ちーろぐ

今日の出逢いに感謝を込めて

滝川教育委員会の恥知らず

2006-10-05 20:21:27 | 教育
北海道滝川市で去年9月に小学6年生の少女が、
いじめを苦に自殺しました。
教卓に『遺書』を残して・・・
しかし、小学校を含め教育員会は『遺書』ではなく
『手紙』であると公言し、いじめの事実は把握できなかった。
と語っていたのでした。

それが、マスコミへの遺族の訴えで事態が全国的に表面化
したとたん、態度を改めて遺族への謝罪を行ったという
ニュースに私は、怒りを通り越して、あきれ返ってしまいました。

今回の悲しい少女の死が、浮き彫りにした問題点は何なのか。

まず始めに、少女の苦しみの背景は「いじめ」であったことから、
少女の心の叫びを誰も聞くことが出来なかった事実があったと思います。
 このことについては、学校でけに責任が問われるものではないでしょう。
家族もこの思いもかけない結末に、どれほどの後悔と悲しみを持って
おられることは、想像するだけで胸が締め付けられる思いです。

 問題は、少女の死後、その死の重さを受け止めることの出来なかった
学校現場と教育委員会の全ての人々にあります。
 防げたかもしれない少女の死を、心から悼み、二度とこのような
子供を出してはいけない!と強く願ったならば、今回の対応はなかった
と思います。

対応を余儀なくされた。。。という感覚で、平然と「手紙」という
教育委員会担当者は、「教育」という部署で働く心無い公務員そのもの
ではなかったでしょか?

学校・教育委員会は、学校や教育委員会が存続するためにあるのでは
なく、子供たちの教育を支え、より良い環境を作り出すためにあることを
忘れているのでしょう。
いや、そんな観点すら持ち合わせていないのではないでしょうか。

教卓の上に『遺書』

これを発見した教師は、今も平静に教卓に立っているのでしょうか?
教卓の上の遺書は、教師の決定的敗北であり、教師の指導力の欠落
の証拠であると感じます。

この担任教師が、教師の職を離れていてほしいなどとは、決して
思っていません。むしろ、この少女の死を本当の意味で生かして
決死の覚悟で、教師を続けていてほしいと思います。

何を守るのか。。。。「自分達の立場」
何を求めるのか。。。「自分達の正当性」

このようにしか感じない滝川市教育委員会は、今すぐ人員配置を
行いしかるべき処置を行うべきであると考えます。
『教育』の携わる資格などない、恥知らずな大人を子供たちの前から
消し去ってほしいと思いました。






最新の画像もっと見る