新・台所太平記 ~桂木 嶺の すこやかな日々~

N響定期会員・桂木嶺の、家族の介護・闘病・就職・独立をめぐる奮戦記を描きます。パーヴォ・ヤルヴィさんへの愛も語ります。

内定取り消しとなるも・・・音楽評論家として改めて出発へ!

2019-01-09 01:21:09 | 音楽評論家としての活動!

きのうは、内定先企業(実は生命保険の会社でした。誰でも知っている大手の会社です)の研修がありました。しかし、研修は1時間受けましたが、その後の面談で、結局内定は取り消しとなり、4月以降あらためて再度この生保会社からアプローチがあるとともに、当面は音楽評論家としての勉強に専念することになりました。

始めはショックだったのですが、そこの生保の会社の営業部長さんが私にこうおっしゃって、励ましてくださいました。

「かつらぎさん。大変申し訳ありません。僕たちも大変悩んだのですが、やはり熟考の結果、僕はかつらぎさんは、音楽評論家として大成すべきひとであって、生命保険の営業で終わる人ではないと判断しました」。

「もちろんわが社の業務に対する並々ならぬ熱意、意欲はずば抜けていますし、ご経歴もすばらしいです。でも、やっぱりかつらぎさんの今後の可能性を考えた時に、音楽や演劇の評論家として、もっともっと伸びていくべき人であるし、わが社がたまたまお声掛けしたことで、かつらぎさんの人生設計を狂わせてしまってはいけないと考えました。」

「かつらぎさんの現在のご家庭の環境も、さまざまな大変なことがありますよね。かつらぎさんにとって、あまり落ち着かない状況なのも、もうちょっと落ち着かせて、執筆にご専念できる環境を整えてからのほうがいいと思いますし、長い目でみて、そのほうがかつらぎさんのためになるのではないかとおもったのです。」

「それに、ご両親、特にお父様にいろいろな意味でかつらぎさんを理解していただくことが大事だろうと僕らは考えました。この内定を取り消すことで、お父様や前のご主人を憎んだり、嫌いになったりしないでいただきたいのです。あなたのご家族なのですから、大切に考えていただきたいのです。生命保険会社であるわが社は、ご家族の信頼関係があってこそ、私達の生命保険が役に立つと考えています。だからこそ、かつらぎさんのお仕事や情熱を、お父様にもお母様にもちゃんとご理解いただき、応援していただきたいんです」

「僕たちも苦渋の決断でしたが、そうさせてもらおうと考えたので、ご理解いただき、かつらぎさんには、ぜひ音楽評論家として末長く頑張っていただき、ぜひ『桂木嶺』として大成していただきたいと思うのです。なんといっても今までのご経歴、キャリアは輝かしいものなので、自信をもって頑張って生きていっていただきたいんです。ご病気のことなんて、もう忘れていただいていいのです。かつらぎさんはこれ以上卑屈にならず、堂々と評論家として前を向いて生きていかれるべきです。」

始めは大変ショックでした。引っ越しも何もかも、この企業への内定が前提で動いていましたから。でも、考えてみたら、この企業とのお付き合いは、年末に始まったばかり。換言すれば、音楽・演劇評論家としてお墨付きを頂いたようなものですし、この生保会社が非常に私をとりまく現在の環境を心配してくれていることもよくわかりました。

また、特にこの営業部長さんがすばらしいと思うのですが、「ご家族を憎まないでほしい」という言葉に、私はとても自分の心が軽くなるのを感じました。ついつい、利潤で金融関係特に生保は動いているのではないかと思いがちでしたが、ここの会社はまったく考え方が違っていました。

「家族を大切にする」「人生の価値観を大切にする」「生き甲斐を大切にする」会社であり、「人を大切にする」会社なのだとあらためて感じました。

こういう企業との出会いがあって、私はとても救われましたし、営業部長さんは大変お若い方ですが、見識といい、人の人生の観察のするどさといい、本当に瞠目すべき人で、こうした方と知り合えただけでも感謝したいと思いましたので、私も納得して、彼の申し出を受けることにしたのでした。

帰宅してから、父と母に、私の一連の顛末を話しましたら、初めは両親もビックリしていましたが、父が開口一番、こう申しました。

「では音楽と演劇の評論家として、身を粉にしてよく勉強して、しっかりがんばるんだよ。そのための応援だったら、ちゃんとパパもしてあげるから、がんばりなさい。お小遣いだったら、バイトだってパートだっていいから、ちょっとやればいいから、とにかく今は音楽と芝居の勉強をしっかりしなさい。生保会社だってお前の実力を認めてくれたんだから、病気のことなど過去の一切は気にせず、堂々とふるまいなさい。」

続けて父はこう励ましてくれました。「ともちゃん、上野の東京文化会館の音楽資料室も、国立劇場の資料室も、これからはもっとよく通うようにするんだぞ。上野だったら、美術館もあるから、芸術にもっと触れるように。長い人生、まだ引退は早いのだから精いっぱいのことをしなさい。せっかくこの生保会社がチャンスをくれたのだからね。生活はまぁちょっと苦しいが、パパがなんとかいろいろやりくりするから、ともちゃんは心配しなくていいよ」

私はぽろぽろ泣きました。こんなに父が私のほんとにやりたいことを理解してくれているとは思わなかったので、うれしかったのです。

「パーヴォみたいな指揮者の偉い人だって、こうしてせっかくご縁ができたのだから、どんどん音楽のことを質問して、勉強させてもらいなさい。それでパーヴォに連絡をとるのは全然パパは怒らないから」とも言ってくれて!!!

母も、ニコニコしていいました。「チコちゃんが一番好きな道で頑張ってくれるのなら、ママはそれでうれしいから、いろいろ文章をよく考えて、いい評論をかきなさい。パパのことをちゃんと理解してくれれば、ママはそれで充分幸せだから、心配しないでがんばりなさいね」と励ましてくれましたので、あらためて、私は自分がいままでとても自分の人生をとりまく人々に対して狭量だったことや、両親に感謝をしたくなりました。私を生んでくれて、育ててくれてありがたいとおもいました。

私は、あらためて幸せ者だと思いました。好きなことで身を立てられ、両親にも周りにも理解してもらえるというのは、確かにそれだけでもありがたいことですね。

さっそく日本音楽舞踊会議の事務局のTさんに電話をすると、彼は親切におしえてくださいました。投稿については、編集長の方が最終判断をしますが、同会議の主催する公演なら、どんどん記事を書いてもらって投稿するのは大歓迎ということなので、ご厚意に甘える事にしました。

またNHK交響楽団の定期公演もこれから拝聴しますが、これもその都度、ブログにも感想をアップしますが、演奏会評として書き溜めておいて、適宜雑誌社、新聞社に送って読んでいただくことにしました。そうして、どんどん評論の実力を蓄えていくことが先決と考え、両親に話すと、両親は大賛成してくれました。

歌舞伎学会のこともきちんと会費を払って、あらためて投稿を検討しようと思いました。今はとにかく時間に関しては時間長者なので、どんどん投稿と勉強に充ててがんばろうとおもったら、勇気がムクムク湧いてきました!

とにかく、なんでも前向きに考えていくと、いいことばかりですね(^_-)-☆

営業部長(Mさんとおっしゃいます)のご慧眼にあらためて感謝するとともに、あたえられたこのチャンスを精いっぱい生かし、両親のためにも、Mさんのためにも、またパーヴォやみなさんのためにも、粉骨砕身、がんばろうと思います!

よーし、やったるで!ヽ(^o^)丿

気持ちが非常に晴れ晴れした、七草がゆ明けのかつらぎ家でした!

 



最新の画像もっと見る