今日もまた予定変更してます。
ふらふらしたブログです
「何時までもふらふらしてらんねぇだろ、提灯みてぇによ~」
「そのネタ、分かる人いませんよ…」
神様を調べてたら、重要な局面で秦氏(はたし)が出てきます。
古代から中世の日本において、歴史が動く時にその影が見え隠れするのです。
しかも歴史を動かすプレーヤーとしてではなく、フィクサーとして出てくるのです。
天皇やその取り巻きの貴族を競走馬や騎手とすると、秦氏は馬主席から勝ち馬を走らせる大金持ちのように見えるんです。
政治の表舞台には立たず、ロビー活動の資金を出し影から政治を動かす氏族。
彼らは日本のアンタッチャブルだったのかもしれない…
秦氏の事が分かると日本の裏の歴史(本当の歴史)が分かるかもしれない…
そう思わせる人達なんです。
面白そうだったので今日は秦氏(はたし)に迫ってみます
《秦氏とは?》
秦の始皇帝の末裔を自称し、朝鮮半島南部から壱岐・対馬を通り北部九州一体に移住してきた人達のようです。
その後日本全国に居住範囲を広め、関西では日本海側の角鹿(敦賀)から琵琶湖を経て山城国(京都)一体を勢力範囲としていました。
私は「魏志倭人伝」に出てくる「奴国(ナノクニ)」の人達ではないか?
と考えています。
奴国(ナノクニ)は最大時に、朝鮮南部から壱岐・対馬・北部九州を勢力に治めたと思われます。
福岡県の博多湾が昔、那津(なのつ)と呼ばれていたのは奴国(ナノクニ)の名残りとも言われています。
奴国(ナノクニ)は徐々に大和に同化され、最終的には朝鮮南部の任那日本府(ナを任すの意)の滅亡で終わったのではないか?と思います。
また隋書には、608年倭に人を派遣し「秦王国」と言う国があった、と言うことが書かれています。
この国は豊前・豊後にあったのではないか?と言われているそうです。
神様の世界で言うと、私が奴国(ナノクニ)と関係あると思う神様・スクナヒコナを秦氏が祭っていたであろう形跡があります。
とにかくお金持ちだったようで、朝廷がお金を必要とするときには秦氏に頼る事があったようです
「何でお金持ちだったの?」
「交易・殖産・鉱山・鍛冶…etc.で儲けていたようです」
「へぇ~」
「人類皆兄弟、仲良くしましょう。の元祖みたいな人達かな?」
「いらない事言わないほうが長生きするよ」
《秦河勝》
ほとんど歴史の表舞台に出てこない秦氏ですが、聖徳太子の時に政治のプレーヤーとなって表舞台に出てきます。
それが秦河勝(はたのかわかつ)です。
身分は低いながらも聖徳太子のお気に入りとなり、その豊富な財力で聖徳太子の善政を影からバックアップします。
しかし本来は表に出ない氏族、表には出るべきではない氏族だったのでしょうか、
聖徳太子の死後に、大事件が発生します。
歴史的に有名なあの事件です。
①聖徳太子死去 622年2月
②蘇我入鹿により上宮王家滅亡 643年11月
蘇我入鹿が上宮王家(聖徳太子の子・山背大兄王一族)を滅ぼす。
山背大兄王は、蘇我系の母を持つ蘇我系の王子です。
「山背」は「山城」の事で、秦氏の勢力拠点です。
聖徳太子が秦河勝を可愛がっていた事から、山背王兄王は山城で育ったと思われます。
③常世の神 644年7月
常世の神とは、橘の木や山椒に生じる長さ四寸親指くらいの色は緑に黒い斑点がある虫で、形は全く蚕に似る。(アゲハの幼虫と考えられています)
もしかして、スクナヒコナの事だろうか?
秦河勝はこの常世の神を殺してしまいます。
富士川のあたりで、大生部多は、「これは常世の神である。この神を祭る人は、富と長寿が得られる」といい、虫祭りをすることを勧めた。巫女たちも神のおつげだといつわり、「常世の神を祭ると、貧しい人は富を得、老人は若返る」といった。このために信仰は広まり、都でも田舎でも常世の虫をとって安置し、財宝を差し出したが、何の利益もなく、損失が多かった。民衆が騙されるのをにくみ秦河勝は大生部多を捕え打ち懲らしめた。
太秦(うずまさ)は 神とも神と 聞こえくる 常世の神を 打ち懲(きた)ますも
「秦河勝は、神の中の神と言われている 常世の神を、打ち懲らしめたことだ。」
(ウィキペディア)
④秦河勝は都を避け、大避神社へ避難する。 644年9月12日(大避神社社伝)
土地の者は潤い大避神社が建立される。
⑤乙巳の変 645年6月
中大兄皇子(後の天地天皇)・中臣鎌足らによるクーデター。
宮中で時の権力者・蘇我入鹿を暗殺する。
この大事件の真相は色々取りざたされています。
悪者は蘇我入鹿、いやいや中大兄皇子だ。
事件の真相は蘇我入鹿と中大兄皇子のバックにいる黒幕を考えれば明らかになるのではないでしょうか
蘇我入鹿は聖徳太子の子供一族を殺したと言われていますが、この時点で聖徳太子の死から23年経っています。
日本のフィクサーだった秦河勝はこの時点で、権力者・蘇我入鹿に取り入っていただろう事が考えられます。
中大兄皇子のバックは中臣鎌足。
大鏡では鹿島の神官の出と言われており、朝廷の見解もこの通りなんでしょう。
しかしこれでは、財力も無く後ろ盾もほぼありません。
また百済の王子と言う見方もされています。
しかしこの時百済は虫の息、沈む前の船も同様でした。
どちらにしても、中大兄皇子のバックは経済的に貧弱だったのです。
イケイケの中大兄皇子は初め、バックに金持ちの秦河勝がいる蘇我入鹿の事を指を咥えて見ていたに違いありません。
「鎌足、俺が天皇になるために秦河勝ゲット出来んかなぁ?」
「若、蘇我入鹿はジャマですよね」
「だよね~」
「そう言えば、山背大兄王って聖徳太子の子供ってだけで人気ありませんか?」
「だよね~」
聖徳太子の子・蘇我系の皇子・山背大兄王一族は、蘇我入鹿により滅ぼされます。
当時の皇族は、天皇になれなければ貧しい生活を送らなければならなかったのです。
なまじ皇族であるが故に大した仕事も与えられず、
ただ単に貴族と天皇の絆を結ぶ種馬の様な存在です。
零か百か、一生日の光を避け暮らすか天津光を受け天上人となるか、身を賭してでも前へ出るしかイケイケの中大兄皇子には選択肢が無かったのかもしれません。
「若、うまくいきましたね」
「イルカを食べる前に、河勝がちゃんと言う事聞くように調教するか」
「さすが、若」
生業の殖産で蚕を飼い高価な絹糸・絹の織物で財を成していた秦河勝は、蚕に良く似た神・常世の神を成敗するよう命じられます。
常世の神は、アゲハの幼虫の様に書かれていますが、或いは本当に蚕だったのかもしれません。
常世の神を殺された人達は、河勝の事を呪った事でしょう。
「自分だって蚕飼ってるじゃん、金持ちのくせに…」
常世の神信仰と言うのは簡単に言うと、自分の財産を捨てることで神徳を受け幸せになれるという信仰です。
実はこの常世の神信仰は、当時の朝廷が進めようとしていた律令制度を後押しするような信仰なのです。
律令制度とは、土地と人民は王の支配に属すると言う理念の上に、一度万民から土地を取り上げ再分配を行おうという制度です。
朝廷の目指す方向と同じ思想を持つ常世の神信仰、これを朝廷自ら禁止しようと言う事はおかしな話です。
ましてや、金持ちではあるけれど身分は低い秦河勝の一存で常世の神信仰を禁止する事など到底できないのです。
しかも、フィクサーが自らの手を下してまで…
秦河勝の立場は危うい物となっていました。
「河勝、お前んとこの虫、あれ何だっけ?あれも常世の神と違うけ?」
「中大兄さま、勘弁してください」
「冗談だよ冗談、でも俺目が悪いから間違ってお前の虫殺したらごめんな」
「わかりましたので、もうこれ以上は勘弁してください」
秦河勝は勢力争いを避け自ら播磨へ避難します。
一族の拠点がある山城へは戻らず、自分の身を犠牲にしてまでも身内の一族を守ろうとでも言うかの様に播磨へ向かったのでした。
「さすが若、これで河勝も若の物ですね」
「おーよ、じゃあ仕上げに行くか」
こうして大悪人蘇我入鹿は、中大兄皇子・中臣鎌足の正義の鉄拳に打たれました。
念のために…
会話部分は私が想像したフィクションです
秦河勝はこの難局を乗り切りましたが、この時受けた屈辱を忘れなかったのかもしれません。
上で書いたフィクション以上の屈辱を受けた可能性もあるのです。
秦河勝は祟り神として大避神社に祭られています
長くなったので続きはまた今度
ふらふらしたブログです
「何時までもふらふらしてらんねぇだろ、提灯みてぇによ~」
「そのネタ、分かる人いませんよ…」
神様を調べてたら、重要な局面で秦氏(はたし)が出てきます。
古代から中世の日本において、歴史が動く時にその影が見え隠れするのです。
しかも歴史を動かすプレーヤーとしてではなく、フィクサーとして出てくるのです。
天皇やその取り巻きの貴族を競走馬や騎手とすると、秦氏は馬主席から勝ち馬を走らせる大金持ちのように見えるんです。
政治の表舞台には立たず、ロビー活動の資金を出し影から政治を動かす氏族。
彼らは日本のアンタッチャブルだったのかもしれない…
秦氏の事が分かると日本の裏の歴史(本当の歴史)が分かるかもしれない…
そう思わせる人達なんです。
面白そうだったので今日は秦氏(はたし)に迫ってみます
《秦氏とは?》
秦の始皇帝の末裔を自称し、朝鮮半島南部から壱岐・対馬を通り北部九州一体に移住してきた人達のようです。
その後日本全国に居住範囲を広め、関西では日本海側の角鹿(敦賀)から琵琶湖を経て山城国(京都)一体を勢力範囲としていました。
私は「魏志倭人伝」に出てくる「奴国(ナノクニ)」の人達ではないか?
と考えています。
奴国(ナノクニ)は最大時に、朝鮮南部から壱岐・対馬・北部九州を勢力に治めたと思われます。
福岡県の博多湾が昔、那津(なのつ)と呼ばれていたのは奴国(ナノクニ)の名残りとも言われています。
奴国(ナノクニ)は徐々に大和に同化され、最終的には朝鮮南部の任那日本府(ナを任すの意)の滅亡で終わったのではないか?と思います。
また隋書には、608年倭に人を派遣し「秦王国」と言う国があった、と言うことが書かれています。
この国は豊前・豊後にあったのではないか?と言われているそうです。
神様の世界で言うと、私が奴国(ナノクニ)と関係あると思う神様・スクナヒコナを秦氏が祭っていたであろう形跡があります。
とにかくお金持ちだったようで、朝廷がお金を必要とするときには秦氏に頼る事があったようです
「何でお金持ちだったの?」
「交易・殖産・鉱山・鍛冶…etc.で儲けていたようです」
「へぇ~」
「人類皆兄弟、仲良くしましょう。の元祖みたいな人達かな?」
「いらない事言わないほうが長生きするよ」
《秦河勝》
ほとんど歴史の表舞台に出てこない秦氏ですが、聖徳太子の時に政治のプレーヤーとなって表舞台に出てきます。
それが秦河勝(はたのかわかつ)です。
身分は低いながらも聖徳太子のお気に入りとなり、その豊富な財力で聖徳太子の善政を影からバックアップします。
しかし本来は表に出ない氏族、表には出るべきではない氏族だったのでしょうか、
聖徳太子の死後に、大事件が発生します。
歴史的に有名なあの事件です。
①聖徳太子死去 622年2月
②蘇我入鹿により上宮王家滅亡 643年11月
蘇我入鹿が上宮王家(聖徳太子の子・山背大兄王一族)を滅ぼす。
山背大兄王は、蘇我系の母を持つ蘇我系の王子です。
「山背」は「山城」の事で、秦氏の勢力拠点です。
聖徳太子が秦河勝を可愛がっていた事から、山背王兄王は山城で育ったと思われます。
③常世の神 644年7月
常世の神とは、橘の木や山椒に生じる長さ四寸親指くらいの色は緑に黒い斑点がある虫で、形は全く蚕に似る。(アゲハの幼虫と考えられています)
もしかして、スクナヒコナの事だろうか?
秦河勝はこの常世の神を殺してしまいます。
富士川のあたりで、大生部多は、「これは常世の神である。この神を祭る人は、富と長寿が得られる」といい、虫祭りをすることを勧めた。巫女たちも神のおつげだといつわり、「常世の神を祭ると、貧しい人は富を得、老人は若返る」といった。このために信仰は広まり、都でも田舎でも常世の虫をとって安置し、財宝を差し出したが、何の利益もなく、損失が多かった。民衆が騙されるのをにくみ秦河勝は大生部多を捕え打ち懲らしめた。
太秦(うずまさ)は 神とも神と 聞こえくる 常世の神を 打ち懲(きた)ますも
「秦河勝は、神の中の神と言われている 常世の神を、打ち懲らしめたことだ。」
(ウィキペディア)
④秦河勝は都を避け、大避神社へ避難する。 644年9月12日(大避神社社伝)
土地の者は潤い大避神社が建立される。
⑤乙巳の変 645年6月
中大兄皇子(後の天地天皇)・中臣鎌足らによるクーデター。
宮中で時の権力者・蘇我入鹿を暗殺する。
この大事件の真相は色々取りざたされています。
悪者は蘇我入鹿、いやいや中大兄皇子だ。
事件の真相は蘇我入鹿と中大兄皇子のバックにいる黒幕を考えれば明らかになるのではないでしょうか
蘇我入鹿は聖徳太子の子供一族を殺したと言われていますが、この時点で聖徳太子の死から23年経っています。
日本のフィクサーだった秦河勝はこの時点で、権力者・蘇我入鹿に取り入っていただろう事が考えられます。
中大兄皇子のバックは中臣鎌足。
大鏡では鹿島の神官の出と言われており、朝廷の見解もこの通りなんでしょう。
しかしこれでは、財力も無く後ろ盾もほぼありません。
また百済の王子と言う見方もされています。
しかしこの時百済は虫の息、沈む前の船も同様でした。
どちらにしても、中大兄皇子のバックは経済的に貧弱だったのです。
イケイケの中大兄皇子は初め、バックに金持ちの秦河勝がいる蘇我入鹿の事を指を咥えて見ていたに違いありません。
「鎌足、俺が天皇になるために秦河勝ゲット出来んかなぁ?」
「若、蘇我入鹿はジャマですよね」
「だよね~」
「そう言えば、山背大兄王って聖徳太子の子供ってだけで人気ありませんか?」
「だよね~」
聖徳太子の子・蘇我系の皇子・山背大兄王一族は、蘇我入鹿により滅ぼされます。
当時の皇族は、天皇になれなければ貧しい生活を送らなければならなかったのです。
なまじ皇族であるが故に大した仕事も与えられず、
ただ単に貴族と天皇の絆を結ぶ種馬の様な存在です。
零か百か、一生日の光を避け暮らすか天津光を受け天上人となるか、身を賭してでも前へ出るしかイケイケの中大兄皇子には選択肢が無かったのかもしれません。
「若、うまくいきましたね」
「イルカを食べる前に、河勝がちゃんと言う事聞くように調教するか」
「さすが、若」
生業の殖産で蚕を飼い高価な絹糸・絹の織物で財を成していた秦河勝は、蚕に良く似た神・常世の神を成敗するよう命じられます。
常世の神は、アゲハの幼虫の様に書かれていますが、或いは本当に蚕だったのかもしれません。
常世の神を殺された人達は、河勝の事を呪った事でしょう。
「自分だって蚕飼ってるじゃん、金持ちのくせに…」
常世の神信仰と言うのは簡単に言うと、自分の財産を捨てることで神徳を受け幸せになれるという信仰です。
実はこの常世の神信仰は、当時の朝廷が進めようとしていた律令制度を後押しするような信仰なのです。
律令制度とは、土地と人民は王の支配に属すると言う理念の上に、一度万民から土地を取り上げ再分配を行おうという制度です。
朝廷の目指す方向と同じ思想を持つ常世の神信仰、これを朝廷自ら禁止しようと言う事はおかしな話です。
ましてや、金持ちではあるけれど身分は低い秦河勝の一存で常世の神信仰を禁止する事など到底できないのです。
しかも、フィクサーが自らの手を下してまで…
秦河勝の立場は危うい物となっていました。
「河勝、お前んとこの虫、あれ何だっけ?あれも常世の神と違うけ?」
「中大兄さま、勘弁してください」
「冗談だよ冗談、でも俺目が悪いから間違ってお前の虫殺したらごめんな」
「わかりましたので、もうこれ以上は勘弁してください」
秦河勝は勢力争いを避け自ら播磨へ避難します。
一族の拠点がある山城へは戻らず、自分の身を犠牲にしてまでも身内の一族を守ろうとでも言うかの様に播磨へ向かったのでした。
「さすが若、これで河勝も若の物ですね」
「おーよ、じゃあ仕上げに行くか」
こうして大悪人蘇我入鹿は、中大兄皇子・中臣鎌足の正義の鉄拳に打たれました。
念のために…
会話部分は私が想像したフィクションです
秦河勝はこの難局を乗り切りましたが、この時受けた屈辱を忘れなかったのかもしれません。
上で書いたフィクション以上の屈辱を受けた可能性もあるのです。
秦河勝は祟り神として大避神社に祭られています
長くなったので続きはまた今度