ちーろぐ

今日の出逢いに感謝を込めて

ねじれた教育改革

2006-10-30 18:37:02 | 教育
連日校長先生が謝罪し、教育委員会は権威を失い、文科省は遺憾の意を
表明し続けています。
ついには、履修偽装問題で校長先生の自殺まで起こってしまいました。

もはやこの未履修問題は、全国的に深々と浸透していた公然の事実が
表面化したものであり、決して教育現場では不信感も罪悪感もなく
行われてきた既成事実であることは明白ですね。

「まじめに取り組んだものが損をすることだけはないように」
と口々に政治家は言いますが、『学ぶ』ことが「損をする」と
いう捉え方事態が、教育の本質から大きく逸脱しているように感じるのは
私だけでしょうか?

長年、念仏のように『教育の機会均等』と謳いながらも、
実は学ぶべきこと、教えられるべきことを学校側の勝手な判断で
なされなかったのです。
つまり、教育の機会均等など存在しないことが露呈されました。

最近は、教育予算の配当を一律固定の地方交付税交付金として
各地方自治体に交付すること事態を減らして、様々な目的に対して
積極的に「○○をしたい」との意欲に予算をつけようと、予算配当の
あり方そのものが変化してきました。

しかし、様々な問題を受けて学校を、もっと国の監督下にしっかりと
置いて欲しいと言う声が大きくなりつつあるのです。

学校の裁量権を広げ『特色ある学校づくり』を目指す取り組みと
教師のあり方を含めて『国が監督責任をもった学校つくり』。
まさしく教育政策のねじれが起こりつつあります。

これほど教育と学校と先生がクローズアップされることはないと思います。
この中に最も欠如した観点は、子どもではないでしょうか。
教育が大きな転換期を迎えているのではなく、大人が「教育の本質」に
立ち返るべき時が来た事を自覚して、この問題に立ち向かうことを
心から願います。



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