グー版・迷子の古事記

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「サ」

2013年10月13日 | 古事記
「サ」って何?
と思ってこの記事を見てくれている方がいるかもしれません
古代語の「サ」についての話です

古代において、「サ」には次のような意味があったと考えられています。

①細い。狭い。先。
②坂。境。
③神の

「サ」の元々の意味は、①の「細い。狭い。先。」だと思います。
そしてその派生として②の「坂。境。」となったと思います。

全くの自論ですが、①から②への派生過程を説明してみたいと思います。
人通りが少ない山は踏み分ける人も少なく、道は細く狭い為、起伏の多い山の坂道は「サ(狭・坂)」と言われたと思います。
そして「サ(坂)」は、人間界と神霊の住む山の境界にあるため「サ」は「境(さかい)」の意味にも用いられるようになったと思います。
「サ(坂)」「サ(境)」は後に、①の「サ(狭)」と区別するため、「サカ(坂)」「サカ(境)」となって行きます。
またその後に「サカ(坂)」と「サカ(境)」を区別するために、境界を表す「サカ(境)」は「サカイ(境)」となって行きます。

③の「神の」については、まだ定説がないのでは無いかと思います。
「サ」が何故「神の」と言う意味だろうと考えられているかと言うと、
神様の為の米を作る田んぼの名前に「狭田(さた)」と言う名前が良く使われるからです。
神様の田んぼなのに、「狭い田んぼ」とは可笑しいのではないか?と言うことです。
そして、早苗(さなえ)の「サ」も「神様の」と言う意味だと考え、
「狭田(さた)」も「早苗(さなえ)」の「サ」と同様に「神様の」と解釈して、「神様の田んぼ」と考えるべきだとされているようです。

③の解釈には以前から、もやもやした物を感じていました。
わざわざ「狭田」と書いてあるのに、それを無視して「狭(サ)」を「神様の」と解釈しているのです。
私としては納得できない気持ちがありました

  《サチ》

針には古代より霊力が宿ると信じられてきました。
その霊力とは「サチ(幸)」です。
私はこの事を知り「サ」の本当の意味を理解できた気がしました。

サチ = (サ)(チ)

と考えると「サチ」は「サ(狭)の神霊」と考える事が出来ます。
そして「サ(狭)の神霊」の霊力は、「幸」です。
「狭い・細い」と言う事が、「幸い」を意味するのです。

陰陽を起源とする八卦に「一陽来復」と言う言葉があります。
「一陽来復」とは「陰が極まり陽が兆す様」を示し吉兆を表します。
分かりやすく季節で説明すると…

夏を過ぎると陽は短くなり陰の気が盛んになってきます。
その陰の気は陽が最も短くなる冬至に極まります。
この時に陰の気は極まった為、この時を境に陽の気が盛り返していきます。

現代風に言うとすると…
とことんまで落ちたからこれからは登るだけだ
って感じです

「狭い・細い」が「幸」を意味するのは、「一陽来復」と同じ様な考え方からきていると思いました。
「狭い・細い」には、これから「広い・太い」になる期待が込められていたのです
そしてこの期待が、「サ(狭)の神霊」に「幸(サチ)」の霊力を与えたのだと思います。

「サ」と言う音には、「狭い・細い」という意味だけではなくて、未来への期待が込められていたのです

この事を表しているような歌が万葉集にあります。

有間皇子
「磐代(いわしろ)の 浜松が枝を 引き結び 真幸(まさき)くあらば また還り見む」
「磐代の浜にある松の枝を結んで(この幸いを祈願してみたが)。もしこの幸い(生きていた)なら、また戻ってきてこの松を見よう。」

有間皇子が蘇我赤兄にはめられ、行幸中の中大兄皇子のもとへ連行される途中に詠んだ歌です。
その後、中大兄皇子の厳しい尋問を受け、程なくして処刑されてしまいます

有間皇子は、松の「サ(先・細)」である枝を合わせ結び、「サキ(幸)」を願っています。
「サ」を結ぶ事は、未来への期待が結ぶ事を表し、それは即ち「サキ(幸)」に通じるのだと思います。

この事から、「幸い(さいわい)」の古語「さきはひ」の語源は「サ(先)」を合わせる「先合い」かもしれないことが窺われます。
また、幸せ(しあわせ)の語源は、「枝合わせ(しあわせ)」または「サ(先)合わせ」なのかもしれません

どうやら「サ」の意味は「狭い。細い。先。」であり、未来への期待までも込められている事は分かりました。
「狭田」は、「狭い田」で問題なさそうです。
しかし「狭い田」と言うだけでなく、そこには未来に「広い田」となる期待が込められています。
本当は「狭い田」でなくても、「狭田(さた)」と命名したことでしょう。
また、早苗(さなえ)は「神の苗」ではなく、「細く幼い苗」そして「未来には太く大きくなる苗」と言う意味になりそうです。

そうそう、そろそろ〆ようと思っていたところ古事記にも「サの神霊」の話とも考えられる話がある事を思い出しました

海幸・山幸(ウミサチ・ヤマサチ)の話です。
二人の兄弟は、鉤(はり)をめぐって争います。
サチ(幸)」の霊力を持つという針(はり)ですが、
この物語の鉤(はり)は、呪いの道具として使われています
針(はり)は真っ直ぐだけど、鉤(はり)は曲がっているからなのだろうか?

今日の格言 曲がった鉤(はり)には気をつけろ