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ヴェルシリア司教 カラヴァリオ神父17 中国での司牧

2018-08-16 21:04:13 | ヴェルシリア司教 カラヴァリオ神父
『愛と潔白の殉教者 ヴェルシリア司教 カラヴァリオ神父』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 17

 まず上海のサレジオ学校におくられ、中国語の勉強をしなければなりません。外国語のタレントに恵まれていたかれは、おどろくばかりの進歩をとげ、1か月後は、早くも中国語で最初の教理レッスンをしました。祈りの協力を願い、母によく便りをしていたかれは、この喜びを次のように書きました、「おかあさん、あなたのお手紙に答えたいと思って今まで待っていました。それは、他でもありません。慰めになるニュースで、喜んでいただきたかったからです。けさ、わたしは、中国語で最初の教理レッスンをしました。どうぞ、この子どもたちが天国に行けるように、この子どもたちとわたしのために祈ってください」と。

 かれ自身も熱心に祈りました。しかし上海で2年もすごした頃、内乱が起きて、サレジオ会員はみんな、追放されねばなりませんでした。やがて、ティモル島におくられたかれは、新しい事業の設立に熱心に協力しました。

 領土としては、ここはポルトガル領でしたが、教会としては、マカオ司教区に属していました。かれは、ここでも2年すごして1929年になりました。このとき、かれを中国に呼びもどしてくれたのは、あのヴェルシリア司教です。

 生徒たちが別れを惜しんで泣きだしたとき、かれは慰めるつもりでいいました、「わたしは、中国に帰るのですよ、あそこに行ったら、殉教者となって、いのちをささげることになるでしょう。それでかえって喜んでください」と。

 こうしてかれは、中国のシュチョウに行くと、ここで聖霊降臨の前日1929年5月18日に、ヴェルシリア司教の手によって司祭に叙階されました。そのとき両親に手紙を書いていいました、「わたしを神にささけてくださったことを大いに喜んでください。あした初ミサをささげるのです。何よりもあなたがたのことをミサのなかで思いだします。そして司祭としてのわたしの最初の祝福を送ります」

 司教は、かれをリンチョウ教会に助任として任命しましたが、「主よ、どうぞわたしにりっぱな布教ができますように・・・」と、どんなに熱心にかれは祈ったことでしょう。カラヴァリオ神父は、なん時間も祈りつづけていました。


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