遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

これは珍しい!第一回国勢調査の宣伝ビラ

2020年02月09日 | 納札・紙物

先回のブログで、大正9年10月1日に行われた、日本初の国勢調査の調査票を紹介しました。

国勢調査を行うにあたって、多くのポスターが作られ、啓蒙と宣伝が行われました。調査をおこなった調査員に対しては、記念品や徽章が送られました。これらは、まだ、比較的多く残っています。

さらに、この大規模な調査を人々に周知するため、飛行機からの宣伝ビラの撒布も行われました。今回紹介するのは、この時の品です。

前回紹介した国勢調査票とは異なり、いずれも、非常に程度が良いです。大切に扱われた調査票に対して、宣伝ビラは撒きっぱなしの消耗品ですから、現存する物はわずかだと思います。

 

                             8.9x14.2cm

異なる種類のビラ、5枚です。すべて、典型的なアールデコ様式のデザインです。

5枚に共通して書かれているのは、「国勢調査 10月1日」、「飛行宣伝」、「岐阜縣」、「航空第一大隊操縦」の語です。

 

すごいインパクトのデザインです。

 

谷岡ヤスジの漫画を思い出します「アサーッ!」(^^;)

 

国勢調査の日時、10月1日午前零時の夜間の雰囲気をよく表しています。灯台の光も効果的。左上に小さく飛行機が見えます。5枚のビラの中で、最もすぐれたデザインではないでしょうか。

 

「国勢調査は 善政の基礎を作る為め」

100年たった今でもそのまま通用するのが情けない(^^;)

 

「我國創始の一大事業」

当時の意気込みがうかがえます。

 

これらの宣伝ビラを撒布した航空第一大隊とはどんな組織だったのでしょうか。

戦前、日本では空軍は独立して存在せず、陸軍、海軍に航空隊が所属していました。陸軍は、空軍力を重視し、埼玉県に所沢飛行場を、次いで岐阜県鵜沼(現、各務原市)に飛行場を設けました。大正9(1920)年には、隣接する岐阜県那加(現、各務原市 )に大飛行場が開設され、大正6年に所沢飛行場に創設された航空第一大隊が、この大飛行場に移駐したのです。

大正9年6月に岐阜へ移駐したばかりの陸軍の主力航空隊が、10月1日の第一回国勢調査の宣伝ビラを撒布したのです。岐阜県下で、どれだけの範囲にどれだけのビラが撒かれたは不明です。

今回の品は、実際に撒かれて拾われたのではなく、何らかの理由で使われずに保存されていた物でしょう。100年前の品がこのような状態で残っているのは不思議ですが、宣伝ビラ、5種類全部に書かれた「航空第一大隊操縦」の語に関係があるかも知れません。岐阜に移ったばかりの航空第一大隊にとっても、この地で国家大事業に参加することには、大きな意味があったのではないでしょうか。関係者が記念としてとっておいた可能性は否定できません。

なお、各務原飛行場は、戦前、日本有数の空軍基地でした。そのため、戦争末期、米軍の激しい爆撃を受け、甚大な被害を受けました。この空襲では、岐阜県で、唯一、焼夷弾ではなく、1トン爆弾などの爆弾が使われました。現在この場所は、航空自衛隊の基地が置かれ、軍用飛行場となっています。

 

よく見ると、どのビラにも、小さく「西濃印刷」と記されています。現在も続いている老舗の印刷会社です。

 

コメント (8)
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