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なんとなく平穏

ありふれた日常の独り言をつづります

5日目・その1 -余談だらけ-

2006-01-12 22:04:42 | 中欧旅行記2005
ようやく(日記の中で)2005年7月24日になりました。記憶がどんどん曖昧に。
旅行中はいつも日記を(ノートに)つけるようにしてるのだけど、今回は5日目くらいから疲れて脱落。
だからホントに細かいところはあんまり覚えてない。ははは(空笑)。

5日目は移動。朝7時すぎのEC2等車に乗り、ウイーンからポーランドのクラクフへ。
今回の旅のメインテーマの1つ、アウシュビッツへ行くため。
クラクフは、シンドラーのリストの舞台にもなっている、世界遺産の街。
ウイーンに寄ったのは、クラクフへの直通(乗り換えなし)の特急列車があるため。
チェコとポーランドはお隣の国だけど、プラハからクラクフへは直通の便がなく(飛行機は1日数本飛んでるけど、高い)、時間もとてもかかるのだ。

余談だけど、クラクフの予習(?)のため、旅行直前のバタバタしてる時期に、シンドラーのリストのDVDを借りてきて、夜な夜な深夜に観た。
前にテレビで放送したときにちょっと観たんだけど、ちゃんとストーリー把握してなかったから。
あの映画は白黒だから、街のイメージはなかなか掴めなかったけど、こういうことがあった街なのね、という背景は少し理解できた。
いかんせん長すぎる、とは思ったけど(だって、3時間だよ!)。

またまた余談だけど(一向に話が進まない)、旅行から帰ってきてから職場の日系ブラジル人に話を聞いたところ、彼はユダヤ人の友達がいるそうなんだけど、ユダヤ人には実際はシンドラーはあまり評判よくないらしい(その友達の周囲だけの話かもしれないけど)。
ユダヤ人を食い物にした(結果的に命を救われたユダヤ人がたくさんいたのは事実だけど、彼はユダヤ人を助けようと思ってそうしたわけでなく、戦争で儲けるために賃金の安いユダヤ人をたくさん雇っていただけ、という解釈ね)、と思われているらしい。
あの映画はかなり美化されて描かれてるのかなあ。だとしたら、ちょっと残念。
映画の最後で「(この車を売れば)あと何十人の命を救えたかもしれないのに」と言ってシンドラーが泣く場面で感涙した私の涙はなんだったんだ。
もしくは、こちらのいい方の解釈が一般的なのかもしれないけどね。

で、彼が言うには、「日本人でユダヤ人助けた人いたでしょ」と。その日本人はすごく評判がよくて、感謝されてるんだって。
日本版シンドラーとも言われる杉原千畝氏のことね。
むかーし、「知ってるつもり」で取り上げられたのを見て知ってたけど、この人、日本ではあまり有名じゃなかったよね(多分)。
昨年の10月にドラマ化されたから、知名度あがったかもしれないけど。
自分の命の危険を冒してまでたくさんの命を救って、すごくいい事した人なのに、もっと知名度あってもいいのになあ、と思ってた。

ちなみに、私、このドラマは見逃しました。
てか、積極的に見る気にならなかった。反町隆があまり(役者として)好きじゃないのかも。
実物の反町を見たときは(サイパンでドラマの撮影してて、竹野内豊と反町隆がオープンカーで信号待ちしてて、たまたま通りかかって1メートルくらいの距離で見た)、あまりにもかっこよくてびっくりして、ぼーっとしてホテルに帰ってから洗顔フォームでハミガキしそうになったくらいだったけど。
顔はかっこいいけど、なんか役者としての魅力を感じないんだよな。何でだろ。演技力か?

あー、余談だけですごい長さになってしまった。
全然旅行の話が出てこない。
というわけで、続きはまた次に。

画像は、全く関係なくチェスキークルムロフ城からの風景。文だけだと寂しいから載せときました。

ウイーンの夜

2006-01-06 20:59:40 | 中欧旅行記2005
ホテルはネットで予約してあった格安ホテル。
トイレ、シャワー付きで一部屋67ユーロ。安い。ウイーンにしては破格のお値段。
安いだけあって、フロントはすこぶる怪しい。
薄暗いフロント(というより、銭湯の番頭台くらいの感じ)には誰もおらず、のれん越しの奥のこれまた薄暗い部屋に怪しいおっさんが一人。
呼ぶと出てくる(そりゃそうだ)。
まあ、でも、結果的には特に問題なかった。

部屋に入って相棒I が一言。「・・・ラブホでつか?」
言いえて妙。ぷ。
必要以上にやたら広い部屋に、でっかいダブルベッドが一つ。鏡付き。
まあ、でも、別に問題ない。文句なし。

で、夜はワインケラー(ビアホールのワイン版みたいなやつ)に行こうと思っていたんだけど。
遅めの昼ごはんを食べ過ぎた上にザッハトルテも完食したせいか、私はすごく気分が悪くなってしまい、行けませんでした。
夕飯食べに行けなくなっても文句も言わず、不必要に気遣い過ぎもせず(こういう時、あんまり気を遣われすぎても申し訳なくなるばかりだよね)さらりと見守ってくれた相棒の優しさに感謝。
あーでもオーストリアワイン堪能できなくて残念だったなー。
ごめんねえ。相棒。

これでやっと4日目終了。折り返しました。
あ、ちなみにこれは7月23日の話だよ。
あ、今思い出した。
この日、東京で結構強い地震があったんだよね。

我々はウイーンの地下鉄のホームの液晶スクリーンに、わずかな時間だけ映し出された「東京震度5弱」という日本語のテロップが入った映像を目撃し、ぎょっとしたのだった。
で、ホテルに帰ってからもテレビのCNNニュースとかを見ていたのだけど、地震の話はさらりと一言述べられるくらいで詳しい情報もなかったので、まあこの程度の報道しかしないってことは、それほど大変なことにはなってないってことだよね、と推測して自分を安心させていたのでした。
実際阪神とか新潟みたいなすごい地震じゃなかったから良かった。
日本に帰ったらマンション倒壊してた、とかだったら途方にくれただろうなあ。
実際は、自宅に帰ってもほぼ問題なく、棚の上においてあった人形がいくつか転がってるくらいのものでした。

4日目・その⑦ -ブルグ公園のモーツァルト-

2006-01-05 00:03:00 | 中欧旅行記2005
そしてブルグ公園へ。
広い公園で、芝生でお昼寝してる人がいたり、ベンチで本を読んでる人がいたり、みんな思い思いにのんびり過ごしている。
公園は整備されててキレイでとても過ごしやすい感じ。
いいねえ。

ブルグ公園のモーツァルトと対面。これを見に来た。
モーツァルトの前の花壇にはお花でト音記号が作られてるの。かわいい。

モーツァルトアップ。
右のおじさん(わかるかな?)、モーツァルトと同じポーズで記念撮影してるの。かわいい。
我々がくすくす笑ったら、気づいてにっこりしてくれた。いいねえ、こういうの。なごむねー。

4日目・その⑥ -市内中心部-

2006-01-04 23:49:39 | 中欧旅行記2005
せっかくなのでウイーンの目抜き通りの写真も。
トップの写真は有名なウイーンのシンボル、シュテファン寺院。
屋根が綺麗。

音楽の街だけあって、ストリートパフォーマーも多い。

おもむろにピアノをごろごろ運んできて演奏するお姉さんも。


ヨーロッパの人は、どんな繁華街でも犬を当たり前のように連れている人が多くて、素敵だなと思った。
犬もこころなしかスタイリッシュでかっこいいの。

4日目・その⑤ -フンダートヴァッサー-

2006-01-04 19:54:01 | 中欧旅行記2005
ザッハトルテを堪能した後は、市の中心部を少しお散歩した後、ウイーンのガウディとも言われる芸術家、フンダートヴァッサーの作った建物を見に行く。
(フンダートヴァッサーについてはこちらのサイトがありました。)

フンダートヴァッサーHundertwasserとは、直訳するとhundred waterの意なので、日本では「百水」という雅号でも知られているらしい。
が、私は前回ウイーンに来るまで知らなかった。
前回ウイーンに来たときもここには来て、そのデザインの奇抜さ、ポップさがすっかり気に入ってしまい、ポストカードを買い漁った思い出があったので、今回も来れて嬉しい。

建物は本当におもちゃみたいにカラフルで、しかも道路に起伏がついていたりして(大地を表しているらしい)、温かみがあるの。
ちゃんと人が住んでるってところもいい。
しかも、デザイナーズマンションみたいに高級なのでなく、公営住宅であるというのも素晴らしい。

好きだから写真もいっぱい載せちゃう。
これはクンストハウスウイーンという、ウイーンの市営住宅。
人が住んでいるので中は見られません。


盛り上がった道路。


少し離れたところに、クンストハウスウイーンという、フンダートヴァッサーの美術館もある。
こちらの外観も素敵。



今回はあまり時間もなかったので、美術館の中は見学せず、ミュージアムショップをちょっと覗いて終了。
でも、外側を見るだけでも楽しい気分になれる建物です。

この人が作った住宅で、ウイーンじゃないオーストリアのどこかに、丘陵地帯の中に埋まってるような住宅が散在してるところがあるらしくて、ずっと前にテレビでやってたのを見てから行ってみたいなーと思ってるんだけど、どこにあるんだろうな。
・・・と思ったら、上に紹介したサイトに載ってたよ!!
これ!!!
Hotel & Spaなんだね。
でもウイーンから遠そうだなあ。周りなにもないっぽいし。でも行ってみたい。

4日目・その④ -Sacher(ザッハー)-

2005-11-18 18:05:14 | 中欧旅行記2005
ウイーンといえば、音楽の街であるとともに、お菓子の街でしょう!!
もちろん、ザッハトルテははずせないでしょう!!(鼻息荒めで)

前に来たときは、ザッハー、デーメル、その他の有名カフェに行ってはザッハトルテの食べ比べをした。
で、そのときに私が一番美味しいと思ったのは、老舗でありザッハトルテの語源であり元祖であるザッハーだった。

というわけで、オペラ座見学ツアーの後、オペラ座のすぐ裏手にあるザッハーへ。
そういえば、オペラ座を出たところで、コンサートの勧誘(ウイーンフィルとかは休演中だけど、この時期でも観光客向けの、中世の衣装を着た音楽家たちによるコンサートとかはやってて、街のいたるところに客引きがいる)のおじさんにからまれ、というか逆にからみ、
日本人はみんな空手の心得があるんだぜ、だから我々も当然空手ができるぜ、ハーッ!セイッ!とかうさんくささ抜群の適当な型をデモンストレートしたりして(当然我々は二人とも空手の経験なんてない)、バイバーイと言って去ってきた(なんじゃそりゃ)。
それからおもむろにザッハーの店に赴く。

有名店だけあって、とても混んでいる。観光客もいっぱい。オープンテラスもあって、開放的な店内で、老舗だけど入りにくい雰囲気はまったくない。
ディスプレイに並んでいるお土産用の焼き菓子とかも、パッケージが赤で素敵だった。

きっと高いんだろうね。値段見なかったけど。

オーダーは二人とも定番の「ザッハトルテとメランジェ」。


ザッハトルテは言わずと知れた、ママレードがはさまってるずっしりしたチョコレートケーキ。
最上部は厚いチョコレートでコーティング。
わきに甘くないホイップクリームが添えてある。
あまーいザッハトルテにこのクリームを付けて食べると大変おいしゅうございます。
メランジェは、生クリーム(これも甘くない)がのってるコーヒー。カフェモカみたいな味。これも美味しい。

ここでお茶してるときに、相棒Iの携帯に北欧の友達から電話がかかってきて(ヨーロッパは国を移動しても携帯どこでも通じるから便利だね)、異国語でぺらぺらとおしゃべりしていた。
去年、かの国へ行った時はまだ「練習中」という感じだったのだけど、1年たった今はもう「ぺらぺら」の域ですよ。少なくとも私から見れば。(本人が言うには、まだ勉強中らしいんだけど)
すごいなーーーと素直に感心し、その成長ぶりに感嘆し、その裏にある努力を思って尊敬した。

4日目・その③ -オペラ座-

2005-11-17 21:48:10 | 中欧旅行記2005
昼食の後、オペラ座の内部見学ツアーへ。
日本語ガイドもあり。ラッキー。
上品な感じのおばさんガイドさんだった。日本語上手。

まず、3階の客席に入場。正面のいい席。って、オペラ見れるわけじゃないんだけど。

前に来たときは、ワーグナーのオペラを見たんだけど、立見席だったのでこんないい席に入るのは初めて。
ウイーンでは、オペラとか、ウイーンフィルとか、そういう芸術物はいい席のヒトたちはもちろんばっちりドレスアップして来るし、チケットも1万円とかするんだけど、そういうのが買えない旅行者や学生のために立見席があって、それはホントに500円くらいでチケットが買える。
いいシステムだと思う。そうじゃなきゃバックパッカーとかは見に行けないよね。
第一、着ていく服がないし。
ただし、入り口も階段も客席も正装組とはまったく別で、他のフロアを覗くことはできない。
立ち見の客席は4階だったかな。手すりみたいのによっかかって見る感じ。
我々が当時見たワーグナーは(その日のプログラムがたまたまワーグナーだっただけなんだけど)、演目名は忘れたけど、なんと、上演時間5時間半!!!
なーーーーーーーーーげーーーーーーーーーーーよ。
雰囲気味わえただけで満足して、当然全部見れるわけもなく、途中で床に座って寝た。
不真面目な客。てか、5時間半は無理だよねえ。拷問に近い。

あ、そうそう、今回行った時はオフシーズンなので、上演はお休みだった。
7月-11月はオペラ座もウイーンフィルもオフシーズンで演奏会はないらしい。

で、まずはいい席で色々解説を聞く。オペラ座の一番のスポンサーは日本企業なんだって。トヨタだっけな。忘れたけど。
上の写真は舞台にかかっている緞帳。

それから、オペラ座の中をぐるぐる回る。
ロビーにはバーカウンターなんかもあって、休憩時間にはお酒とか飲めるんだって。
立ち見席の客層には近づくことも許されなかったがそんなものもあったのか。
そして、そのフロアにはオペラで使われた古い衣装とかが飾ってある。

古めかしいけど、結構かわいい。

舞台裏も見せてくれる。
舞台の裏側もすんごい広いのね。さすがに表から見るのと全然違って、雑然としてて倉庫みたいだけど。
特に今はオフシーズンなので、色々修復したり整備したりしてるらしい。


舞台の上から見た客席。

あ、この写真で(ピンボケですみません)数えたら、立見席、6階だね。
てか、遠っ!!さすが500円。

こちらは、オペラ座の中にある小さいお食事部屋だか待合室だか(記憶が曖昧)。

この部屋は一般人でも貸切できるらしいよ。
2時間で18万くらいとかって言ってたっけな。あれ、40万だったかな(全然違うな)。忘れたけど(忘れてばっかり)。
ガイドさんが冗談で「次の誕生日パーティーはこちらでどうですか」と言ってたんだけど、高いし借りる気しないけど、借りられない金額じゃないなと思ったから確かその程度だったと思う。

そんなこんなで色々お勉強になって楽しい見学ツアーだった。
・・・って、ほとんど覚えてないんだから、説得力まったくないけど。

4日目・その②-ウイーンの昼食-

2005-11-14 01:18:37 | 中欧旅行記2005
ウイーンは大都会です。観光客もいっぱい。
私はウイーンは2度目。相棒は初めて。
私は8年前に、女友達とヨーロッパを1ヶ月旅行したときに、クリムトが好きだった友人の希望もあってウイーンに1週間ほどいた。
けど、そのときは3月で雪も降ってたし寒かったので、今回はまた全然違った雰囲気で新鮮。
ウイーンは前回来たときにも気に入った街だったので、また来れて嬉しい。
ウイーンって、見ようと思えばいくらでも見所あっていくらでも時間がつぶせる。
今回は、移動のついでにちょっと立ち寄っただけの短い滞在でちょっともったいないけど。

中欧を脱して、垢抜けた都会に久しぶりに出るので、ちょっと緊張(?)。

ウイーンについて、オペラ座見学ツアーのチケットを購入し、ホテルに荷物を置き、ちょっと街中を散歩。
市内の中心部はなんだか工事中(修復中)のところが多く、
有名なペスト記念柱も修復中だった。ちょっとがっかり。
それから遅めの昼食。
ガイドブックに載っていたところから適当に選んで、Mullerbeislという音楽アカデミー近くの小さなお店へ。
周りにお店があまりないところにポツンとあって場所はわかりにくいけど、料理はおいしかった。

私が頼んだのはこれ。

えーと、なんだっけな。多分、グラーシュっていう、オーストリアの伝統料理だと思う。牛肉の煮込みというか、シチューみたいなやつ。
おいしいのー。

で、相棒が頼んだのはこれ。

多分、ツヴィーベルローストブラーテンという、牛肉のローストに炒めたまねぎソースをかけたもの。これも美味しかった。

で、今回はビールの代わりに、なんとかっていう、ビールをレモンスカッシュで割ったようなものを飲んだんだけど、これがすっごい美味しかったの!!
すっきり甘くてさわやかで。
なんていう名前の飲み物だったか忘れちゃったなー。残念。

4日目・その① -ウイーンへ移動-

2005-11-05 21:41:06 | 中欧旅行記2005
4日目(7/23)。
今日も移動。というか、これからほぼ毎日移動。
スケジュールがーギリギリだっ(怪傑ギリジン風に←わかる人だけわかって下さい)。

朝7:32発の電車に乗り、ウイーンへ向かう。
朝早く出たのでホテルで朝食がとれず、車内でパンを食べる。


ウイーンまで直通の電車だったはずなのだが、乗車して30分もたたないうちに回ってきた改札の職員に、「ウイーンに行くのか?だったら次の次の駅でバスに乗り換えろ」と通告される。
は?????
と思い、理由を聞こうと思ったが、彼は英語があまり喋れないらしく、我々はチェコ語もドイツ語も全くわからないので、意思の疎通が図れない。
まあ、いずれにしても指示に従うしかない。

すると、次の駅に着いたときに、また彼がやってきて、
「やっぱり次の駅で、電車に乗り換えろ」と。
ん?????
まあ、仕方ない。
で、次の駅で止まっていた別の電車に乗り換える。
同様に乗り換えさせられているバックパッカー多数。とりあえず間違ってはいないらしい。

で、乗り換えてしばらくすると、また改札の人が来て(別の人)、「今度はバスに乗り換えろ」と。
聞くと、「railがbrokenだ」とのこと。おいおい。
そういえば、旅行前にどこかのHPで、チェコの道路や鉄道は工事や通行止めが多いので注意が必要、と書いてあった。
だったら切符買うときに教えてよねー。

壊れている路線を迂回するらしく、代替の満員バスに乗り換えてすごい田園風景の中を進む。
1時間以上乗ったかな。車内は爆睡。
そしてまたどこかの駅に着く。
「ここからまた電車に乗れ」ということらしくみな降りる。
どこだかわからない(すでにここがチェコなのかオーストリアなのかもわからない)駅からとりあえず電車に乗る。
新型のキレイな電車だった。

この電車でようやくウイーンに到着。13:30。だいぶ時間かかった。やれやれ。でも着いてよかった。