クロムの備忘録的ダイアリー

定年後の日々の楽しみや関心事、具体的には写真、カメラ、観る将あるいは投資の話題などを綴っていきます。

霞城(山形城)周辺観光

2020年10月09日 16時10分23秒 | 旅行



寒河江慈恩寺から山形に戻り、霞城周辺を観光しました。
往時の建物は残っていないのですが、大手門などが復元されています。






周辺は公園となっており、園内に山形市郷土館があります。円形の建物に塔が付属したような形状です。22年前は外側を撮影しただけですが、今回は内部も見学しました。
元は病院だったそうで、当時の医療器具などが展示されていました。
オリンパスのガストロカメラ(胃カメラ)が何台も展示されていました。
郷土館見学後、近くの最上義光(よしあき)歴史館を見学し、最後に文翔館を見学しました。








文翔館は旧県庁及び兼会議場だった建物ですが、英国近世復興様式のレンガ造りでガッシリとして非常に立派でした。埼玉県の県庁舎とは雲泥の差があります。
内部には往時の什器や近世の歴史資料が展示されています。時間があればもう少しじっくり見たかったのですが、次回訪問があれば優先度を上げたいと思います。

モンベル・シャミースジャケットについて

2020年10月09日 14時28分39秒 | モンベル

シャミースというのはモンベル特有の薄手のフリースです。
この薄手のフリースジャケットの使い勝手が非常に良いので写真の通り複数枚買ってしまいました。
最初に買ったのは2019年の南米旅行で軽い防寒着が必要なので持参したところ活躍してくれました。

シャミースの何が良いかと言うと、まず柔らかく着心地が良い。
薄く軽いのでスーツケースやバッグへの収まりが良い。通気性が良い。
外気温の変化に柔軟に対応できる。例えば暑ければ脱ぐ、寒かったり風が出てきたらウインドブレーカを上に羽織っても体の動きを損ねない。




↑左ユニクロ、右シャミース
ユニクロのフリースとの違いですが、保温性は大差ないです。
違いがあるのは厚みで写真を見ると分かるようにモンベルはかなり薄いです。
重さは242gと438gなので半分程度です。このようにバッグへの収納性はモンベルが優れています。
また上に何かを羽織った際にモコモコしないというのも長所です。

フリースの弱点というか特徴の一つは通気性が良いということですが、防寒性を高めた裏地付きの
シャミースライニングジャケットというのもあります。
裏地の滑りが良いので重ね着の時に腕がひっかかる感じがなくなるという副次的効果もあります。
最初の写真の水色がこのタイプで、重さは裏地がある分317gと60g程度重くなります。
防寒性重視ならこのタイプになるでしょうか。

シャミースを入手するまでは気づかなかったのですが、薄手のフリースというはかなり万能性の高い防寒着だと思います。ウルトラライトダウンも良いですが、気軽に家庭で選択できる薄手フリースも良いということですね。

寒河江・慈恩寺

2020年10月08日 15時09分23秒 | 旅行



↑は慈恩寺駐車場と慈恩寺の間にある華蔵院と子安地蔵堂

慈恩寺は事前にガイドブックで見つけたので出掛けたのですが、思ったよりもずっと見ごたえのある素晴らしいお寺でした。
慈恩寺は746年僧行基から遣わされたインド僧婆羅門が聖武天皇の勅命によって寒江山大慈恩律寺として建立したのがはじまりだそうである。
慈恩寺は平安期、寒河江荘の荘園主であった藤原氏の荘寺的性格の寺院であったため京文化の影響を受け、多くの優れた仏像を納めています。鎌倉以降の仏像も中央仏師の手になるものです。
江戸期には幕府の庇護を受け寺領は18か村にまたがり、石高2812石と東北最大でした。
慈恩寺には多くの建物がありますが、本堂(重文)、三重塔、仁王門などが見どころかと思います。


三重塔は少し離れてみると立派ですが、帰宅後写真を見ると落書きが散見され、残念な気持ちになりました。




仁王門と内部の仁王像ですが、部屋と礎石の大きさに比して像が小さくバランスが悪いように感じました。像単独で見るとなかなか味わいがあるように思います。


本堂は古刹という感じのお堂で、内部ではいくつもの仏像を公開していました。
主なものは阿弥陀如来坐像、阿弥陀如来立像、聖徳太子立像、騎象普賢菩薩像、騎獅文殊菩薩像、菩薩坐像などです。特に後者3仏は普段は非公開だそうでこういった象や獅子に乗った仏像を見られたのは幸運でした。


本堂から少し離れた場所に薬師堂と阿弥陀堂が並んでいます。


薬師堂内正面には薬師三尊像があります。薬師如来は京都で作られたそうです。


薬師三尊像(パンフレットをスキャン)

十二神将像(パンフレットをスキャン)
そして三尊の後ろのスペースに慈恩寺の象徴とも言える十二神将像が並びます。これらは鎌倉時代作の重文です。慶派仏師作だそうですが、迫真の表情や力感溢れるポーズは今にも動き出しそうな迫力を感じます。特に表面の彩色がかなり残っているのが素晴らしいです。

ともあれ東北の地方寺院にこのような京都、奈良に匹敵するような多くの優仏が安置されていることに感心して慈恩寺を後にしました。

天童観光

2020年10月07日 11時18分57秒 | 旅行
山寺を後にし天童に向かいました。
天童市将棋資料館と人間将棋会場を見学しました。

将棋資料館は駒の展示が充実していました。
22年前と異なり展示物が撮影禁止でしたので、資料冊子を購入しました。


また藤井聡太2冠の扇子も購入しました。


その後、旧東村山郡役所資料館を見学しました。
建物は明治11年に東村山郡役所として建てられ、明治天皇巡行の際は行在所となりました。
その後郡役所、群農会、天童町役場、天童市役所、市立図書館と使用された後、郡役所資料館となりました。現在は資料館として、天童織田藩関連資料や天童市の明治維新前後の資料が展示されています。


天童織田藩成立の経緯をざっと記します。信長と長男信忠が本能寺で亡くなった後、次男の信雄(のぶかつ)が所領を引き継ぎましたが秀吉に屈服します。大阪落城後、家康から再度大名に取り立てられ、大和国宇陀郡と上野国甘楽などを与えられます。主要な領地は群馬県甘楽町の小幡藩です。大和宇陀郡3万国は信雄5男が相続しました。織田宗家を継ぐ小幡藩は八代まで続き、九代信浮(のぶちか)の代に山形の高畠に領地替えしています。山形の領地は分散していたので幕府に願い後に天童に集約されたようです。


維新後、短期間ですが天童県知事に織田信敏が就いています。
信雄ほか織田宗家歴代藩主が眠るという甘楽町の墓地はさほど遠くないので、何れ見学したいと思います。

22年振りに山寺へ

2020年10月06日 18時42分08秒 | 旅行
先週山形旅行に行きました。
山形には何度か旅行していますが、今回は22年振りに山形市周辺を観光しました。
最初に山寺を目指しました。こちらを6時頃出発し、山寺には11時頃到着しました。


前回同様山寺駅横の展望台から山寺を眺めてから山寺に向かいました。


山寺の根本中堂。比叡山由来の不滅の法灯が守られているそうです。


根本中堂から少し進むと芭蕉と弟子の曽良像が置かれています。


石段の入り口に立つ山門。入山料は300円でこれは22年前と同額でした。
前回は真夏に訪れたので非常に暑かったのですが、今回は多少暑いくらいで登り切ることができました。とはいえ千段以上あるのでなかなかハードです。




山寺は絵になるスポットが沢山あってカメラマンには飽きない場所です。
前回はCOOLPIX 900という100万画素のデジカメでしたが、今回は4500万画素のZ7なので解像度では比較にならないほどの進歩があります。






奥の院の入り口に立つ仁王門。内部には運慶の弟子らによる仁王像などが納められています。
仁王像はレンズが小さく内部が写せるGR digital 4で撮影しました。こういうシーンではコンデジは便利です。




さらに登ると絶壁の百丈岩があり、その上に赤い納経堂や開山堂が建っています。
納経堂の上方に眺めの良い五大堂があります。そこからは山寺駅周辺がよく見えます。


石段のゴールには奥の院と並んで大仏殿があります。
久しぶりに訪れた山寺は記憶が薄れた部分もありましたが、全体としては雰囲気の良い古刹というイメージ通りのお寺でした。