もんじゃ焼き。上に乗っているのはチーズとハンバーグ。なるべく邪道なものを選ぼうとN氏が選んだのがこれだった。■
作ってみるとこの味が面白い。正にハンバーグなのだ。当たり前と言えば当たり前だが、口に運んでいるのはもんじゃなのに味がハンバーグなので、そのギャップが面白い。さらに、ソースや醤油などで味付けするとこれまた面白い味になる。邪道の極みなり。
久しぶりに会ったN氏と月島で食事をした。飲兵 . . . 本文を読む
八重洲近辺にある老舗の焼鳥屋に行った。二階にある座敷は低い天井で、二階に上がる階段も狭かった。昔の日本人の体格に合っているものなのだろうか。■
焼き鳥は一品一品が良い素材で、丁寧に焼いてあり、満足の行くものだった。品川の焼き鳥屋に匹敵する味で、旨い焼き鳥としての共通点を発見した。
そちらの店でお客さんが使うために置いてあった道具がこちら。焼き鳥を歯や箸を使わずに串から取り、さらにそのまま口 . . . 本文を読む
テレビ番組で作っていたものを真似てポトフを作った。写真では余り美味しそうに見えないが、まあまあの出来だった。■
子供の頃、ホワイトシチューやポトフはご飯のおかずにならなかったので、余り好きではなかった。結婚してからカミさんがポトフ好きで結構夕食に出た。最近は結構好きな料理になっている。信じてもらえないかもしれないが、それほど食にこだわらなくなったせいだと思っている。慣れただけかもしれない。
. . . 本文を読む
今年は読書をする時間を増やしたいと思っているが、読書の時間には旨いコーヒーを是非飲みたいものだ。今まで紅茶一辺倒だったカミさんがコーヒーを飲むようになってきたので、罪悪感なく、今年はいろいろなコーヒーを試してみようと思う。調べてみるとネットや雑誌などでは、全国のコーヒー豆販売店の情報が満載だ。■
以前にも書いたが、私は大学生の時にデパートのコーヒー売場でコーヒー豆を売り、お客さに試飲してもらう . . . 本文を読む
私は大学生の頃、横浜・関内は馬車道にあるスポーツジムでアルバイトをしていた。トレーニングや痩身のために運動に来る人を管理するというか、本質的には励ますのが仕事で、今考えると、よくあんなものでお金がもらえていたと反省してしまう。そのスポーツジムの近くには生香園というどこにでもありそうな名前の中華料理屋があった。名前を聞いてピンと来る人もいるかもしれないが、一時期有名になった料理人兄弟の弟さんの方の店 . . . 本文を読む
今日は調布ジゴロウ氏と品川の焼き鳥屋で飲んだ。
その店はただ男一人が店を切り盛りしている焼き鳥屋だ。ただ、彼が最高に旨いと思う焼き鳥を、その日焼いて提供できる数だけ、妥当な価格で提供している。
その店の焼き鳥は、正に歴史のある鮨屋のように、味の薄いものから濃いものが出される。多くは素材の旨さを表現するために塩が使われている。串も真ん中ぐらいが大きい肉が刺さっていて食べやすさなどが考えられて . . . 本文を読む
スイカに塩、メロンに生ハム、お汁粉に塩、キャラメルに塩、煎餅にざらめ、酢豚にパイナップル・・・、甘いモノと塩辛いモノは一緒に食べると結構相性が良かったりする。しかし、私が四種のチーズのピザを頼んだら、ウェイターがハチミツを運んで来た時はちょっと驚いた。■
ハチミツを堂々と出してくるのだから実績に裏づけされた自信があるのだろう。ちょっと躊躇したが、思い切りかけてみた。するとやはりチーズの塩気とハ . . . 本文を読む
私は和菓子では豆大福などが好きで、どら焼きはどちらかというとそんなに好きな方ではない(嫌いという訳ではない)。くだんの青い猫型ロボットがパクパク食べているが、そんなに旨いか?と子供心にも思っていた。ちなみに、どら焼きではなくて、縞模様に焦げ目を入れているトラ焼きというのがあるが、あれはとても好きなので、多分パンケーキ生地の部分が焦げているかどうかが境目かと思っている。■
同僚にカレーと共に進め . . . 本文を読む
7月から一緒に働いているSさんは今までに別の会社で、非常に大変な職を経験している。一緒の職場にいるのが不思議なくらいだ。Sさんは特に食通という訳ではないが、さすがに経験豊だけあって旨いモノを知っている。先日、日本橋界隈の食事の話になった時、いくつか美味しいモノを教えてもらった。その中にあったのが、泰興楼の餃子だった。今日、調布ジゴロウ、S崎の3人でその餃子の実力を検証しに行って来た。■
ご存知 . . . 本文を読む
高校の同窓会のために小田原に行った。同窓会の前に少し時間を作って小田原の街を軽く歩いた。■
細かいところを挙げればきりが無いが、とにかく私の高校時代そして大学時代までを含めても、そのころの街とは変わっていた。よく地方の疲弊を表現する際に使われるシャッター街という言葉があるが、そこまで行かないものの(実際に地下街はシャッター街になっていたが)人の流れ、商業・娯楽施設の変化が街の姿を変えていた。
. . . 本文を読む