで個性がどこにあるのかと----と考えてしまう。

ふた昔前は-----。それぞれに皆、個性もあった。
この子たち、新成人の豊かな生活が見え隠れする顔をみていると1世の苦労した歴史は知っているりのだろうかと思ってしまう。
今年、参加して新成人たちは大方が4世だろう。
後、20年、30年もすれば在日韓国人社会はどうなっているのかと考えていた。しかしいい顔になった在日韓国人子弟たちがこうして在日韓国人の主催する成人式に参加したことが民団は継続して活動しなければならないとも思った。
この子たちが気軽に集める場所が絶対に必要だと思った。

私は田舎で育ち父親は双方の民族団体には行かないで日本社会で生きた。しかし1世、民族のアイデンテイテイはそこかしこにあった。そんな家庭環境で育った。ただ父親は国籍を隠してはいけないと常々子どもたちに言い聞かせていた。それで私の人生はありのままに生きられたことにどれほど救われたかもしれないと今になって思う。
ありのままに生きた人生、人を落としいれようとかそんな策略は毛頭も浮かんでこない。
高校時代、クラスに私を含めて3人の在日韓国人がいた。
彼女たちは隠し通していたが同じ地域から通学しているものは知っていた。
ありのままに国籍を隠さないでいた私は在日韓国人の同級生のいじめの対象になった。ずいぶん悲しい思いをしている。大人になった今も同じことをしている。私は他の友達と仲良くしているちとその子の前で私にあれこれと私の悪口を言って非難の対象にしている。本当にたちの悪い人である。このことを最近気がついた。
高校時代もそして卒業してもまだ気がつかなかった。
鈍感な私は最近、やっと気がついた。自分が私とその友人と親しくすることに気分がよくない。自分だけ親しくしたいのである。私と仲良くしてほしくないのである。それで親しくしている友人の前でまた私の悪口を言って非難した。
60歳を過ぎるともう私も我慢ができないので親しくしている友人にはっきりと在日韓国人の同級生を嫌いと言った。これに対して親しくしている友人は私を非難した。親しくしている友人たち、未だに気がついていないその在日韓国人の同級生(今は帰化しているが)の嘘八百並べた生活スタイル、私は親から全部聞いているので彼女の話は嘘がいっぱい入っている。こんなことを親しくしていた友人に明かす気もない。時間が経てばいつか分かると思っている。
もう辛抱する人生ではない。ありのままに生きる私の人生の下り坂である。
ありのままに生きられない高校時代の同級生の在日韓国人、隠して隠して生きてきた人生は自分の都合のよい人生に策略している。本人はそんなことは気がついていないだろう。やっと60歳過ぎて在日韓国人の同級生の本質を見抜いた。気がついた。他の友人と親しくするといじめの対象にして快感を味わっている彼女の気質、国籍を隠し通して生きてきた人生の末裔、歪んだ性格になっている。もともとそんな性格だろうがもっと酷くなっている。これもまた悲しくて切ないと思っている。

厳しかった父親だったが父親は人生で大切なものを教えてくれたと今は思っている。
さてパソコンを閉めます。また明日。
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