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本棚に積ん読な本を読了したらばの備忘録

三浦しおん『まほろ駅前多田便利軒』あらすじと感想

2015-07-17 11:27:49 | 紙の書籍
文春文庫 三浦しおん『まほろ駅前多田便利軒』を読了しました。

あらすじと感想をざっくりと備忘録として書きます。
※ネタばれがありますのでご注意ください。
※文中の敬称は省略させていただきます。




【目次】
一 多田便利軒、繁盛中
ニ 行天には、謎がある
三 働く車は、満身創痍
四 走れ、便利屋
五 事実は、ひとつ
六 あのバス停で、また会おう
解説・鴻巣友季子


【あらすじ】
東京郊外にあるまほろ市の駅前で、多田啓介は便利屋を営んでいる。妻とは離婚しており子供もいない。仕事帰りにバス停でおかしな風体をした男、高校の同級生だった行天春彦に再会する。成り行きで住まい兼事務所に居つかれ、二人で便利屋をすることになる。
依頼されるさまざな仕事、そこで出会う人たちとのあれこれ。


【感想】
ここに出てくる人たちはみな寂しい。どこか欠落したものを抱えて生きている。欠落のない完璧な人なんていないのかもしれないが、それにしても、そこが欠落してしまったままなのか…と思う。
愛着を抱く者から得られなかった愛情、小さな悪意が引き起こしたことへの罪悪感、押し殺す殺意という名の衝動。そんなものがあちこちに散らばっている。

起きてしまったことは、決してなかったことにはできない。壊れたものは元通りにはならないのだ。どんなに切望しても、永遠に手に入れることができないものもある。残酷だがそれは真実。
でも、再生はできる。全く同じにならなくても、別のなにかに。
行天が多田に向かって話す、自分の小指の話は胸を打つ。
>「傷はふさがってるでしょ。たしかに小指だけいつもほかよりちょっと冷たいけど、こすってれば、じきにぬくもってくる。すべてが元通りとはいかなくても、修復することはできる」
高校時代に多田と友人たちの不注意で、行天の小指を切断する事故があったのだ。幸い小指はつながったのだが、今もその指にはくっきりと傷跡が残り、青っぽく神経が通っていない。
この作品は、欠落や闇を抱えたまま、それでも精一杯、生きていく人たちの喪失と再生の物語なのだと思う。


【余談】
三浦しおんの文章は小説でも、エッセイでもするすると、とても読みやすい。ライトノベルやその類のように、薄っぺらいというのでは決してない。ほかに表現ができないので、するするという感覚なのだ。
この作品を読む前に、ドラマと映画を先に観てしまったので、多田は瑛太さ、行天は松田龍平で再現されてしまう。いつものならそのイメージが邪魔になるところだが、むしろはまりすぎていて不思議だったりする。あて書きなの?と思ってしまう。いや、もちろん違うけど。

この作品の舞台になっているまほろ市、何故か誰でも知っているような気がするのではないだろうか?どこにでもあるような東京郊外の架空の街、まほろ市。
私も昔、モデルになっているらしい町田近くに住んでいたことがある。町田にも何度か出かけた。その頃の匂いをふと、読んでいて思い出した。

最近、録画した映画や舞台を観ることに時間をとられていて、読書量がまた一層減ってしまっていた。するすると読めると本当にありがたいのだが、そうそう、都合よくもいかないのが現実。時間とエネルギーがもっと欲しいなぁ~。

只今、同じシリーズの『まほろ駅前番外地』を読んでいるところ。さてさて、今度はどんな事件?が起きるのやら。




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