真似屋南面堂はね~述而不作

まねやなんめんどう。創業(屋号命名)1993年頃。開店2008年。長年のサラリーマン生活に区切り。述べて作らず

小惑星探査機「はやぶさ」の奇跡―挑戦と復活の2592日

2010-10-24 | 読書-自然科学
小惑星探査機「はやぶさ」の奇跡―挑戦と復活の2592日
的川 泰宣【著】
PHP研究所
(2010/10/05 出版)

大先生なので、自慢話も許される。
漁連との秘密交渉での、糖尿病(そのせいにするのは、まあ、なにでしょうけど)を促進するほどのご活動ぶり。
(漁業者との間に永年にわたり築いていた信頼関係を生かして、ロケット打ち上げに関して役所に先行して根回しに赴き、体を張った親睦活動で、「先生に恥はかかせないから」との確約を得た云々)

8月7日,的川泰宣JAXA名誉教授の講演(@山梨県立科学館)を聞いた人のブログ
5『はやぶさ(当時はMUSES-Cと呼ばれていた)の名前を決める時、
 的川先生は「アトム」を推して川口PMは「はやぶさ」を推していた。
 結局「はやぶさ」に決まったのだがその時、川口PMは的川先生に
 『先生、よく分かってらっしゃる!』と言ったとか』

関係者の投票を踏まえて幹部が決定する段取りとの記載。
本書中にも引用されていた、川口教授によるメルマガの記述で命名の詳細が明らかになっていた。

ISASメールマガジン 第294号【 発行日- 10.05.11 】
「はやぶさ」と並んで、というか、「はやぶさ」という名をむしろしのぎ気味だった候補に、ATOM(アトム)という名がありました。的川先生を中心に組織票が投じられていた案で、この名は、ごぞんじアニメの名称ではありますが、Asteroid Take-Out Mission の頭文字という奇抜でユニークな案でした。

的川大先生が最終局面で「降りた」ことで、「はやぶさ」に決まったという経緯ね。
名付け親ならぬ、名付けの恩人?

組織票で多数を獲得していたし、大先生の権威を振りかざしてアトムを押し通す(推し通す?)こともできただろうが、プロジェクトマネジャーに譲ることができたのはエライエライ。

糸川博士の評伝でもさらりと言及していた件の背景がわかった。

命名の由来もご講演の重要コンテンツ

気の利いた設計ってどんななんだぁ~

テレビなんぞで一般向けに説明する役割としては、優秀な若手がしっかりと。
「酒もっと」という名字に違わず何でも好き嫌いなくよく呑みますが、最近ついに痛風倶楽部の軍門に下った…という阪本教授
漁協との交渉担当ではないようだが(笑)。

JAXA's blog - Seiichi Sakamoto - Cosmic Diary

【2009年6月10日 アストロアーツ】
阪本氏は平原さんの癒し系の歌声がお気に入りで、まさに自身にとっての「ヒーリング・ヴィーナス」なのだともつづっている

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