なんとなく平穏

ありふれた日常の独り言をつづります

4日目・その④ -Sacher(ザッハー)-

2005-11-18 18:05:14 | 中欧旅行記2005
ウイーンといえば、音楽の街であるとともに、お菓子の街でしょう!!
もちろん、ザッハトルテははずせないでしょう!!(鼻息荒めで)

前に来たときは、ザッハー、デーメル、その他の有名カフェに行ってはザッハトルテの食べ比べをした。
で、そのときに私が一番美味しいと思ったのは、老舗でありザッハトルテの語源であり元祖であるザッハーだった。

というわけで、オペラ座見学ツアーの後、オペラ座のすぐ裏手にあるザッハーへ。
そういえば、オペラ座を出たところで、コンサートの勧誘(ウイーンフィルとかは休演中だけど、この時期でも観光客向けの、中世の衣装を着た音楽家たちによるコンサートとかはやってて、街のいたるところに客引きがいる)のおじさんにからまれ、というか逆にからみ、
日本人はみんな空手の心得があるんだぜ、だから我々も当然空手ができるぜ、ハーッ!セイッ!とかうさんくささ抜群の適当な型をデモンストレートしたりして(当然我々は二人とも空手の経験なんてない)、バイバーイと言って去ってきた(なんじゃそりゃ)。
それからおもむろにザッハーの店に赴く。

有名店だけあって、とても混んでいる。観光客もいっぱい。オープンテラスもあって、開放的な店内で、老舗だけど入りにくい雰囲気はまったくない。
ディスプレイに並んでいるお土産用の焼き菓子とかも、パッケージが赤で素敵だった。

きっと高いんだろうね。値段見なかったけど。

オーダーは二人とも定番の「ザッハトルテとメランジェ」。


ザッハトルテは言わずと知れた、ママレードがはさまってるずっしりしたチョコレートケーキ。
最上部は厚いチョコレートでコーティング。
わきに甘くないホイップクリームが添えてある。
あまーいザッハトルテにこのクリームを付けて食べると大変おいしゅうございます。
メランジェは、生クリーム(これも甘くない)がのってるコーヒー。カフェモカみたいな味。これも美味しい。

ここでお茶してるときに、相棒Iの携帯に北欧の友達から電話がかかってきて(ヨーロッパは国を移動しても携帯どこでも通じるから便利だね)、異国語でぺらぺらとおしゃべりしていた。
去年、かの国へ行った時はまだ「練習中」という感じだったのだけど、1年たった今はもう「ぺらぺら」の域ですよ。少なくとも私から見れば。(本人が言うには、まだ勉強中らしいんだけど)
すごいなーーーと素直に感心し、その成長ぶりに感嘆し、その裏にある努力を思って尊敬した。

4日目・その③ -オペラ座-

2005-11-17 21:48:10 | 中欧旅行記2005
昼食の後、オペラ座の内部見学ツアーへ。
日本語ガイドもあり。ラッキー。
上品な感じのおばさんガイドさんだった。日本語上手。

まず、3階の客席に入場。正面のいい席。って、オペラ見れるわけじゃないんだけど。

前に来たときは、ワーグナーのオペラを見たんだけど、立見席だったのでこんないい席に入るのは初めて。
ウイーンでは、オペラとか、ウイーンフィルとか、そういう芸術物はいい席のヒトたちはもちろんばっちりドレスアップして来るし、チケットも1万円とかするんだけど、そういうのが買えない旅行者や学生のために立見席があって、それはホントに500円くらいでチケットが買える。
いいシステムだと思う。そうじゃなきゃバックパッカーとかは見に行けないよね。
第一、着ていく服がないし。
ただし、入り口も階段も客席も正装組とはまったく別で、他のフロアを覗くことはできない。
立ち見の客席は4階だったかな。手すりみたいのによっかかって見る感じ。
我々が当時見たワーグナーは(その日のプログラムがたまたまワーグナーだっただけなんだけど)、演目名は忘れたけど、なんと、上演時間5時間半!!!
なーーーーーーーーーげーーーーーーーーーーーよ。
雰囲気味わえただけで満足して、当然全部見れるわけもなく、途中で床に座って寝た。
不真面目な客。てか、5時間半は無理だよねえ。拷問に近い。

あ、そうそう、今回行った時はオフシーズンなので、上演はお休みだった。
7月-11月はオペラ座もウイーンフィルもオフシーズンで演奏会はないらしい。

で、まずはいい席で色々解説を聞く。オペラ座の一番のスポンサーは日本企業なんだって。トヨタだっけな。忘れたけど。
上の写真は舞台にかかっている緞帳。

それから、オペラ座の中をぐるぐる回る。
ロビーにはバーカウンターなんかもあって、休憩時間にはお酒とか飲めるんだって。
立ち見席の客層には近づくことも許されなかったがそんなものもあったのか。
そして、そのフロアにはオペラで使われた古い衣装とかが飾ってある。

古めかしいけど、結構かわいい。

舞台裏も見せてくれる。
舞台の裏側もすんごい広いのね。さすがに表から見るのと全然違って、雑然としてて倉庫みたいだけど。
特に今はオフシーズンなので、色々修復したり整備したりしてるらしい。


舞台の上から見た客席。

あ、この写真で(ピンボケですみません)数えたら、立見席、6階だね。
てか、遠っ!!さすが500円。

こちらは、オペラ座の中にある小さいお食事部屋だか待合室だか(記憶が曖昧)。

この部屋は一般人でも貸切できるらしいよ。
2時間で18万くらいとかって言ってたっけな。あれ、40万だったかな(全然違うな)。忘れたけど(忘れてばっかり)。
ガイドさんが冗談で「次の誕生日パーティーはこちらでどうですか」と言ってたんだけど、高いし借りる気しないけど、借りられない金額じゃないなと思ったから確かその程度だったと思う。

そんなこんなで色々お勉強になって楽しい見学ツアーだった。
・・・って、ほとんど覚えてないんだから、説得力まったくないけど。

4日目・その②-ウイーンの昼食-

2005-11-14 01:18:37 | 中欧旅行記2005
ウイーンは大都会です。観光客もいっぱい。
私はウイーンは2度目。相棒は初めて。
私は8年前に、女友達とヨーロッパを1ヶ月旅行したときに、クリムトが好きだった友人の希望もあってウイーンに1週間ほどいた。
けど、そのときは3月で雪も降ってたし寒かったので、今回はまた全然違った雰囲気で新鮮。
ウイーンは前回来たときにも気に入った街だったので、また来れて嬉しい。
ウイーンって、見ようと思えばいくらでも見所あっていくらでも時間がつぶせる。
今回は、移動のついでにちょっと立ち寄っただけの短い滞在でちょっともったいないけど。

中欧を脱して、垢抜けた都会に久しぶりに出るので、ちょっと緊張(?)。

ウイーンについて、オペラ座見学ツアーのチケットを購入し、ホテルに荷物を置き、ちょっと街中を散歩。
市内の中心部はなんだか工事中(修復中)のところが多く、
有名なペスト記念柱も修復中だった。ちょっとがっかり。
それから遅めの昼食。
ガイドブックに載っていたところから適当に選んで、Mullerbeislという音楽アカデミー近くの小さなお店へ。
周りにお店があまりないところにポツンとあって場所はわかりにくいけど、料理はおいしかった。

私が頼んだのはこれ。

えーと、なんだっけな。多分、グラーシュっていう、オーストリアの伝統料理だと思う。牛肉の煮込みというか、シチューみたいなやつ。
おいしいのー。

で、相棒が頼んだのはこれ。

多分、ツヴィーベルローストブラーテンという、牛肉のローストに炒めたまねぎソースをかけたもの。これも美味しかった。

で、今回はビールの代わりに、なんとかっていう、ビールをレモンスカッシュで割ったようなものを飲んだんだけど、これがすっごい美味しかったの!!
すっきり甘くてさわやかで。
なんていう名前の飲み物だったか忘れちゃったなー。残念。

4日目・その① -ウイーンへ移動-

2005-11-05 21:41:06 | 中欧旅行記2005
4日目(7/23)。
今日も移動。というか、これからほぼ毎日移動。
スケジュールがーギリギリだっ(怪傑ギリジン風に←わかる人だけわかって下さい)。

朝7:32発の電車に乗り、ウイーンへ向かう。
朝早く出たのでホテルで朝食がとれず、車内でパンを食べる。


ウイーンまで直通の電車だったはずなのだが、乗車して30分もたたないうちに回ってきた改札の職員に、「ウイーンに行くのか?だったら次の次の駅でバスに乗り換えろ」と通告される。
は?????
と思い、理由を聞こうと思ったが、彼は英語があまり喋れないらしく、我々はチェコ語もドイツ語も全くわからないので、意思の疎通が図れない。
まあ、いずれにしても指示に従うしかない。

すると、次の駅に着いたときに、また彼がやってきて、
「やっぱり次の駅で、電車に乗り換えろ」と。
ん?????
まあ、仕方ない。
で、次の駅で止まっていた別の電車に乗り換える。
同様に乗り換えさせられているバックパッカー多数。とりあえず間違ってはいないらしい。

で、乗り換えてしばらくすると、また改札の人が来て(別の人)、「今度はバスに乗り換えろ」と。
聞くと、「railがbrokenだ」とのこと。おいおい。
そういえば、旅行前にどこかのHPで、チェコの道路や鉄道は工事や通行止めが多いので注意が必要、と書いてあった。
だったら切符買うときに教えてよねー。

壊れている路線を迂回するらしく、代替の満員バスに乗り換えてすごい田園風景の中を進む。
1時間以上乗ったかな。車内は爆睡。
そしてまたどこかの駅に着く。
「ここからまた電車に乗れ」ということらしくみな降りる。
どこだかわからない(すでにここがチェコなのかオーストリアなのかもわからない)駅からとりあえず電車に乗る。
新型のキレイな電車だった。

この電車でようやくウイーンに到着。13:30。だいぶ時間かかった。やれやれ。でも着いてよかった。

チェコ・3日目 その②-チェスケー・ブディェヨヴィツェ-

2005-11-03 21:31:27 | 中欧旅行記2005
3日目の夜は、翌日の移動のアクセスを考えて、チェスキー・クルムロフからバスで1時間程度のチェスケー・ブディェヨヴィツェという街に宿泊。

チェスキー・クルムロフを出る頃から激しい雨が降り出し、バスを待つ間、私も相棒Iもぬれねずみに。ちゅー。

チェスケー・ブディェヨヴィツェ(読みづらい上に打ちづらい)に着いた時もまだ雨。
ちょっと小降りになるまで、バス停で雨宿りしつつ休憩。

雨が降るとより寒い。

待ってる間に少し雨が弱くなってきたので、ホテルへむけて歩く。
今回の旅行は移動が多いので、ホテルは全て事前にネットで予約しておいた。
今日のホテルは、地球の歩き方にも載っていたHotel Bohemia
1泊1室1790CZK(=8200円)。プチ貧乏旅行なもんで。
でも部屋は豪華ではないがまあまあ広くて清潔。テレビもあるし。文句なし。


チェスケー・ブディェヨヴィツェはバドワイザーの名前の由来になった街で、町外れにビールの醸造所もあって見学も出来るのだけれど、我々が街に着いたのはもう夕方だったし時間もなかったのでそこには行けなかった。残念。

この街は、ぶっちゃけ、ビール工場以外にはこれといった見所はないっぽい。
すごく小さい街で、特に観光名所も有名な建築物もない。
まあ、私たちは移動のための宿泊目的だったので別に構わない。
この街からはプラハやウイーン行きの直行の電車とかバスとかも出てるし、交通の便がいいのだ。

でもせっかくなので、部屋に荷物を置いて、小雨の降る街を少し散歩。
しかし、雨だし寒いしで、テンション上がらない上がらない。
口数も減り気味。
と、そこで、「これじゃいかん!」と気合を入れなおし、から元気を見せる相棒。

ひとけのない街の中央広場で拳を突き上げるポーズではしゃいだ振りして写真を撮られる女。
彼女のこの前向きな明るさにどれほど引っ張られたことか。素敵です。

雨だし、移動で疲れていたのでそれ以上探索する気にもならず、そうそうに夕食へ。
夕食は、ホテルの別館のレストランに行ってみた。ここは当たり!
店も小奇麗で雰囲気もよく、店員さんもよく気がつくし感じがよく、料理もビールも文句なく美味しかった。

私の注文した料理はこちら。

料理の名前はなんだか忘れた。というか、適当に頼んだ。
なんか鶏肉のハーブかなんかが入ったクリームソースがけと、付け合せの山盛りのフライドポテトだったと思う。
このソースが美味かったんだよなー。
チェコには珍しくクネドリーキがプレートに乗ってないのも良かった。(いや、キライじゃないんだけど、2日間食べ続けてさすがに飽きたのよ)

ちなみに相方の注文した料理はこんな感じ。

肉の種類とソースが違う。
こっちも交換して食べさせてもらったけど美味しかった。

満腹で部屋に帰って寝る。

チェコ・3日目 その① -チェスキー・クルムロフ城-

2005-11-02 19:48:34 | 中欧旅行記2005
3日目(7月22日)は移動。
朝、プラハのフローレンツ・バスターミナルから8:00発のおんぼろバスに乗り(日本ならとっくに廃車になってるだろう、というレベルのおんぼろ)、チェスキー・クルムロフという街へ。11:30頃到着。
この日も天気はいまいち。

チェスキー・クルムロフは1992年に世界遺産に登録された街。
ヴルダヴァ川(=モルダウ川)が大きくS字に蛇行する地形にあって、川に抱かれたみたいな格好。
こぢんまりした街で、半日~1日あれば十分見て回れる。
でも観光客はたくさんいる。さすが世界遺産。
上の写真は、バスターミナルの近くから見たチェスキー・クルムロフ城。
バスターミナルは丘の上にあって、そこから徒歩で坂を下って川のほとりの市街へ出る。


お城を別の角度から。
13世紀に建築されたらしい。

お城や塔の壁を近くで見るとこんな感じ。

壁は、ブロックとかレンガとかを組み立てたみたいに見えるけど、これ、全部絵です。
ブロックの模様が書いてあるの。
お金なかったのかしら。まあ、これはこれでかわいらしいけど。
色もパステル調だし。

お城の中は、ツアーでしか入れない。英語のガイドツアーに参加して見学した。
私たちが参加した回のガイドは若いナイーブそうな兄ちゃんで、早口でせかせかしててなんだかいまいちゆっくり見られなかった。
お城の中は、西ヨーロッパの国のお城に比べると質素なのは否めないけど、それでもなかなか素敵な感じだった。写真は撮れませんでした。

お城の上から見たチェスキー・クルムロフの街はこんな感じ。

川にはボートが並んでて、ボート遊びとかもできるらしい。
天気が悪くて寒かったからやらなかったけど、晴れてて暖かかったら楽しいかも。


別の角度から。川べりにはかわいらしいレストランとかカフェが並んでるの。
晴れてたら、こんなとこでのんびりお茶したら素敵っぽい。

ところで、この城、お堀でなぜか熊を飼ってる。

ちなみに、お城の中のロビーとか大広間とかいろんなところで、尾頭付きの熊の毛皮がびろーんと床に横たわっていた。
この彼の末期もきっと・・・

プラハ・2日目 その⑦ -旧市街-

2005-11-01 22:55:50 | 中欧旅行記2005
この日散歩して回った旧市街の写真も。

メインの広場には、旧市庁舎が。
天文時計が有名。
トップの写真が旧市庁舎。なんか知らないおじさんが写り込んでるけど。
こっちから見て、左の側面に天文時計がある。


これが天文時計。文字盤とか、すっごい細かいの。
天文時計は縦にふたつの円が並んでいて、それぞれが作られた当時の宇宙観(天動説)に基づいた天体の動きとその時間を表している、らしい。

9:00-21:00の毎正時になると仕掛け時計が動き出すので、
その時間前になると時計の前はすごい人だかり。


上が地球を中心に回る太陽と月、その他の天体の動きを表し、
年月日と時間を示しながら1年かけて一周するらしい。
これをプラネタリウムと呼ぶらしい。ほー。
一年で一周!1日見ただけじゃ動いてるのわからんがな。

これが上の時計拡大。

下が12星座(黄道12宮、というらしいよ)と農村の四季の作業を描いた暦で、
1日にひと目盛り動くんだって。
こっちをカレンダリウムというらしい。

これが下の時計拡大。わかりにくいかもしれないけど、外側の白い円の部分に放射状に書かれてる線みたいに見えるの、全部文字なんだよ。
ホントにすんごい細かいの。
米粒に絵描いちゃうレベルだね。(←ウソ。そこまで小さくない)

15世紀ぐらいに作られたらしいんだけど、
この時代にもうこれだけ精巧なものが作られてたってことに驚き。

ちなみに、からくり自体は大したことなかった(失礼)。
これならそごうのからくり時計の方がゴージャスだ。って比べるなよって話だ。
からくりショータイムには、一番上の小窓から、死神が鳴らす鐘の音と共に(なぜ死神?)キリストの12使徒が現れては引っ込んでいく。

これがプラネタリウムの脇の人形と、使徒が出てくる小窓。

プラネタリウムの脇の人形は、虚栄心、貪欲、死神、異教徒の侵略、という4つの恐れを表す像らしく、みんな怖い。
なんでこんなコワイのモチーフにしたんだろ。
カレンダリウムの脇の人形は、歴史記録者、天使、天文学者、哲学者。
天使と学者が並列になってるところが奇抜。
と、思ったら、この時計はプラハの天文学者で大学教授だったハヌシュという人が作った、という説があるらしい。
ふむ。

ハヌシュに関しては伝説が残っていて、完成したこの時計のメカニズムがあまりにもすばらしかったため、プラハの議員たちから妬まれ、
さらには他の都市から同じような時計を作って欲しいというひきあいもくるようになり、
それを防ぐためにある晩何者かに襲われて両目をつぶされちゃったんだって。
ひえー。ひどい話だ。
それでもしばらくの間はこの時計の管理を続けていたんだけど、やがて病気で死んじゃったんだって。
かわいそうな人。こんなの作れるくらいだから、相当頭良かったんだろうに。