遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

大皿・大鉢・壷20 呉須赤絵? 細描赤絵金彩輪花大皿

2022年01月02日 | 古陶磁ー大皿・大鉢・壷

大皿・大鉢シリーズも、いつのまにやら20回目です。

ここしばらく、呉須赤絵や国内の呉須赤絵写しの陶磁器を紹介してきました。

呉須赤絵は、近年、値崩れが激しいとはいえ、茶道との関係で珍重され、骨董界では古くから鑑賞陶器としてコレクションの対象となってきました。当然の事ではありますが、名品はおさまるべき所に納まっています。後発組の一人として、私が呉須赤絵を集めたとしても、先人たちがたどった道のごく一部をなぞるにすぎません。この事は、呉須赤絵に限らず、ほとんどの骨董アイテムについて言えます。

おまけに、骨董は金とセットで動きますから、蒐集品の質と量は、資金力に比例します。ビンボー人は金持ちに勝てない。勝負は初めから決まっているのです。

いくら自己満足の世界とは言っても、これでは空しすぎます(^^;

そこで、私が作ったモットーがこれ:「骨董はニッチにあり」(^.^) かの瀬戸内寂聴さんもおっしゃって・・・・いなかった(^^;

王道の隙間や横道をうろついて、見捨てられていた物、忘れられた物、消された物などを、ぽつりポツリと拾い上げていくのです。いわば、骨董界のクズ拾い(^^;

その中でめぐり合った一枚の大皿がこれです。

径 38.3㎝、高台径 19.7㎝、高5.8 ㎝。中国明時代?

外縁の所々に、虫喰い状の釉剥げがあります。

これは一体、どこのどういう品か?

骨董屋の亭主も首をかしげるばかりでした。

おお、これこそニッチ!!(^.^)

上、下を見る。

右回りに、四分の一ずつ。

 

 

 

皿面全体に、赤絵が驚くほどの細かさでビッシリと描かれています。線描きの一部には、金彩が使われています。

幕末の九谷焼宮本窯の赤絵九谷を思わせます。もちろん、この品の方が相当に古いです。九谷赤絵は、中国のこういった品を手本にしたのでしょうか。

中央の三賢人を中心に、放射状に絵が広がっています。

 

三賢人を囲む四角枠には、なにやら文字らしきものが書かれています。

三賢人の横にも、意味ありげな文が書かれていますが、よくわかりません。

 

四角枠の外側には、鬼面が4つ配置されています。

 

さらにその外側には、いろいろな模様がビッシリと描かれています。

古伊万里に見られるような地紋です。その外側には、帯状に鳥さん?

 

最外周には、奇妙な魚(鳥?)が向かい合って2匹。その間にも文字。

 

そして、花紋。

 

皿の底をみると、鉄味をおびた灰白色の土に、白化粧が施されています。これまで見てきた呉須赤絵大皿と一緒です。

異なる点は、くっ付きを防ぐための砂が付着していないのと高台内に放射状に削った跡がみられることです。

裏側の赤絵も、呉須赤絵に時々みられる模様です。

爪で弾くと、ざっくりとした土からは想像できない良い音が、キーンと響きます。

このように見てくると、この品は、中国南部、広州、広東の呉須赤絵が焼かれた窯の近隣で作られたと考えるのが妥当でしょう。

呉須赤絵は大量に造られた輸出品です。大皿を効率的に生産するため、絵付けは簡略化され、陶工がものすごいスピードで筆を走らせました。その結果生まれた奔放な絵を、日本の茶人たちが愛した訳です。

それに対して、今回の皿は、一枚仕上げるのに、相当な手間を要します。輸出品では、割が合いません。中国国内向けの品だったのでしょうか。景徳鎮金襴手の地方版(^.^)

この品が日本へ渡ってきた経緯は不明ですが、使われた痕跡は全くありません。金彩の擦れも無し。

我々には、景徳鎮金蘭手の本物、ましてや大皿なぞ望むべくもありません。もし、この皿が、彼の地で本歌にあやかろうと試験的に造られた地方窯の物なら、それこそニッチの神髄。ビンボーコレクターにふさわしい品ではないかと、新年早々、悦に入っている次第であります(^.^)

コメント (7)
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