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静寂はあなたへの恩恵

人生の途中で聴覚障害となった私。
でも代わりに心の声が聞こえるように・・・
そんな私の思いを綴っていきます。

すごい。。。と思った。

2010-02-13 22:55:57 | 聴覚障害のこと
昨日TVで「筆談ホステス」の特集がやっていて、たまたまそのチャンネルをつけていただけだったのだけど、
それを見たのは必然だったみたい。

以前から「筆談ホステス」という言葉は聞いていて、どんな感じの方なんだろう?
どんなふうにお仕事されているんだろう?と興味はあったものの、目にしないまま。

でも昨日初めて見て「すごい」と思った。

「筆談ホステス」こと斉藤里恵さんは、銀座のNO1ホステスなんだけど、
耳が不自由なため、(言葉も一般の方には聞きとりにくいよう)筆談で接客されていた。

筆談で接客って、それもNo1なんてすごい。。。と思い、
本当になんでもやろうと思ったら、聞こえる、聞こえないなんて関係ないって改めて思った。

里恵さんは、2歳で聴力をなくされ、子供のころから大変な状況で
再現ドラマでは小学校の先生にもひどいことを言われた場面を映していました。
細かい言葉は忘れたけれど、「神様に聴力を奪われた」みたいなことを
黒板にでかでかと書かれるような出来事もあったようで、
子供のころに、それも先生にそんなことをされるなんて、
どんなにつらかったでしょうね。

高校時代にはグレたりもして、それでも今25歳でここまで来ているのは本当にすごいこと。

里恵さんは普段文字でのコミュニケーションなので、
文字からいろいろなヒントを得てお客様にお話しすることが多いみたい。

たとえばお客様が仕事で悩んで「すべてを失った。。。」と書かれれば、
「失うということは、人間が大きくなること」というように、
「失」の文字を「人」と「大」に分解してお客様に勇気を与えていた。

でも誰でもそういうふうにすれば、勇気を与えられるのかと言えば
そうでもなく、彼女だから、大変な苦労をされてきた彼女だから、
その彼女が書く言葉はとても重みがあり、お客様の心に響くのだなぁと思った。

私は。。。
聞こえないけれども、中途失聴のため言葉は普通に話す。
それはいい面もあるけれど、普通に話すので「聞こえない」ということを
よく忘れられてしまう、というよくない面もあるんですよね。

忘れられてしまうので、何度も「私は聞こえません」というのに疲れてしまって
相手の方がわかりやすく話してくれなくても「もういいや」とあきらめてしまうこともある。
それが一番良くないんですよね、本当は。

そしてまだまだ私は、相手の方に書いてもらことがとても申し訳ないことだと、
私のためにそんな煩わしことをしていただくなんて。。。と思ってる。

だから私は聞こえない自分をちゃんと認めていない。
「こんな自分に。。。」「申し訳ない。。。」って。。。
改めてそう思った。

それはやっぱり「聞こえないから駄目」「聞こえな人にはできない」と言われて、
仕事を何度も失った経験があったりして、人から言われたことに影響されて
知らず知らずに自分の価値を認めなくなっていたんだなと思う。

これでもスピリチュアルなことを学んでから、かなり自己評価をあげてきたつもりだけど、
里恵さんがやってらっしゃることを見ていたら、私はまだまだなんだって思った。

自分の「聞こえない」ことは、自分で生まれる前に選んできたことだし
ハンディじゃなくて「素晴らしい個性」なんだよね。
その「個性」を生かすも殺すも自分次第で、自分の思いひとつ。

だったら、この「個性」を存分に生かすことのできるような生き方をしていきたな。
それにはもっともっと自分のことを、「聞こえない」ということを前面に出していかないと
だめだね、きっと。

隠してちゃだめなんだよね。。。。
聞こえない人はただでさえ、見かけから「障がいを持っている」ってわからないし、
私は話してもわからないから、本当に隠れてしまおうと思えば隠れることができる。

でも隠さずに堂々とそれを生かして生きていかなければ
そのために生まれてきたのだから。

「障がいがあっても、ハンディがあっても、自分のしたいように生きられる、
 どんなことでもできる」ということを伝えていくことも私の役目なのだから。


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誰もわかってくれない

2009-11-15 09:34:00 | 聴覚障害のこと
今朝の夢でそう言っていた。

そういった思いは以前はとてもよく感じていたのだけれど、
最近はあまり思うことはなかったけれど(頭では)

少し前にヒーラーさんにセッションしてもらったときに
一番にそう言われて
まだその思いが深く残っているのだと少しショックだった。

もう解放したと思った思いが、実はまだちゃんと残っていたのだということに。

それを聞いてから、子宮・卵巣にセルフヒーリングしていると
「誰もわかってくれない」という思いが出てくるようになって、
それは「女性性の抑圧」とも関係しているのか、と思っていたのだが。。。

今朝の夢では「聞こえないこと」について
「わかってもらえない」と思っていたみたい。

その思いを以前5年ほど通った耳鼻科の先生に訴えていたり、
そこの看護婦さんがわかってくれない、という具体的な場面が出てきていたのだ。
(もちろんそれは実際にあったことではなくて、フィクションなんだけど)

そのあと、現在の職場の人たちが出てきて、
仕事をもらえず、私はポツンとさみしく感じている場面があって
そこでも「誰もわかってくれない」と思っている。

実際に職場の方に対して、そういう感情を持っていて
仕事をいますぐ辞めたい、と思ってしまう時もあるのだけれど、
「誰もわかってくれない」と思うとき、
では私は彼らのことをわかろうとしているのか。。。
こうしたことは、何を私に学ばせてくれようとしているのか。。。
私の中のどんなネガティブな思いが反映しているのか。。。

ということを深く感じていかなければいけないのだろうな、と思う。

「誰もわかってくれない」の裏側には、どんな大きな恩恵があるのだろう。

それがわかったときには、そういったことを思わなくなるのだろうな。。。





心の闇に向き合う

2009-04-13 19:47:41 | 聴覚障害のこと
今年に入ってまだ3ヶ月ちょっとしか経っていないというのに、
いろんなことが起きている。

胸が震えるような感動すること、「愛」について
身体と心全体で感じられるようになったことなど、
とても素敵な経験もした。

でも逆にこれでもか、と自分の心の闇を見せ付けられることもある。

「もうこれは終わったと思っていたのに・・・」
「十分乗り越えたと思っていたのに・・・」

それでもまだまだ手放せていない。

どれくらい涙を流し、どれくらい苦しい思いをいたらいいのか・・・
これでもまだ足りないと言うのか・・・

私にとっての闇は「聞こえないこと」だ。
人生の途中で聞こえなくなり、ずいぶんと苦しみ、つらい思いを
してきたけれど、その気持ちがまだ解放されずに
私の中に残っている。

私はどれくらい自分の魂を傷つけてしまったのだろう。

いろんなヒーリングを受けて、ワークをしてきた。
その中でもたくさんの涙を流して、気づきがたくさんあった。

それでもまだまだ手放していかなければならないものがある。

簡単には手放せないもの。
なぜならまだまだそこから学ぶことがたくさんあるから。
だから簡単には手放せない。

でも、きっといつか手放せる。
私は自分の心の闇にきちんと向き合う覚悟をした。

押し込めてきたつらい感情をもう一度、
かさぶたをはがすように見つめてみる。

痛いし、苦しいけど、逃げずに向かい合いたい。

そしていつか心から少しの曇りもなく
「生きていて本当によかった」と思えるような日がくることを祈って。






ソウルメイト

2008-11-04 22:18:58 | 聴覚障害のこと
最近よく本を読んでいます。
ほとんどスピリチュアル系の本なんだけど

飯田史彦さんの「ソウルメイト」という本の中に、
“人生の目的”について書かれたところがあって、

飯田さんは、人生で直面する試練、つまり『思い通りにならないこと』
の代表は次の3つだと言っています。
それが肉体を持った人間として生まれてきて初めて経験できることだと
いうのです。

その3つとは、

1.死ぬということ
2.病気になったり身体にハンディキャップ(障害)を持つということ
3.人間関係のトラブルで苦悩するということ

この3つを通じて学ぶために、わざわざ人間として生まれてきたという仮説を
立てていらっしゃいます。

私はまさに「身体にハンディキャップを持つということ」を
通じていろんなことを学んできた。
「自分では思い通りにならないこと」だからこそ、
その苦悩も深く厳しいものだったんでしょう。

今となっては、自分に起こることはすべて偶然ではなくて意味のあること、
自分に必要なことが起こっているのだ、と理解できるけれど、
聞こえなくなった当時は「なぜ私が?私は何か悪いことをしたのだろうか?」と
自分に起こったことが信じられなくて、まるで悪夢を見ているようだった。

あのとき、私は何も知らなかった。何もわかっていなかった。
ただ自分に起きた表面的なことだけに、右往左往することしかできなかった。
そこにどんな宇宙のしくみが隠されているかなんて思いもしなかった。

あれからいろんなことが起こって、いろんなことを考えて、
今ここにいる。
大きな力に導かれるように、後押しされるように今この道を歩み始めた。

聞こえなくなって受けた恩恵はあまりにも大きすぎる。
かと言って「聞こえなくなってよかった」とは思わない。
「聞こえなくなったことを通じて学べてよかった」と、ただそう思う。



そしてまた飯田さんの言葉、
「病気やハンディキャップを持ちながら生きる人は、決して罪深い人や
かわいそうな人ではなく、自分の意思で大きな成長を望んで生まれてきた、
たいへん勇気ある、すばらしい挑戦者なのです」



私が聞こえなくなったスピリチュアル的理由2

2008-10-13 21:52:38 | 聴覚障害のこと
以前私が聞こえなくなったスピリチュアル的理由で書いたのは、
過去生からのものだけど、それ以外にもよく言われることがある。

それは「聞きたくないことがたくさんあって、(耳を)自分で閉じてしまった」
ということ。
私はとても繊細で周りで聞こえる嫌なこと、つらいこと、汚いことを
聞きたくなくて、自分で聞こえなくしてしまったのだと。

「繊細」というのもよく言われることで、
自分でもそれは思い当たる。
今でも何かストレスがたまると、苦しくなって倒れそうになってしまう。

そんな自分はいやだともっと強くなりたい、と思ったりしたけど、
でも今はその弱さも自分だと思い、自分の全てを受け入れようと思ってる。

それで「聞きたくないことがたくさんあって、自分で閉じてしまった」
ことだけど、最近あるヒーラーさんに言われたのは、

「汚いこと嫌なことを現実の耳で聞こえなくする代わりに、
天使とか高次の存在のきれいな言葉、いい言葉だけをサイキックな聴力で
聞こえるようにと取引してしまった」と。

「でもあなたはもう強くなった、どんなことを聞いても大丈夫。
天使とか高次の存在の声は実際の耳が聞こえていたって聞こえるもの。
自分の魂に『もう自分は強いから何も聞いても大丈夫だ』と
語りかけて」

と言われました。

そしてこれも前からよく言われることだけど、
「きっと聞こえるようになる」って。

でも何年か前に言われたときには、
「聞こえるようになったら、うれしいだろうか・・・
 聞こえるようになったら、私はどうなるんだろう」って
実は不安のほうが大きかった。

聞こえなくなったときに、あんなに苦しんで悲しんだのに、
それに慣れてしまった今「聞こえるようになることが
そんなにいいことだとは思えない」と
思っている自分がいた。

たぶん聞こえなくなってから得たものが、とてつもなく多いせいだ。
聞こえなくなってからの自分のほうが好きだし、
聞こえなくなったことが、私を大きく成長させてくれたと思うから。

もし聞こえるようになったら、それが全部なくなって
しまうような気がしたのだ。
自分が自分でなくなってしまうような気が・・・・

でもあれからまた何年かたった今は、
きっとあの経験は聞こえるようになってもなくならない、
私の細胞一つ一つに染み付いているだろう、
聞こえるようになっても、聞こえなくても私は私。
何も変わらないし、何もなくならないんだ、と思う。

これから聞こえるようになるのか、ならないのか
わからないけれど、何も変わらないことは確か。

この前難聴に効果があるというYL社の精油があると聞いて、
それを一度塗布してもらった。
かなり高価で匂いも強烈なものだけど、
自分でも購入してしばらく付けてみようかな、と思う。

そういうことにめぐり合えたことにも、意味があると思うから。