グー版・迷子の古事記

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タケミカヅチとサルタヒコ③

2013年10月12日 | 古事記
前回、「タケミカヅチとサルタヒコ②」で、タケミカヅチとサルタヒコは「古(いにしえ)の神」と言う共通点を見つけました。
タケミカヅチとサルタヒコ」で提示した、二柱の神様の共通点と合わせてここでもう一度整理してみましょう。

  《タケミカヅチとサルタヒコの共通点》

①光の道
サルタヒコ…天上の道が八衢(ヤチマタ)に分かれるところで、上は高天原を照らし下は葦原中国(アシハラノナカツクニ)を照らす。
タケミカヅチ…雷神の稲妻は、空を八衢(ヤチマタ)に裂き、天上と地上を結ぶ光の道を作る。

②アマツカミを助ける
サルタヒコ…天孫ニニギノミコトを地上まで道案内する。
タケミカヅチ…オオクニヌシに国譲りさせた貢献者。

③映し出す神様…甕(ミカ)の神様、鏡の神様。

④子孫の名前が良く似ている
サルタヒコ…子孫・オオタノミコト(大田命)←第11代垂仁天皇の御世
タケミカヅチ…息子・オオタタネコ(大田田根子)←第10代崇神天皇の御世
命・根子は共に尊称の様なものであるため、実質は大田と大田田の違いです。しかも時代的にもかなりの近さです。

⑤古(いにしえ)の神様

③の「鏡の神様」という属性は、「神の目」という事とも繋がって来るかもしれません。
また「神の目」という属性は、太陽神・月神とも繋がって来ます。
「神の目」と「鏡の神様」についての関係性については、「鏡の神話」と「アメノウズメ」を参照下さい。
③は①とも若干繋がって来るかもしれません。

④の子孫の名前は実に興味深いです。
サルタヒコの子孫はオオタノミコト(大田命)、
タケミカヅチの息子はオオタタネコ(大田田根子)です。

タケミカヅチを春日大社で祭る、藤原氏は中臣鎌足の子孫です。
中臣鎌足は常陸国の出身とされています。
常陸国の中臣氏は、「秦氏⑤中臣鎌足」と「秦氏⑥ナカツクニと中臣氏」で示したように多氏(おおし)の裔である可能性が高そうです。
多氏(おおし)は大氏(おおし)とも記述されます。

タケミカヅチの息子であるオオタタネコの「オオ」を、多氏・大氏の「おお」と考えると、常陸の中臣氏の祖が多氏(おおし)であろう事とも繋がって来ます。
藤原氏がその祖神を祭る春日大社で、タケミカヅチをその筆頭に祭っている事から考えても、中臣氏・藤原氏の祖はタケミカヅチであり、多氏・大氏(おおし)であることは間違い無さそうです

タケミカヅチの息子・オオタタネコの「大(おお)」は「多氏・大氏(おおし)」の「おお」なのでしょう

また、タケミカヅチとサルタヒコの類似点の多さから考えると、サルタヒコの子孫・オオタノミコトの「大(おお)」もまた、「多氏・大氏(おおし)」の「おお」でないかと思われます

このように考えてくると、また新しい真実が浮かび上がりそうです。

藤原氏は、記紀の記述から公式にはアメノコヤネを、その祖としています。
しかし実際は、藤原氏の祖神を祭る春日大社で本来の祖であるタケミカヅチを序列の筆頭として祭っています。

この事は何を意味するのか?

私はこう思いました、
「藤原氏は大和の政治に登場した当初において大和への帰属意識よりも、多氏・大氏(おおし)としてナカツクニへの帰属意識の方が強かったのだろう。」

また②と④から、大和の奴国・ナカツクニに対する見方も窺える気がします。
「奴国・ナカツクニは、大和を助ける存在」
そこにはやはり、神武天皇の血を受け継ぐ奴国・ナカツクニへの期待があったのでしょう。

今回もまた、タケミカヅチとサルタヒコが同じ神様であると言う決定的な証拠は発見できませんでした。
私は現在この二柱の神様の原型とも言うべき姿を、古の神様と言う属性と、古代においても様々な神格を持っていることから考えて、中国の古代神・盤古ではないか?と想像しています。

果たして想像通りの結果になるのか、違う結果になるのか…
また新しい発見を楽しみにしています