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ヴェルシリア司教 カラヴァリオ神父14  司教聖別

2018-08-12 03:47:34 | ヴェルシリア司教 カラヴァリオ神父
『愛と潔白の殉教者 ヴェルシリア司教 カラヴァリオ神父』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 14

「とんでもありません、この布教地の発展は、他の宣教師たちの努力がみのったのです」といって、かれは、断ろうとしました。そのときは、ちょうどこの地方に内乱が起きて、教会は難民でごったがえしていた時期だったので、なおさらです。

 かれは、6か月ためらった後に、自分をそれにふさわしくないと思いながらも、教皇さまの決定に服従しました。

 その聖別式は、1921年1月9日の日曜日、カントンの司教座大聖堂で行なわれ、4人の司教と大勢の宣教師や信者がたちあいました。この日のために集まったサレジオ会員は17名、サレジオ会独特のコーラスが荘厳な歌ミサをひびかせました。この典礼賛美歌「エッチェ・サチェルドス・マニュス」を新しく作曲して、トリノから送ってくれたのは、かれの親友そして、わたしたちのあのなつかしいチマッティ神父さまです。チマッティ神父さまは、4年後に日本最初の宣教師の団長となって来日し、その後も、ヴェルシリア司教と文通がありました。

 式が終わると、かれは新司教区のカテドラルとなるシュチョウ教会に数人の宣教師とともに移ってゆきました。カテドラルとは名だけ、小さな教会で、聖堂には、やっと200名ぐらいの信者が入れる程度のものです。かれのために低い司教座のいすが準備されていましたが、これにかけようとすれは、その度に頭を下げないと、天井にぶっつけてしまうのです。



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