昨日TVで「筆談ホステス」の特集がやっていて、たまたまそのチャンネルをつけていただけだったのだけど、
それを見たのは必然だったみたい。
以前から「筆談ホステス」という言葉は聞いていて、どんな感じの方なんだろう?
どんなふうにお仕事されているんだろう?と興味はあったものの、目にしないまま。
でも昨日初めて見て「すごい
」と思った。
「筆談ホステス」こと斉藤里恵さんは、銀座のNO1ホステスなんだけど、
耳が不自由なため、(言葉も一般の方には聞きとりにくいよう)筆談で接客されていた。
筆談で接客って、それもNo1なんてすごい。。。と思い、
本当になんでもやろうと思ったら、聞こえる、聞こえないなんて関係ないって改めて思った。
里恵さんは、2歳で聴力をなくされ、子供のころから大変な状況で
再現ドラマでは小学校の先生にもひどいことを言われた場面を映していました。
細かい言葉は忘れたけれど、「神様に聴力を奪われた」みたいなことを
黒板にでかでかと書かれるような出来事もあったようで、
子供のころに、それも先生にそんなことをされるなんて、
どんなにつらかったでしょうね。
高校時代にはグレたりもして、それでも今25歳でここまで来ているのは本当にすごいこと。
里恵さんは普段文字でのコミュニケーションなので、
文字からいろいろなヒントを得てお客様にお話しすることが多いみたい。
たとえばお客様が仕事で悩んで「すべてを失った。。。」と書かれれば、
「失うということは、人間が大きくなること」というように、
「失」の文字を「人」と「大」に分解してお客様に勇気を与えていた。
でも誰でもそういうふうにすれば、勇気を与えられるのかと言えば
そうでもなく、彼女だから、大変な苦労をされてきた彼女だから、
その彼女が書く言葉はとても重みがあり、お客様の心に響くのだなぁと思った。
私は。。。
聞こえないけれども、中途失聴のため言葉は普通に話す。
それはいい面もあるけれど、普通に話すので「聞こえない」ということを
よく忘れられてしまう、というよくない面もあるんですよね。
忘れられてしまうので、何度も「私は聞こえません」というのに疲れてしまって
相手の方がわかりやすく話してくれなくても「もういいや」とあきらめてしまうこともある。
それが一番良くないんですよね、本当は。
そしてまだまだ私は、相手の方に書いてもらことがとても申し訳ないことだと、
私のためにそんな煩わしことをしていただくなんて。。。と思ってる。
だから私は聞こえない自分をちゃんと認めていない。
「こんな自分に。。。」「申し訳ない。。。」って。。。
改めてそう思った。
それはやっぱり「聞こえないから駄目」「聞こえな人にはできない」と言われて、
仕事を何度も失った経験があったりして、人から言われたことに影響されて
知らず知らずに自分の価値を認めなくなっていたんだなと思う。
これでもスピリチュアルなことを学んでから、かなり自己評価をあげてきたつもりだけど、
里恵さんがやってらっしゃることを見ていたら、私はまだまだなんだって思った。
自分の「聞こえない」ことは、自分で生まれる前に選んできたことだし
ハンディじゃなくて「素晴らしい個性」なんだよね。
その「個性」を生かすも殺すも自分次第で、自分の思いひとつ。
だったら、この「個性」を存分に生かすことのできるような生き方をしていきたな。
それにはもっともっと自分のことを、「聞こえない」ということを前面に出していかないと
だめだね、きっと。
隠してちゃだめなんだよね。。。。
聞こえない人はただでさえ、見かけから「障がいを持っている」ってわからないし、
私は話してもわからないから、本当に隠れてしまおうと思えば隠れることができる。
でも隠さずに堂々とそれを生かして生きていかなければ
そのために生まれてきたのだから。
「障がいがあっても、ハンディがあっても、自分のしたいように生きられる、
どんなことでもできる」ということを伝えていくことも私の役目なのだから。
個人セッション・ワークショップはこちらから♪

それを見たのは必然だったみたい。
以前から「筆談ホステス」という言葉は聞いていて、どんな感じの方なんだろう?
どんなふうにお仕事されているんだろう?と興味はあったものの、目にしないまま。
でも昨日初めて見て「すごい


「筆談ホステス」こと斉藤里恵さんは、銀座のNO1ホステスなんだけど、
耳が不自由なため、(言葉も一般の方には聞きとりにくいよう)筆談で接客されていた。
筆談で接客って、それもNo1なんてすごい。。。と思い、
本当になんでもやろうと思ったら、聞こえる、聞こえないなんて関係ないって改めて思った。
里恵さんは、2歳で聴力をなくされ、子供のころから大変な状況で
再現ドラマでは小学校の先生にもひどいことを言われた場面を映していました。
細かい言葉は忘れたけれど、「神様に聴力を奪われた」みたいなことを
黒板にでかでかと書かれるような出来事もあったようで、
子供のころに、それも先生にそんなことをされるなんて、
どんなにつらかったでしょうね。
高校時代にはグレたりもして、それでも今25歳でここまで来ているのは本当にすごいこと。
里恵さんは普段文字でのコミュニケーションなので、
文字からいろいろなヒントを得てお客様にお話しすることが多いみたい。
たとえばお客様が仕事で悩んで「すべてを失った。。。」と書かれれば、
「失うということは、人間が大きくなること」というように、
「失」の文字を「人」と「大」に分解してお客様に勇気を与えていた。
でも誰でもそういうふうにすれば、勇気を与えられるのかと言えば
そうでもなく、彼女だから、大変な苦労をされてきた彼女だから、
その彼女が書く言葉はとても重みがあり、お客様の心に響くのだなぁと思った。
私は。。。
聞こえないけれども、中途失聴のため言葉は普通に話す。
それはいい面もあるけれど、普通に話すので「聞こえない」ということを
よく忘れられてしまう、というよくない面もあるんですよね。
忘れられてしまうので、何度も「私は聞こえません」というのに疲れてしまって
相手の方がわかりやすく話してくれなくても「もういいや」とあきらめてしまうこともある。
それが一番良くないんですよね、本当は。
そしてまだまだ私は、相手の方に書いてもらことがとても申し訳ないことだと、
私のためにそんな煩わしことをしていただくなんて。。。と思ってる。
だから私は聞こえない自分をちゃんと認めていない。
「こんな自分に。。。」「申し訳ない。。。」って。。。
改めてそう思った。
それはやっぱり「聞こえないから駄目」「聞こえな人にはできない」と言われて、
仕事を何度も失った経験があったりして、人から言われたことに影響されて
知らず知らずに自分の価値を認めなくなっていたんだなと思う。
これでもスピリチュアルなことを学んでから、かなり自己評価をあげてきたつもりだけど、
里恵さんがやってらっしゃることを見ていたら、私はまだまだなんだって思った。
自分の「聞こえない」ことは、自分で生まれる前に選んできたことだし
ハンディじゃなくて「素晴らしい個性」なんだよね。
その「個性」を生かすも殺すも自分次第で、自分の思いひとつ。
だったら、この「個性」を存分に生かすことのできるような生き方をしていきたな。
それにはもっともっと自分のことを、「聞こえない」ということを前面に出していかないと
だめだね、きっと。
隠してちゃだめなんだよね。。。。
聞こえない人はただでさえ、見かけから「障がいを持っている」ってわからないし、
私は話してもわからないから、本当に隠れてしまおうと思えば隠れることができる。
でも隠さずに堂々とそれを生かして生きていかなければ

そのために生まれてきたのだから。
「障がいがあっても、ハンディがあっても、自分のしたいように生きられる、
どんなことでもできる」ということを伝えていくことも私の役目なのだから。
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