遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

高札場と火事2.そこのけそこのけ御高札が通る~中山道垂井宿~(前)

2019年03月06日 | 高札
泉の宿場町、中山道垂井宿


浮世絵に描かれた垂井宿

 中山道垂井宿は、日本橋から57番目の宿です。名古屋から大垣を経る美濃路の起点でもあり、中山道と東海道を結ぶ交通の要所でした。

 江戸後期には、本陣、脇本陣、旅宿27軒、総家数315軒の規模を誇り、美濃一宮(南宮大社)参拝の人々も含め、多くの旅人で賑わいました。また、毎年行われる曳やま祭りでは、安永年間創始と伝えられる子供歌舞伎が演じられ、壮麗な3台の山車とともに、往時の垂井宿の繁栄を今に伝えています。


       一勇斎国芳「木曽街道69次之内 垂井 猿之助」

 この浮世絵は、一勇斎国芳「木曽街道69次之内 垂井 猿之助」、オリジナルです。

 木曽街道(中山道)69次の浮世絵シリーズには、国芳によるものの外に、歌川広重・渓斎英泉によるものがあります。

     歌川広重「木曽街道69次之内 垂井」(復刻版)


              現在の同場所(西見附)


 広重の絵は、垂井宿の西の端(西の見附)を描いています。雨の中、旅人はうっそうと繁る松並木を、次の宿、関ヶ原へ旅立っていきます。かなり忠実な当時の宿場風景です


 広重・英泉「木曽街道69次」の方がはるかに有名ですが、市場に出るのは非常に稀です。また、版元がめまぐるしく変わるなど、出版事情が複雑で、どれが初期の作品か、素人には見わけられません。私も、広重・英泉シリーズを、30点ほど持っていますが、全く自信がありません。

 それに対して、国芳シリーズは、オリジナルが結構出回っています。結果、財布にやさしい。

 ただ、広重・英泉シリーズがすべて、宿場町の情景を描いているのに対して、国芳は、それぞれの宿場とは何の関係も無い絵を描いています。歌舞伎や戯作の場面を取り上げて描き、そのタイトルなどをもじって宿場名と無理やりこじつけたものがほとんどです。一種の判じ絵ですね。

 国芳のこの錦絵は、『絵本太閤記』の一場面を描いています。日吉丸(秀吉)が奉公先の子供を井戸の筒にくくりつけて逃げ出す場面です。「樽の井戸」を描いて「垂井」を暗示しています。表題に、「垂井 猿之助」とあるのは、猿に似ている日吉丸の呼び名、猿之助から来ています(描かれている日吉丸は猿には似てませんが)。

 垂井のこの絵も、ことば遊びと宿場名とを結びつける国芳「木曽街道69次」に典型的な浮世絵の一つですね。


垂井の泉

   実は、ここからが面白い。

 国芳は、ただ言葉の綾として、『絵本太閤記』樽の井戸を描きました。ところが、これが予期せぬ大当たり。絵が、現実なのです。荒唐無稽な国芳の木曽街道シリーズのなかで、異色の一枚なのです。

 垂井宿では、多くの泉がわいています。垂井の地名もそこに由来します。また、庭先を少し掘れば、簡単に水がわき、国芳の浮世絵に描かれていた井筒井戸が、どの家にもあったそうです(今も、いくつか残っています)。

 その中でも、一番大きく、有名な泉が、「垂井の泉」です。

 中山道垂井宿の中心部に、南宮大社石鳥居があります。

             南宮大社石鳥居(寛永19年(1642))

 中山道をここで南に折れ、鳥居をくぐって、南宮大社方面へ150mほど行くと、道路脇に「垂井の泉」があります。


                    「垂井の泉」

  「垂井の泉」は、古くから和歌にも詠まれています。  
 そして、芭蕉も名句を残しています。
 元禄4年(1691)年、江戸へ向かう途中、芭蕉は、垂井宿本龍寺住職八世、規外のもとで、冬ごもりをしました。
 その時にこの泉で詠んだ句。
    「葱白く 洗いあげたる 寒さかな




まだまだある泉

この先100mほど西方にも、泉があります。
今回の火事と高札は、その泉が舞台です。
続きは、次回。

ところで、垂井には、どうしてこんなに泉が多いのでしょうか。
 ブラタモリ風に言えば、地形です。
 この地は、伊吹山系と養老山脈の両裾が合わさる所に位置します。この裾が終わる部分が小さな崖になっていて、それに沿って、点々と泉がわいているのです。


 左、養老山脈、右、伊吹山系。二つの山並みの隙間を、垂井、関ヶ原、今須、柏原と進み、中山道は美濃から近江へ抜ける。
 山に降った雪や雨は、川と伏流水となって下流へ。伏流水の一部が、泉となって地表に出ます。泉(自噴水)は、垂井宿周辺と10kmほど下の大垣周辺に多くみられます。



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3 コメント

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No title (sekiyann)
2019-03-07 05:17:00
おはようございます

どうだったでしょう
思い付き

馬籠

ここでしたっけ

一度

訪ねたい
とこ

でしたが
返信する
No title (遅生)
2019-03-08 11:45:00
馬籠は、中仙道美濃十六宿の一番東、ここは一番西(関ヶ原)の一つ手前。観光なら馬籠、でも人人人、夜明け前とは程遠いです。
垂井、関ヶ原宿の方は閑散、歴史好きにはたまらない場所。ヤマトタケル、壬申の乱から関ヶ原まで目白押しです。
返信する
No title (sekiyann)
2019-03-09 06:59:00
おはようございます

そうでしたね
この辺りは
末端

真ん中ぐらいでしょうね
馬籠は
そうですか。人が多く、ダメですか



時間指定でアップし
歓楽街 ニシタチ
痛飲でした

おかしなもので
飲んだら

朝早く

マァ変わらぬ24時間
不十分な睡眠時間配分です


起業その後の失敗で蓄えなし故
年金生活命

国家の信用力は
命綱です
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