遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

亀山焼染付山水紋深皿

2019年10月13日 | 古陶磁ー全般

 

亀山焼の深皿です。

亀山焼は、江戸後期、長崎において、50数年間焼かれた、精細な磁器です。

          径21.9㎝、 高4.3㎝

細かな胎土、純白の素地に、鮮やかな呉須で、洗練された山水図が描かれています。

亀山焼は、木下逸雲、祖門鉄翁、三浦吾門、田能村竹田などの絵師が下絵を描いたといわれています。

この品の山水紋は、亀山焼の中でもよく見られる代表的なパターンです。

 

かなり細やかな筆使いです。

上部の山々は輪郭をとらずに描かれています。日本画でいえば没骨法。滲みもなくシャープなのは、墨はじき技法が使われているのでしょうか。

 

裏側も、瀟洒な梅花紋。

高台の畳付は、幅広く、真っ平です。

高台外脇に3本、外縁に2本、内側に1本、計6本の圏線があります。

 

このように、絵付けには大変見るべきところがある亀山焼です。が、「幻の亀山焼」と呼ばれるほど、希少な物とは思えません。その気になれば、見つけることができます。短い期間ではありましたが、かなり大量に焼かれたのでしょう。

この品も、素焼きの段階で、高台内に大きな傷があるにもかかわらず、かまわず釉薬をかけて焼いています。また、その外側には、大きなくっつきもあります。

素地は純白ですが、器体の作りは、伊万里焼よりも分厚く頑丈です。まして、平戸焼のように薄手、精細ではありません。一部の上手品を除いては、日用品をめざしていたのではないでしょうか。

文化4年(1807)開窯、慶応元年(1865)閉窯。

その後数年間、坂本龍馬がこの場所に亀山社中を設立し、武器の斡旋や海運業などを行ったことはよく知られています。龍馬も、亀山焼の盃を愛用していたといわれています。洒落た絵付けながら丈夫な亀山焼は、庶民派の龍馬のお気に入りだったのでしょうか。


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
遅生さんへ (Dr.K)
2019-10-13 20:16:23
亀山焼は持ってないと思うんですが(多分、私の古伊万里コレクションの中にも紛れ込んでいないと思うんですが)、亀山焼には、なかなか特徴があるんですね。
銘は、何と描いてあるんですか。
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Dr.Kさんへ (遅生)
2019-10-13 20:41:15
絵付けは、さすがになかなかのものです。呉須も上等です。
轆轤は伊万里の方が上です。器体が少しボテッとした感じがします。
平戸焼もそうですが、伊万里とは少し違う雰囲気の物が長崎で焼かれたのは、何か理由があるような気がします。
銘は、亀山製を崩したものだと思います。
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亀山 (ことじ)
2019-10-14 19:08:44
なかなか出合えない亀山焼きですね。
しかし裏の銘がなければ古伊万里と区別が
つかないですね。
確かに丈夫な作りで実用に向いていそうですね。
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ことじさんへ (遅生)
2019-10-14 19:27:33
亀山焼が、伊万里の流れをくんでいることは間違いないでしょう。新しく始めるからには差別化が必要だし、ということで、当初は高級品を目指したのだと思います。でも、江戸後期は、大衆化の時代。結局、時代にそぐわず、実用品に移ったのではないでしょうか。
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