goo blog サービス終了のお知らせ 

なんとなく平穏

ありふれた日常の独り言をつづります

追伸 -ビール証拠写真-

2007-01-05 00:07:25 | 中欧旅行記2005
あけましておめでとうございます。

年末、帰国していた相棒とその旦那と、日本で約1年ぶりに再会。
焼き鳥食べてお酒飲んでおしゃべりして楽しんだ。
忙しい中、都合つけてくれてありがとう、相棒!

そして、日記を読んだ相棒が、北欧に帰ってすぐに写真を送ってくれました。
仕事が早いぜ、相棒。さすがだぜ。
で、それが上の写真。
チェコの巨大ビール、4リットル入り。
なつかしいー。

てな感じで、今年もよろしくお願いします。

7日目・旅の終わり その2 -これでほんとに最後だよ-

2006-12-29 23:50:37 | 中欧旅行記2005
いやはや、やっと、ようやく、とうとう、ついに、旅の終わりです。
長かった・・・書き終わるまでにかかった時間が。
旅自体はあっという間だったというのにね。

公園を出てから、ぶらぶらとアクセサリー屋さんとかを覗きつつ、夕方またビール。
いつもビール。チェコはビールの国だから。
しかし飲んでばっかだな、我々。
店内の醸造タンクで毎日300L(!)のオリジナルビールを造っているというPivovarsky Dumというビアホールへ。

あ、そうそう、ここに行くトラムに乗ってるときに、窓からこれに乗ってるヒトが見えて笑った。
ブッシュが乗ってて話題になったセグウェイ。
てか、プラハでは何回か見かけたけど、流行ってたのかしら。
日本ではみたことないけど?ま、どうでもいいんだけど。

ここのビアホールでは、自家製で色んなフレーバーのビールを造ってた。
コーヒービールとか、チェリービールとか、バナナビールとか。
色々あった。結構美味しい。

で、隣のテーブルのおじちゃんたちが、1.5mくらいありそうな長靴みたいな形の長ーいガラスの筒に入ったビールを頼んでたの。
これ、すごかったー。見て、わはははって笑っちゃう感じ。
相棒が写真撮らせてもらってたんだけど、残念ながら私の手元にはない。。。
相棒、今度写真送って下さい。

食べた料理は上の写真。美味しかったよ。
チェコ料理ってだいたい全体的にこんな感じ。
いもor小麦粉(クネドリーキ)+肉。って感じ。
そう思うと、和食ってすごいヘルシーだよなあ。改めて。

で、ホテルに帰って寝て、翌朝とうとう帰国の途につく。
旅の終わりは寂しかったなあ。。。
最後の写真は、トラム乗り場でトラムを待つ相棒。


相棒、楽しい旅をありがとう。今更だけど(もう1年半も経ってるっちゅうねん)。
またどこかに行こうね。
そして、1年以上もかかってだらだら続けたこのしつこい日記にお付き合い下さった皆様、どうもありがとうございました。
これでようやく日本に帰れます。

しっかし次から何書こう?

7日目・旅の終わり その1 -プラハ再び-

2006-12-28 23:24:02 | 中欧旅行記2005
やばい、また年を越してしまう。焦って書きます。

7日目、ついにあと1日。てか、最終日は帰るだけだから、実質的に最終日。
ついに旅の終わりに近づいてきた。

狭く居心地の悪い寝台列車のおかげで節々が痛み、寝不足で疲れた体を引きずってとりあえず宿へ。
荷物を置いてシャワーをあびて、人心地着く。
それから・・・何したんだっけな。。。
はっきり言って、細かいところ忘れたけど、まあいいや。
なんかどっかを散歩したりしてから(てきとー)、とりあえず昼にビールを飲みに行く。
1499年創業でプラハで一番古いビアホール、U Flekuという店。
黒ビールが有名らしい。香ばしくて美味しかった。

これは店のコースター。お店の入り口に、この時計があった。

いい感じにほろ酔いになったところで、お散歩再開。
ペトシーン公園という、丘の上にある公園へ向かう。
公園のある丘の頂上へは、ケーブルカーで登る。これが結構な行列になっていてびっくりした。
景色がいいので、観光地でもあるし、市民の憩いの場でもあるらしい。

ケーブルカーで公園に着くと、花壇にお花がいっぱい咲いててキレイだった。


ケーブルカーの駅を降りて目の前には、客引きの馬車とか乗馬とかの小さなコースがあったがそんなものには目もくれず、展望台へ向かう。
エッフェル塔を模して建てられたものらしいよ。

本家とは規模が恐ろしく違うが。

そしてこの頂上が展望台。高さ60m。
しかし、エレベーターとか当然ないので、このなんとも頼りがいのない感じのスカスカの鉄の塔を、螺旋階段で頂上まで登る。
これが、結構疲れる。しかも、揺れる。風通しも良すぎる(てか、スカスカだから)。コワイ。
登っている途中の相方のこのやる気のない感じを見てもらえば、いかに疲れたかお分かりいただけるかと。


で、ようやくてっぺんに着くと、そこは恐ろしく見晴らしが良かった。
360度見渡せる。丘の上の、さらに塔の上だから、プラハの街全体を見渡すことができて、本当に気持ちがいい。
プラハの中でここが多分一番景色がいいね。
トップの写真もここから見た景色。
疲れたけど、登った甲斐があったってもんだ。

街並みがとてもきれいだったから写真もいっぱい載せちゃう。

ヴァルタヴァ川とカレル橋が見えます。


左側に写ってるのがプラハ城。外から見るとこんな感じ。

なんか、写真見てたらまた行きたくなってきたなあ。
ここはもしプラハにもう1度行く機会があったら是非また行きたいです。

6日目・その4 -クラクフの夜・2日目-

2006-11-20 23:20:19 | 中欧旅行記2005
今更感満載なのですが・・・。
お、お久しぶりでございます。

「おのれはいつになったらアウシュビッツから帰ってくるんじゃ!」と多方面からつっこみを受け。
あははーとごまかしていたものの、やはり途中でやめたままにしとくのも気持ち悪いので。
久々に更新します。

これ書くの、ほんっとうに久しぶり。
てか、前回の日記、真夏だよ。今、もう冬だよ。
でもここは今、2005年7月25日だよ。
タイムスリップ気分が味わえるね。

てかね、正直、さすがにもう細かいとこ忘れたね。って開き直っても仕方ないが。
とりあえず写真でものせとこう。

アウシュビッツからバスと電車を乗り継いでクラクフに帰ってきて、少し街中を散歩。
前日はなんかイベントで広場が埋め尽くされてて建物がよく見えなかったけど、
普段はこんな感じみたい。(上の写真ね)
これが織物会館。この街で一番大きな建物っぽい。

中は、お土産やさんがずらりと並んでる。

こんな感じ。
アクセサリーやさんとか、手作りの民芸品とか。

夜は、前日満席で入れなかったため予約しておいたレストランへ。
Chlopskie Jadlo (フォプスキ・ヤドウォ)という店。
この日もとても混んでた。人気店らしい。
なんかパンにつける用に置いてあるペーストみたいなガーリックバターみたいなのが美味しかった。でも油っこくてもたれた。
食べ物も美味しかった。ような気がする。いやいや、確か美味しかった。
正直、あんまり覚えてないの。。。すみません。

よし、写真に頼ろう。

・・・ピンボケだし!!!でも結構美味しそう。いや、美味しかったんだ。うん。

満腹になった後、この日は寝台列車でプラハに帰ります。
これでクラクフとバイバイ。
クラクフの駅で、寝台車を待つ待合室に日本人バックパッカー男性が一人。
フレンドリーな相棒Iが話しかけてみると、なんと彼は我々の地元と隣の駅に住んでるということが発覚。びっくり。
世界は狭い。地球の反対側で、ローカルトークができるとは。

で、この寝台車、死ぬほど狭い。
いやー、これは参った。悲しくなるほどの狭さだった。
身動きとれないのよ。ちょっとしたコンパートメントに、両側に3段ベッド。
3段だよ!だから1段ずつはめっちゃ狭いわけ。狭いっていうか、低いっていうか。
我々はちびっ子だからまだいいとして、あれは大柄な男性とかは本当に嵌頓するね。
で、夜中に国境越えるから、丑三つ時あたりにドアをガンガン叩かれて、改札が来る。パスポートチェックです。

てな感じで、ほとんど眠れなかったんだけど、プラハに着くちょっと前には眠りに落ちました。
起きたら体中痛かった。

6日目・その3 -続ビルケナウ-

2006-08-07 22:20:04 | 中欧旅行記2005
うわあああ。マジで1年経っちゃったよ。
まさか、ホントにここまでひっぱることになるとは。我ながら呆れる。

・・・お久しぶりです。暑さ厳しい最中、皆様お元気でお過ごしでしょうか。
この日記、もうやめたんだろうと思った方々も数多くいらしたかと。
しかし、誰も読んでなくても続けるんだもんねー。細々と。

さて、ビルケナウの続き。もう記憶も風化して風前の灯だけど。誤魔化すために写真多めで。


これ、収容所の中。ライフ・イズ・ビューティフルとか、映画の中に出てくるのそのまんま。てか、逆か。映画が事実に忠実なのか。
すっごい狭い。2等寝台車より狭い。ここに、ギュウギュウに押し込まれて寝てたんだよね、みんな。ものすごく劣悪な環境。
清潔さのかけらもないし、窓もほとんどないから風通しも悪いし昼でも真っ暗だし、夏は死ぬほど暑くて冬は死ぬほど寒かっただろうなあ。
伝染病とか流行ったらひとたまりもなかっただろうなあ。
なんか、この建物の中に入ると、みんな自然としーんと黙っちゃう感じだった。
すごい圧迫感のある空気が身に迫ってくるんだよね。
きっと今でもたくさんの罪なき人たちの行き所のない思いが留まっているのだろうと思った。


崩壊したガス室。今では瓦礫の山だけど、ここでどれだけの人が命を落としたことか。


ビルケナウの一番はじっこにある、慰霊碑の石版。ここは、終戦の日とかのニュースでよく映像が流れるよ。
てか、私も今まで意識してなかったけど、これを見て帰国してからニュースの映像を見て、あ、あそこだ、と思った。
これは英語の石碑だけど、同じ内容が書かれたヨーロッパ各国語の石碑が並んでるの。
日本語はさすがになかったけど。


でねえ。最も痛切に心に迫ってきたもののうちの一つが、ユダヤの人たちが収容所を巡ってる姿だった。
若い学生が多いみたいだったけど、みんなユダヤの旗を持ったり、身にまとったりして、団体で歩いていた。
ところどころで、円になってゆっくり誰か(多分ガイドの人や引率の先生)の話を聞いて、みんな涙を流していたり。
広島の原爆記念館で原爆の話を聞く日本の高校生に通じるものがあるかもしれない。
ユダヤの人たちがここに来るときは、我々のように一般的な「戦争の恐ろしさ」というものを痛感するというような客観的な思いではなく、もっと個人的な思いで、つまり、自分の「仲間」がたくさん亡くなった土地を慰霊のために訪れる、墓参りのような気持ちで来るらしい。
そういうのが、彼らの姿からひしひしと感じ取れた。


そして我々もこの線路の上を歩きました。
この写真だけ見ても、どんだけ広いかわかるでしょ。

そんな感じでビルケナウ見学も終了。
朝からアウシュビッツに行って、ビルケナウまで見終わったらもう3時くらいだった。
お昼ごはんを食べる暇もなく歩き続け、さすがに疲れたので、ビルケナウ入り口のところにある食堂でご飯を食べて、バスに乗って駅へ戻り、電車でクラクフに帰りました。

疲れたけど、ここは本当に行って良かったと思う。多分一生忘れない。

6日目・その2 -ビルケナウ-

2006-05-07 23:27:13 | 中欧旅行記2005
お久しぶりです。またもやだいぶさぼっていました。
「もう(日記)やめたの?」
「早く続きを書け。マジで1年経つんちゃうんけ」
と多方面からのご指摘を受けましたので、そろそろ書かないとね、とさすがに思いました。
やめたわけじゃないので、もう少しお付き合い下さい。
もう少しでマジで1年経ちます、ハイ。すんません。

なんか生活のペースが変わって、そんなに忙しいってわけでもないんだけどなんだか疲れちゃってねえ。って誰に言い訳してるのか。
ここで愚痴ってもしょうがない。

さて、アウシュビッツを見学した後は、お昼休憩もなにもなく、そのままバスでアウシュビッツ収容所から2km離れたビルケナウというところに行く。
第二のアウシュビッツと呼ばれるところで、アウシュビッツよりもさらに広い。
知らなかったんだけど、アウシュビッツとビルケナウと2つで1つみたいな感じなんだね。
で、このビルケナウこそがドラマ白い巨塔に出てきた舞台だった。
トップの写真。
ほら、財前先生が、案内のお姉さんに連れてこられた、あそこだよ。
線路が2本あって、「どっちの道を選んでも地獄だ」ってやつ。
実物を見て、おおーここだったのかーと感慨ひとしお。
しかし、さすがに不謹慎だと思ったので「白い巨塔ごっこ」はできなかった。

余談だけど、風の噂ではあそこを撮影のために借りるのって、ものすごく大変だったらしいよ。
実際、アウシュビッツを借り切って撮影したのって、あのドラマだけらしい。
世界的な観光地だし、歴史的意義も深いし、負の遺産だし、そういうところに色々なしがらみと人々の思いがあって、今までドラマや映画の撮影なんて許可されなかったらしい。
で、白い巨塔があそこで撮影したことに対しても、「日本のテレビが金に物を言わせて!」とか「歴史に敬意を払ってない」とかって批判も多くあるみたい。
まあ、実際のところどうだったかもわからないし、その批判も一理あると思うけど、でも私はあそこをドラマに登場させたのは悪いことばかりだとは思わない。
実際、場面としては「命の重さについて考えてください」っていう非常に重みのあるシーンだったし、
それに、あれを見て私みたいに実際に行ってみたいな、と思った人だってたくさんいたと思うから。
そして実際に行ってみたら、絶対何かを感じると思うから。
行ってみたら、命について、戦争について、考えないわけにいかないような場所だし、行って良かったと思うから。

さて、話を戻します。
ビルケナウ行きのシャトルバスの乗り場で、偶然にもはぐれたガイドのおばさんをキャッチ。
なので、ビルケナウではちゃんとガイド付きで見られた。良かった。
でも、思ったのは、やっぱり日本語ガイドさんがいてくれたらもっと良かったのになーってこと。
英語もガイドさんの発音はクリアーだし、だいたいわかるんだけど、でも聞いてるだけで疲れちゃうし、聞き取れないところとかキャッチアップしきれないところとかもあって、やっぱりちょっと消化不良なんだよね。
英語が堪能な人はいいかもしれないけど。
日本語で聞いてたら、もっと理解も深まって、もっと色々感じられたんじゃないかなーとつくづく思った。質問もできるしね。

ではビルケナウの写真をいくつか。

財前先生も登った展望台。てか、もともとは管理棟。ビルケナウの入り口にある。
ここの真ん中の展望台から線路を見下ろすと、トップの写真になります。



建物(収容所)はほとんどが壊されちゃってて残ってない。でも、跡だけ見てもどんだけたくさんの建物が建ってたのかがよくわかる。
すんごい数の人が連れてこられて押し込められていたのね。



残っている建物の一部。中の写真はまた今度。とても粗末なもので、映画とかに出てくる通りだった。
敷地の周囲は鉄線の柵が張り巡らされていて、高圧電流が流れていたらしい。
看守の人たちは、ユダヤ人に「お前たちがここから出て行く方法は一つしかない。それはあの(焼却炉の)煙になることだ。それが嫌なら、今すぐその柵に飛び込め」と言ってたらしい。
酷い。。。なんて理不尽な。どっちもやだよ、そりゃ。

6日目・その1 -アウシュビッツ-

2006-03-29 21:17:22 | 中欧旅行記2005
いよいよ旅のメインイベント、アウシュビッツへ。
クラクフ中央駅からローカル電車に乗って2時間弱。
この電車、すんごいぼろい。マジで。写真じゃ伝わらないけど。


そしてものすごーーーく揺れる。座っててもお尻が椅子からずれちゃうくらい。すごいの、ほんとに。
改札に回ってきた職員さんは女性だったんだけど、彼女はハイヒールで普通に立ち止まったりふらつきもせずに歩いたりしていた。信じがたい。
きっとこの鉄道会社の入社試験には、地震体感セットみたいなとこで震度5ぐらいでじっと立っていられるかどうかのテストとかがあるに違いない、という結論に達する。

オシフィエンチムの駅からバスに乗って、アウシュビッツ収容所へ。
バス停からも結構歩く。
でね、先に言っとくと、アウシュビッツ、メチャメチャ広いっす。
見て回るのに3時間以上はかかる。
往復にも時間かかるから、1日丸まる使わないと見られない。ま、最初からそのつもりだったんだけどね。
そして、やはり世界中からの観光客がたくさんいる。

アウシュビッツには日本語のガイドさんが1人だけいるらしいんだけど、旅行前にメールで問い合わせたところ、ちょうど我々が行く日程は彼は別の通訳の仕事でワルシャワに行ってていないということなので、残念だったが英語のガイドツアーに参加する。

ちなみにその日本のガイドさん、ガイドでもらった給料はアウシュビッツに寄付してるらしいよ。だから実質的にボランティアだよね。すごいよね。

ここからは写真中心で。


有名な入り口の門はこちら。

書いてある文字の意味は「働けば自由になる」。
みんなだまされて連れてこられたんだよね。
どんなに働いても自由になんてなれっこなかったのに。

建物は一つ一つとてもでかい。そしてその大きさの割りに窓が小さくて薄暗い。

この収容所を作るのも、連れてこられたユダヤ人たち自身の仕事だったんだって。
作れば作るほど、たくさんの同士たちが送り込まれてくるなんて、やるせなかっただろうね。

そして我々はこの先で迷子になります。
少人数ずつしか入れない建物があって、そこから出たらガイドのおばさんとはぐれた。
でもあれはガイドが悪いよ。だって、はぐれたの、我々だけじゃなかったもん。
で、あやうくガス室を見逃しそうになる。
あぶねえあぶねえ。
相棒と2人で自力でガス室を発見し、別のガイドツアーのガイドさんの話を盗み聞き。
ガス室、なんとも言えない雰囲気で。言葉にしがたい。さすがに写真も撮れなかった。(撮る気にならなかった、というべきか)
この場所で、百万人以上の人々が殺されたのかと思うと、いたたまれない気持ちになった。

アウシュビッツの話はまだ続きます。

5日目・その3 -ポーランド料理-

2006-03-26 19:18:40 | 中欧旅行記2005
さて、ぼちぼち旅行記の続きを。このままじゃ書き終える前に1年たっちまう。

夕食を取ろうとガイドブックに載っていた店に行ってみた。
地球の歩き方には「いつも客でいっぱいなので、予約した方がいい」と書いてあったのだけど、まあ行きゃあなんとかなるだろうと行ってみた店は、本当にいっぱいで入れなかった。びっくり。
仕方なく、翌日の夜に予約を入れて、別の店へ。

そして我々はGospoda C.K. Dezerterという店に行った。
ポーランド料理の店。家庭的な雰囲気でなかなか素敵だった。
私はジューレックという白いスープ(発酵したライ麦を使ったスープ)を。(トップの写真ね)
少し酸味があって、さっぱりしてて美味しかった。

相棒はバルシチという真っ赤なスープを。
すごい色。写真じゃわからないかもしれないけど。
赤ビートから作るポーランドの定番料理らしい。
見た目よりさっぱりしてて、結構美味しかった。

ピンボケですいません。

他、何食べたんだっけなー。なぜか写真が残ってなくて忘れた。
でも美味しかったことは確か。
満腹満足でホテルに帰る。

翌日はいよいよアウシュビッツです。

5日目・その2 -ヴェリチカ-

2006-03-07 20:29:30 | 中欧旅行記2005
久々に旅行記の続きを。

5日目、クラクフの街を探検してもよかったんだけど、地球の歩き方を見たら、近くにもう1つ世界遺産があるとのことだったので、そこに行ってみることにした。
我々は世界遺産と聞くと放っておけないのだ。

Wieliczka(ヴェリチカ)という、世界有数の規模の岩塩採掘場。
地下64~325mにわたって複雑に入り組んだ採掘場の一部が観光客に公開されているところ。
てかね、ここに行くまでがすごく大変だったのよ。
つーかね、クラクフね、バス停わかりにくすぎ!!
駅前からバスで行くんだけど、色んな人に聞いたりしても全然バス停見つからなくって、うろうろうろうろ、さ迷い歩いた。
結局、わけのわからない薬局の角にバス停(というか、はっきりしたバス停のポールすらなかった)を発見。ようやく乗り込む。
ミニバスで、30分くらいで着く。
入り口入ると、ひとつながーい列。
ひとつ、短い列。
違いがわからない。何も表示がない。なんて不親切っ!!!
よくわかんないままとりあえず列に並んでたら、たぶん我々挙動不審だったんだろうね、待合室にいたガイドのおばさんが親切に声をかけてきてくれて、「こっちの(長い方)列は、ポーランド語のガイドツアーだよ」と教えてくれた。
おお、危ねえ危ねえ、と英語のガイドツアーに並び直す。

中は、ガイドに連れられて回る。
とりあえず、ひたすら螺旋階段を降りる。降りる。降りる。どこまでも降りる。
どんどん寒くなる。地下深いから、中は寒いのです。
下まで降りると、岩塩採掘場というだけあって、壁も床も全部岩塩。
そんな薄暗い通路を進む。


中はとても広い。てか、長い。観光コースの全長2.5kmだって。
所々で説明を聞く。
途中、広いところにはなぜか無意味に楽団がいて演奏してたりする。
観光ナイズされてるなー。


トップの写真の大広間は、シャンデリアも塩で出来てる。
壁には最後の晩餐・塩バージョンも。


なんかこんな感じでぐるぐる回って終了。
最後、地上に戻るエレベーターが激混みだった。
多分、乗るまでに1時間近く待った。20秒くらいで地上に到達。

感想としては、「へー」「ふーん」って感じ。
えとね、要するにね、そんなに面白くもない。
わざわざ行く必要はないかも。時間が余ってるならいいけどね。
いずれにせよ、世界遺産またひとつ制覇。

5日目・その2 -クラクフへ-

2006-01-22 21:00:51 | 中欧旅行記2005
この前は余談だけで終わってしまったので、こんどこそ本編。
2005年7月24日。
朝7時過ぎのECに乗って、ポーランドのクラクフへ。
着いたのが13時すぎなので、6時間ちょっとの長旅。
途中国境を2回通るので、その度に改札がくる。
途中、なんか休憩もあった。そとに出て空気を吸う(写真)。

クラクフ駅はまあまあの大きさだけど、駅前のターミナルは雑然としていて、工事中だったり、標識もあまりなかったり、とてもわかりにくい。
とりあえずtourist informationへ行って、チケット類を購入したりしてから、ホテルへ。
クラクフでのホテルはHotel Studencki Zaczekという、大学の学生寮を夏休みの間開放しているところ。
シャワー・トイレ付きのダブルルームで1泊5000円くらいだったかな。
部屋はキレイで広かったし、天井がやたら高い。そして、シャワールームが無駄に広い。むしろベッドルームよりも広い。設計間違ってるとしか思えない。

荷物を置いて、トラムに乗って街へ。
街の中心の広場では、マクドナルドのイベントをやっていて人がいっぱいいた。

写真の左奥の建物が聖マリア教会。右が織物会館という14世紀に作られた建物で、今は中はお土産屋さんが並んでいる。
M字の風船と垂れ幕が邪魔でよくわかりませんが。



織物会館を別の角度から。
やっぱり人がいっぱいいてよくわからない。ミニバスケの大会みたいなのもやってた。

この後、我々は塩を見に行きます。
それはまた今度。