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9-7-5 西欧化異聞

2024-07-10 02:03:22 | 世界史


『絶対主義の盛衰 世界の歴史9』社会思想社、1974年
7 西欧に窓を開くピョートル大帝の大改革
5 西欧化異聞

 ピョートルは西欧文化をまねたが、盲従者であったわけではない。
 彼は、西欧にたいしてむしろ不信感をいだいていたが、ロシアが、そこでは軽蔑され、嫌悪されていることを知っていたからである。
 彼は語っている。
 「我々に西欧が必要なのは、せいぜいここ数十年間のことで、その後にはこれに背を向けなければならない。」
 すなわち、ピョートルにとって西欧は手段であって、目的ではなかった。
 外遊してはじめてヨーロッパを見たピョートルをおどろかせたのは、工業のすばらしい発展であった。
 そこで彼は、ロシア経済の発達のために、当時の西欧に流行していた重商主義政策をとりいれる必要を痛感した。
 「わがロシアの国は、多くの外国よりも資源に富み、金属や鉱物にめぐまれているが、いかんながら今日まで、たんねんに調査されていない。」
 「よいこと、必要なことでも、新しいこととなると、わが国民は強制しないとやらない。」
 これがピョートルのえた結論であった。
 そして官営工場の設立、私的企業に対する保護、交通の改善、保護関税など、重商主義政策に力がそそがれた。
 そのころロシアに駐在したあるプロシア公使館書記官は、ピョートル治下の工場建設について報告書を残している。
 その一節を引用すると、「ピョートル一世は、その家臣の多くをイギリスやオランダに派遣し、そこで使われている生産技術を学ばせた。……
 彼はその治世中にさまざまな工場を発達させたので、留め針、兵器、麻織物などの商品は、国内の需要を自給できるようになり、とくに海軍が必要とする帆布は、外国に掛け売りするほどになった。
 シベリアの鉱山も開発されたので、もはやロシアはスエーデンから鉄や銅を輸入しないでもよくなり、かえって外国に輸出するようになった……。」
 ところでピョートルがやつぎばやに行なった西欧化のなかには、古い夢をむさぼっていたロシア人の生活を根底からゆさぶるようなものもあった。
 まず彼らを仰天させたのは、暦の改正である。
 ロシアの紀年はこれまで、ギリシア正教のカレンダーにしたがって、「世界創造」を紀元元年とし、新年は九月一日であった。
 これをピョートルは西欧式にかえた。
 すなわち、「キリスト生誕」を紀元元年とし、新年を一月一日としたのである(しかしロシアでは革命まで、西暦であるグレゴリオ暦ではなく、露暦が使用きれた)。
 ついで不評をまねいたのは、ひげそりと洋服着用の命令である。
 これにはつぎのようなエピソードがある。
 ピョートルが外遊から帰ると、大貴族、将軍、政府高官たちがご機嫌うかがいに伺候した。
 新築の宮殿のテーブルの上にご馳走の皿がならび、室内にはタバコの煙がたぢこめているなかでピョートルは、ロシア人とは思えない異様なかっこうをしている。
 薄いサージのハーフコート、首には婦人用のレースをまき、先がピンとはねあがった鼻ひげ、頭には金髪のかつらといったいでたち。
 しかも、その足もとには、羊毛刈りのはさみをもった二人の小人がうずくまっている。
 そのころのロシアの貴族たちは、いずれも長いあごひげが自慢であったが、ピョートルは、あいさつに出てくる彼らを片っぱしからつかまえては、かたわらの小人に命じて、あごひげをちょん切らせた。
 また、あごひげに税金をかけたことも有名である。それも身分によって差異があり、貴族と官吏には六十ルーブル、大商人は百ルーブル、農民と寺男は三十ルーブルといった具合であった。
 しかしこのあごひげ排撃政策は、とくにギリシア正教側のつよい反対にあった。
 ロストフ大主教のもとに「上流の人たち」があつまって論議したあげく、「あごひげをそりおとせば、キリストと同じ容貌でなくなる」という結論がだされ、各都市に檄文を発して、「あごひげ擁護に立ちあがれ」とよびかけることになった。
 ピョートルが世界の終末に登場する「アンチ・クリスト」であるといううわさも、ここからひろまったらしい。
 ピョートルはまた、ロシア語のアルファベッドを簡素化して活字体を制定し、はじめて新聞を発行させ、劇場をつくらせ、多くの初等学校・実業専門学校をおこし、またペテルブルグ市長に命じて定期的に夜会をひらかせ、貴族たちが夫人同伴で出席することを義務づけた。
 西欧式エチケットが要求され、違反すれば罰金をとられた。
 そこでこの時代にはエチケットにかんする本が出版され、そのひとつ『青年の鏡』(「日常交際の手引き」という副題がつく)は、ベストセラーとなり、たちまち三版を重ねたという。その内容の一部を紹介すると。
 「青年貴族たるものは親切で、従順で、礼儀正しく、外国語、乗馬、ダンス、フェンシングを学び、雄弁術にすぐれ、読書家で、事にあたっては大胆、かつ勇敢でなければならない。……
 街を歩くとき、頭をたれ、目をふせていてはならない。
 人に流し目をくれてはならない。
 知人と出会ったときは三歩手前で帽子をとり、通りすぎてからふりかえってはならない……。」
とあり、また、とくに注意すべき事項として、
「長靴をはいて踊らないこと、人前でつばをはかないこと、音をたてて鼻をかまないこと、指で鼻くそをほじらないこと、食後に手で口をぬぐわないこと、ナイフで歯の掃除をしないこと、食事中には豚のように口をならさないこと」
などがあげられている。




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