母に頼まれていた物を、看護師さんへ届けて、
その後、父を車に乗せて、
父の戸籍抄本を取りに、
本籍地のある「東住吉区役所」まで、
行ってきた。
あっ、我が家の本籍地は、
「東住吉区」って所になっている。
我が家からだと、車で1時間弱。
ここは、
父と母が結婚した頃に住んでた所だ。
ここが、我が家の1軒目。
それからの両親は、
7軒のお家を次々と買っていき、、、
今の所が、その7軒目だ。
数年前、これ以上は買わない!と決めたらしく、
今の居住地に、本籍地を移そうか?と、
父も母も悩んだらしいが、
兄が「俺は、そのままにしていて欲しい」
との強い意見により、
今も、そのままにしてある。
そうそう、
何故、父と母が、
お家を買い続けたのか?と言うと、、
父と母は、結婚した時、
母方の祖母や親戚から、猛反対されている。
父は戦争により、父親(祖父)を亡くしていて、
その上、父の母は、
アメリカで生まれて、来日している。
その為、
「てて(父)無し子に、一体、何が出来るんだく!」とか、
「色白で、目の色も髪の色も気持ち悪い!」
と、見下され続けてきたのだ。
父には、その意地もあったのだろう。
それからの父は、がむしゃらに仕事を頑張り、
母の生家にも負けない位に、
お金を貯めては、家を買う!を繰り返したようだ。
父にすれば、
どん底から這い上がる様な人生だったんじゃないかな?
以前にも書いたけど、
父は、金銭感覚ゼロの母を抱えながら、
ここまで這い上がるのは、
想像以上に、大変なことだったと思う。
私は、母の生家に預けられていたので、
あんまり分からなかったけど、
今、その父の大変さが身に染みて分かる。
話を戻して、、、。
父方の祖父の軍人としての
「特別弔慰金(国債)」を申請する為に、
父の「戸籍抄本」が必要だからだ。
それに、私だけで行っても、
父の戸籍抄本の発行は、不可能だ。
この「特別弔慰金」の申請は、
居住地の市役所でするのだが。
ということで、
区役所まで、父とのドライブ。
入院中の母のことの話をした。
私
「モム(母)に今日、
テレビカード6枚渡したのよ!
入院10日で18枚だよ!
それに、現金も欲しい!っていうから、
とりあえず8000円持って、
看護師さんに確認しに行ったら、
もう十分、足りてますし、
これ以上は必要ないです!!って仰ったので、
そのまま持って帰ってきたの!
モムは、治らないのかな?
私達、振り回されてるよ!!」
父、
「モムには、生まれた時からずっと
皆に甘やかされてきたから、仕方ない。
今さら治らないよ!」と。
私
「、、、。」
テレビカード18枚以外にも、
現金を渡してるし、、、
額も、既に2万円を越えている。
テレビカードと合わせたら、
入院10日で、総額4万円くらいかな?
母は、何に、お金を使っているのかな?
衣食住が揃っているし。
普通に考えたら、あり得ないんだけど。
母に聞いたら、
洗濯代に使った!とか言ってるけど、、。
私に怒られるからかな?
詳しくは、言ってくれない!!!