東宝時代の思い出が続きます。
きょうの思い出は「劇場版 ポケットモンスター」の思い出です♡
いまや国民的な人気を誇る「ポケットモンスター」ですが、映画版は、1998年7月から公開となりました。はじめは誰も「ポケモンってなんだ?!といった具合に、ポケモンの何たるかもよくわかっていなくて、いろいろな意味で手探りだったことを思い出します。
宣伝プロデューサーは、いまは人事部次長さんになられたT先輩でした(^_-)-☆
優しくてゲーム好き、そしていたずら大好き(^_-)-☆というたのしいお人柄の方で、とても仲良くさせていただきました♪関西の劇場経験が長い方で、劇場宣伝は熟知された方でした。
東宝の宣伝部に来る人は、関西や中部、九州などで劇場や支社経験を積まれてから、宣伝部に来る方が多かったですね。映画は全国に展開をして宣伝するので、やはり東京だけの視点ではだめだということですね。
また、実はけっこう「いたずら好き」というのは宣伝マンはみな共通してもっていたとおもいます(笑)というのは、やっぱり映画の宣伝ってアタマをうんとやわらかくして、たのしく元気に映画の魅力をお伝えすることが大事なので、「遊び心」をとても大切にする、部全体の雰囲気がありました(^_-)-☆
第1作目は「ミュウツーの逆襲」と「ピカチュウのなつやすみ」でした。まず、ピカチュウという大変愛らしいキャラクターを全面に押し出そうということになりました。
ポケモンの映画は、最初から波乱含みでした。というのは、テレビ版をごらんになった小さいお子さんが、劇中のフラッシュで閃光を浴びて、てんかん症状みたいなものを起こしたので、問題になったのでした。
そこで、Tさんは劇場勤務の経験から、「真摯にこれらの問題をクリアすべく対応する」という方針をとりました。まずきちんと、「劇場版のポケモンは、こういう問題のおきないように対処します。しかし、一部光のつよい場面もあるので、ご覧になる時は、なるべくスクリーンから離れてご鑑賞ください」という告知を、全国の劇場に掲示させるという方法をとりました。大変地道な作業でしたが、お子様連れのお客様からはかえってご好評をいただきました。
次にTさんは、この膨大なキャラクターの数を誇る”ポケモン”のキャラクターをみんなに知ってもらおうと、小学館さんほか製作委員会と相談して、なんと、当時151種類あったすべてのポケモンのキャラクターを網羅した、交通広告用のB倍ポスターを作成することにしたのでした!
©2018 Pokémon. ©1995-2018 Nintendo/Creatures Inc. /GAME FREAK inc.
これは本当に大変な作業でした!
というのは、もう若い方はみなさんご承知と思いますが、ポケモンは、一つのキャラクターが3段階に進化していきますよね。「ピカチュウ→ライチュウ→〇〇チュウ」といった具合にです。その進化したキャラクターもすべて見せたい、というのがポケモンの製作委員会の意向だったので、それをすべてB倍ポスターに乗せるというのは、もうこれはへたな神経衰弱をやるより大変だったわけですね。
Tさんと私の闘いがはじまりました。何しろ、色校正が大変でした!公式本である「ポケモン図鑑」を片手に、首っ引きで各キャラクターの色をすべてその指示通りにしなくてはなりません。B倍ポスター自体を印刷することは珍しかったので、そういう意味でも苦労していました。
http://pokemon.symphonic-net.com/#ピカチュウ
やっと苦労のすえに出来上がったポスターを見ても、製作委員会のプロデューサーの方が、「ピカチュウの色が全然違うじゃないか!刷り直し!印刷会社を変更しろ!」と言って怒鳴り込んでくることもあったのでした(涙)!
でも、宣材担当としては、印刷会社の変更の要請は受け入れるわけにはいかないので、製作委員会のみなさんが集まっている編集スタジオに、校正紙を抱え、単身血相を変えて乗り込む場面もありました!(なんだか、任侠映画の高倉健さんになったような気分だったのを覚えています)
版の作り方から何から全部話し合って、ピカチュウの黄色を出し、ほかのすべてのキャラクターの色を指定通りだすために、ずいぶん私も印刷会社の工場に行って、何度も色校正を出し、細かく指示をだし、刷り出しも見に行きまして、ようやく出来上がっておほめのことばをいただきました。
そのとき、小学館プロダクション(現・小学館集英社プロダクション)のSさんというプロデューサーの方が、「東宝に、永田あり!」とおっしゃってくださって、それから東宝宣伝部内でも、私の立場がずいぶん尊重していただけるようになり、仕事がしやすくなったという思いはあります。
Tさんともこれで一気に親しくなり、ご夫婦ぐるみでたのしくお付き合いさせていただいて、感謝しています。Tさんは、私が病気で倒れた時も一番心配してくださり、はげましてくださって、
「ながたっち、あんまり根詰めすぎないで、めげないでね。僕たち、ちゃんとまってるよ!」
と応援してくださる、ほんとうに心の優しい方だったのでした。
厳しく印刷工程を管理するようになったきっかけを作った作品でしたし、いろいろな意味で、宣伝の面白さ、怖さ、大変さ、奥深さを思い知ったのが、この「ポケットモンスター」第1作目でした。
話は横道にそれますが、わたしは大学時代(立教大学法学部でした)、国際法研究会というところに所属していました。ひょんなことからゼミの教授にお声掛けいただいて入ったのですが、なんだか借りてきた猫状態でした。で、ゼミのOB会に参加しても、なんだかじつは居心地が悪かったのです。
というのも、みんな先輩同期後輩たちは、内閣府、国土交通省、日銀、海上保安庁、新聞社、某大手自動車産業、都庁、商社、巨大メーカー・・・つまり、そうそうたる、日本の中の、まさに中枢で大変ご立派なところへ就職しているわけです。そういう意味ではかなりエリート集団だったのかもしれないですね。普段はほのぼのとしたサークルでしたが、一応外交官試験を目指すサークルだったので…。いまはこのサークルはありません。
ところが私と来たら、何がたのしくて、子供向けの、ゴジラの着ぐるみを着たり、ドラえもんの入場者プレゼント用のおもちゃの中身を考えていたり、あげくに「ポケモン」の全部のキャラクターを覚えなくちゃならないんだろう・・😢とずいぶん、内心忸怩たるものはあったのは確かです。
ゼミの教授も
「荒木さん(私の旧姓です)、僕は君には外交官になってもらいたかったのになぁ・・・・なんで映画会社になんか入っちゃったの?」
というありさまで・・😢(Tさん、Sさん、東宝のみなさん、ごめんなさい)
ところが、数年後。立教大学の国際法研究会のOB会に行ってみると、みなさん小さいお子さんがいるではありませんか!で、みーんなポケモンのゲームをもっていたり、モンスターボールを持っていたりするわけです!
で、私が、近況の自己紹介で
「実はポケモンのポスターを作りました」
と話した途端に、子供たちや先輩、同期、後輩たちの顔がパーッと明るくなって、
「それはすばらしいことをしたね!」
と異口同音に言ってくれたので、本当にうれしくて(涙)!
※これは3作目の「結晶塔の帝王(エンテイ)」のポスターです。これはB2ポスターなので、わかりづらいですが、B全ポスターは、贅沢にも、タイトルのところを、すべて銀の箔押しをするという、印刷技術でも、かなり高度な技を駆使して製作し、映画業界的にも大変話題をさらいました!
ゼミの教授も「荒木さんはまさに自分の夢を実現したわけだね(^_-)-☆映画を通じて、まさに『外交』をして、平和を実現したわけだ!」とお褒めの言葉を下さって感激しました!
おかげさまで、「ポケモンGO」が世界的に大ヒットして、すっかりポケモンは
「世界のポケモン」になりましたね!
というわけで、私はどこへ行っても、恥ずかしくなく、
「ポケモンのキャラクター151種類をすべて覚えて仕事していました!」
と胸を張って言えるようになりました(^_-)-☆
いろいろ引き立ててくださった、Tさんと、Sさんのおかげです(^_-)-☆
本当に感謝しています!
「ピカ!」とさけぶピカチュウの愛らしい姿をテレビでみかけるたびに、あのB倍ポスターを思いだす、私です(^_-)-☆