なんとなく平穏

ありふれた日常の独り言をつづります

6日目・その3 -続ビルケナウ-

2006-08-07 22:20:04 | 中欧旅行記2005
うわあああ。マジで1年経っちゃったよ。
まさか、ホントにここまでひっぱることになるとは。我ながら呆れる。

・・・お久しぶりです。暑さ厳しい最中、皆様お元気でお過ごしでしょうか。
この日記、もうやめたんだろうと思った方々も数多くいらしたかと。
しかし、誰も読んでなくても続けるんだもんねー。細々と。

さて、ビルケナウの続き。もう記憶も風化して風前の灯だけど。誤魔化すために写真多めで。


これ、収容所の中。ライフ・イズ・ビューティフルとか、映画の中に出てくるのそのまんま。てか、逆か。映画が事実に忠実なのか。
すっごい狭い。2等寝台車より狭い。ここに、ギュウギュウに押し込まれて寝てたんだよね、みんな。ものすごく劣悪な環境。
清潔さのかけらもないし、窓もほとんどないから風通しも悪いし昼でも真っ暗だし、夏は死ぬほど暑くて冬は死ぬほど寒かっただろうなあ。
伝染病とか流行ったらひとたまりもなかっただろうなあ。
なんか、この建物の中に入ると、みんな自然としーんと黙っちゃう感じだった。
すごい圧迫感のある空気が身に迫ってくるんだよね。
きっと今でもたくさんの罪なき人たちの行き所のない思いが留まっているのだろうと思った。


崩壊したガス室。今では瓦礫の山だけど、ここでどれだけの人が命を落としたことか。


ビルケナウの一番はじっこにある、慰霊碑の石版。ここは、終戦の日とかのニュースでよく映像が流れるよ。
てか、私も今まで意識してなかったけど、これを見て帰国してからニュースの映像を見て、あ、あそこだ、と思った。
これは英語の石碑だけど、同じ内容が書かれたヨーロッパ各国語の石碑が並んでるの。
日本語はさすがになかったけど。


でねえ。最も痛切に心に迫ってきたもののうちの一つが、ユダヤの人たちが収容所を巡ってる姿だった。
若い学生が多いみたいだったけど、みんなユダヤの旗を持ったり、身にまとったりして、団体で歩いていた。
ところどころで、円になってゆっくり誰か(多分ガイドの人や引率の先生)の話を聞いて、みんな涙を流していたり。
広島の原爆記念館で原爆の話を聞く日本の高校生に通じるものがあるかもしれない。
ユダヤの人たちがここに来るときは、我々のように一般的な「戦争の恐ろしさ」というものを痛感するというような客観的な思いではなく、もっと個人的な思いで、つまり、自分の「仲間」がたくさん亡くなった土地を慰霊のために訪れる、墓参りのような気持ちで来るらしい。
そういうのが、彼らの姿からひしひしと感じ取れた。


そして我々もこの線路の上を歩きました。
この写真だけ見ても、どんだけ広いかわかるでしょ。

そんな感じでビルケナウ見学も終了。
朝からアウシュビッツに行って、ビルケナウまで見終わったらもう3時くらいだった。
お昼ごはんを食べる暇もなく歩き続け、さすがに疲れたので、ビルケナウ入り口のところにある食堂でご飯を食べて、バスに乗って駅へ戻り、電車でクラクフに帰りました。

疲れたけど、ここは本当に行って良かったと思う。多分一生忘れない。